私は、日本以外の全世界の仏教の僧侶たちに『提案』がある。
日本では、「ナンマイダブ」とか、「ナンミョウホウレンゲキョウ」と、毎日、声を出して祈っていれば、死後、『極楽(=天国)』で生活できるらしいので、関係ない。
それは、『転生(てんせい / てんしょう)
』に関しての話だ。
キリスト教では、『復活』が重要であり、神に認められた善人は、復活して天国に住めるという。悪人は、地獄に行くらしい。
ところが、仏教では、現代の日本仏教のように、「死後、極楽で住む」という考え方もあるが、全世界のほとんどの仏教では、『転生』を、説いているのではないか?
それは、キリスト教とは、かなり考え方が違い、「またこの世に生まれてくる」という。
そういう話をすると、キリスト教信者は、「じゃあ、どうして、”前の人生”を、覚えていないんですか?」と、質問してくるが、仏教信者は、答えられないから、仏教信者以外は、この理屈を信じない。
『魂(たましい)』が、本当に存在するならば、『記憶』という機能が無いのだろうか?
そうじゃない。
このあたりの事も、昔の中国人や日本人の僧侶たちは、真剣に研究していた。
『お経』というのは、そういう問題に関する『論文』なのである。【ただし、そういう「論文」とかいうものではない、という人もたくさんいるが。】
昔のお経を、読める人は、今は、もうほとんどいなくなっているが、今でも多くの僧侶や仏教学者が、「何が書いてあるのか?」という事を研究している。【日本と中国以外のお経は、「中国語」ではない。】
その『記憶の問題』を、簡単に説明すると、
「記憶が無い、という事が、”前の人生”は存在しない、という証明にはならない。」
という理屈だ。もちろん、これだけでは、「人間は転生する」という確信は得られない。
ただ、『猿』に関しては、そういう問題は気にする必要はないので、別に、この研究に加わる必要はない。
つまり、私は、何が言いたいのかというと、
「もし、転生が、何らかの”証拠”が示されて”証明”された場合、自爆テロに意味が無い事が証明できるのではないか?」
と、思うのだ。
その、自爆した瞬間の、『他人に対する憎しみ』とか、『世の中に対する憎しみ』とか、『この世で生きていく事に関して限界を感じている』という状態で、そこから、また、新しい肉体を持って、人生を始める。
・・・・・そうだよな?
アジアの仏教って、そう、教えていないか?
私も、昔の中国仏教と、昔の日本仏教しか知らないから、今のアジアの仏教では、どういう考え方をしているのかは知らない。今の日本では、
「ナンミョウホウレンゲキョウ、という言葉に、宇宙のパワーが宿っていて、毎日、声を出して、唱えていれば、死後、極楽に住める」
と、私自身は、そう、教えてもらったので、あまりにもこれが実際に信者たちに教えている内容とずれているならば、マスメディアを使って、「本当はこうです」と、説明していただきたい。公式ホームページでもいいし。
『南無妙法蓮華経』というのは、昔、中国のお坊さんが、インドの言語を中国語に翻訳したときの文字で、日本語では、
「Na Mu Myou Hou Ren Ge Kyou」
と、発音するが、実際は、
「Nan Myou Hou Ren Ge Kyou」
と、唱えているようだ。本場の中国では、
「Na Mo Miao Fa Lian Hua Jing」
と、発音する。それに関しては、中国人の創価学会会員は、中国語で発音しているのかどうかは、私は知らない。
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【創価学会公式ホームページの『勤行(ごんぎょう)』の説明】
創価学会 - 勤行について
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勤行とは?
創価学会の活動において、「勤行」は、日々の生活のリズムの根幹であり、生命変革の具体的な実践です。
朝晩、御本尊に向かい、法華経の二十八の品(=章)のうち、「方便品」と「寿量品の自我偈」を読み、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることを、「勤行」といいます。
「御本尊」は、宇宙と生命を貫く根源の法である南無妙法蓮華経を悟られた御本仏・日蓮大聖人が、御自身の仏の生命をあらわされたものです。その御本尊を信じ、読経し、題目を唱えていくとき、本来、私たちのなかに内在している仏界という最高の生命が湧きあらわれてきます。日々、勤行の実践を持続することで、生命が磨かれていくのです。
また、勤行には、「正行」と「助行」があります。題目を唱えること(唱題)が「正行」で、方便品と寿量品(自我偈)の読誦は「助行」です。
池田名誉会長の講義から
「正行」と「助行」の関係について、日寛上人は、米やソバを食べる(正行)時に、塩や酢(す)が調味料として使われて味を助ける(助行)ことに譬(たと)えておられる。
「正行」の功徳は広大です。そのうえで、「助行」は「正行」の功力(くりき)を増し、促進(そくしん)する助縁(じょえん)の働きをもっている。
「正行」である唱題を根本として、方便品・寿量品の読誦を「助行」とするのが、私たちの勤行の基本的な在り方なのです。(池田名誉会長の『法華経 方便品・寿量品講義』(1)より)
なかには「意味がわからず経文を読誦して、功徳はあるのだろうか」という疑問を抱く人もいるかもしれません。
日蓮大聖人は次のように仰せです。「赤ん坊は水と火を区別できず、毒と薬の違いを知らないが、乳を口に含めば命を延ばすことができる。それと同じく、経典に通じていなくとも、一字一句でも法華経を聞いた人は仏にならないわけがない」(御書1046ページ趣意)と。
赤ん坊が、お乳を飲めば知らず知らず大きく育っていくのと同じように、御本尊を信じて妙法を唱えきっていくならば、必ず無量の福徳が輝いていきます。(池田名誉会長の『法華経 方便品・寿量品講義』(1)より)
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