うまく生きらないわたしたちは、いっぱい罪悪感を抱えている。


一番の罪悪感は、嘘をついている事。


本当はできないのにできるフリをしたり、大丈夫なフリをしたり。


一番の罪悪感は、自分へ向けられている。


いつもいつも自分を誤魔化して、嘘ついて来たから。


本当の自分じゃない自分を演じて来たから。


どうしてそうして来たかというと、本当は自分の個性を守りたかったから。


でもこれまでの時代を、ありのままの自分で生きるのは、ちょっとキツ過ぎた。


ちょっとじゃなかった。


振り切れればよかったのかもしれないけれど、どうしても守りたかった自分もいる。


それぞれにそれぞれの環境がある。


決めて来た設定やおおまかなストーリーも違うし、だから比べる事なんかまったく意味がないのは、今も同じ。


そして、それは魂や前世といった大きなスケールの話にもなるから、比べる事なんて到底できない。


でも周りと比べては、うまくいかない自分をどうにかしようとして来たし、色んなものを備え付けて違うものにしようとし過ぎた。


大切な誰かを悲しませたくなかったからかもしれない。


でも、魂の輝きというものは、どう隠そうとしても隠しきれない。


その美しい光りはどんなに隠しても、漏れ出てしまうもの。


魂の輝きは、そのまんま、あなたの個性。


今までその光る個性は、あまりに目立ち過ぎて、まだ世界が手放しで受け入れるのには難しかった。


それに良いも悪いもなくて、ただ地球がまだそういう周波数の時代だったから。


その地球でのできごとを体験しに来た人達が多数だったから、いきなりの眩し過ぎる強い光は、とてもじゃないけど当てられなかったんだと思う。


でも、地球の周波数も上がって来た。


そして、その狭間を選んで来たのもまた、わたしたち。


人生の何割かは、とても生き辛い時代を選んだ。


もっと上の世代のその個性の人達は、もっと生き辛い設定を選んでいた人達ということになるけど、全て自分でモードを選んでいるという事は変わらない。


グラデーションを感じながら、間違いなく色んなクラウドは書き換えられている。


みんなでそうしている。


だから、地球全体のクラウドもどんどんアップデートされている。


そこに生きるわたしたちのDNAレベルのクラウドも、土地や歴史的なもの、魂まで全て。


だから、今生きるこの地球の周波数も上がって来ている。


別の言い方をすると、軽くなって来ている。


だから、もう罪悪感という重たい錘も、もういらない。


本当はもうみんな気づいている。


わかっても、すぐに手放すのは難しいかもしれないけど。


だってそれによって安心や安全を得ようとしていた部分もあるし、何よりあまりに軽くて上に行き過ぎないように、この地球に留めるために持っていたものでもある。


でも、その設定を選んだのが自分なのだから、手放すのは本当は難しいことではない。


だってモードが変われば、設定も自ずと変わるでしょう?


それなのにまだ前と同じ設定を維持しようとしているから、キツい。


重いモードの中生きやすいように、重い設定にしていた。


それも辛かった。


でも今は軽いモードになったのに、自分は重い設定のまま。


だからまた新たな辛さが入って来てない?


今度はかなりバランスが取れなくなっているよね?


もはや訳わからん事になっていて、軽い中で重いから、ズーンレベルx 100みたいな。


この分がわけわからんくなって来てるかも。


つまりは、もう【罪悪感】いらないよねってこと。


これ実は罪悪感だけでなくて、人によって色々ある。


絶望感や、無価値観、愛されない設定、みじめさ、などなど。


↑字面からも、波動、重くない?


そういう事。


だから、これらの重い設定を解除したらどうなるか?


もっとイージーモードの軽い設定にしたら、この先どうなっていくか?


巨人の星の主人公が腕につけてる、筋肉鍛える為のバネみたいなの取ったらどうなる?


走ってる時に腰に巻きつけているタイヤ外したら?


ありのままのあなたは、わたしたちは、どれだけのエネルギーがだせるだろう!?


そのエネルギーで何をしに地球にやって来たのか??


思い出すが先か、外すが先か。


思い出したら自然に外れるし、外れたら自然に思い出すと思う。


でもこの地球にはこの地球の『時間』といた概念もあるから、焦らないで。


一瞬で変えてもいいし、安心安全を感じるならば、ゆっくりいったっていい。


ただ「現状維持」ヴァイブスは、重い…!!


というか、流れに逆らう訳でもあるから、かなりのエネルギーを消耗する。


そこで消耗させて、自分や現実が変わらないように必死にしがみついたり、ただエスカレーター逆行しているようなものだけれども。。。(マネしちゃダメ、ゼッタイ)


ありのままの自分で生きるって、そういうこと。


その一歩、というところだろうか?


まずは錘のない自分ってどんなだっけ?ってところから。


もしくは、取っ払って行って思い出してもいい。


それはあまりに久しぶりな自分に再会する事になる人も多いだろうから、最初は驚きや戸惑い、もしくは新たな自分との出会いと感じる人も多いかもしれない。


わたしはその自分を思い出したり戻るといった経験を、信頼できる人や場で帆走してもらいながら、時に観察者もなってもらいながらやって来た。


本当に本当によかったと、感謝とともに感じている。  


だから今度は自分もその役割をできたらいいなと思っている。



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窓を開けて、風が気持ちいい季節になって来た!




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