今日はあの日から2年。
さきほど黙祷を捧げました。
私は、あの日あの時間、
上海から成田に向かう
飛行機の機内アナウンスで
地震を知りました。
初めのアナウンスでは
「関東・東北で大きな地震が発生しました」
とだけの情報でした。
そのときは地震はよくあるし、
まあ大丈夫だろうと思いました。
その後、三宅島上空で
2回目のアナウンス。
「成田空港も壊滅的なダメージを
受けているので着陸できる空港を
探します」とのこと。
機内には情報源がアナウンスしかなく、
不安になり、ざわざわし始めます。
その後、着陸先が関西空港に決まり
引き返すような形で関空に着陸。
機内で待たされ、そのとき漸く
携帯の使用を許可されます。
家にはすぐ連絡が取れ、
無事を確認。
ところが会社がいつまで
経っても通じません。
機内でAUの携帯には
つながり易いとの情報を得て
AUを持つ社員と連絡が取れ
会社も無事が確認できました。
その後は、空港内でかなり待ちました。
情報が錯綜していて、
どう帰るのか、いつ帰るのか、
今日はどこに泊まるのか、
などあっちこっちで話しが始まりました。
被災地は津波に襲われていることも知らずに。
結局その日は関空近くの
ホテルに宿泊します。
夜10時ごろ、部屋に入り、
そのとき初めて
大変な津波と火事が
起こっていることを知ります。
阪神淡路大震災のとき
私は大阪に住んでいて、
そのとき人間の無力感を
初めて感じました。
今回はそれ以上の無力感を感じました。
テレビには凄まじい津波の映像が
映し出されていました。
翌日、東京に帰ることができ
電車が動いていないこと、
コンビニに何もないさま、
東京の被害は大したこと無いこと
を見て知ります。
その後の原発事故、
電力制限、計画停電、
被災地の惨状、
信じられないことの連続でした。
普段「当たり前」と思っていることを
「当たり前」とは思ってはいけない。
そのことを震災は教えています。
未だに行方不明者2668名、
避難生活者31万5千人。
「当たり前」なんて思っていると
バチが当たります。
普段「当たり前」と思っていることほど
感謝をして、生きていきます。
犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。