私はただ私であり、
それ以上でもそれ以下でもない。
こんにちは。
日和山 明(*chiaki*)でございます。
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メールリーディング+遠隔ヒーリング
あなたの内に眠る美しさは、
きっとあなたの背中を押してくれる。
あなたの美しさ、見せてください。
(旧 あなたの宝物再発見)
*私が提供するセッションについて
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思えば私はただの私でいることができていなかったな…
たとえばお金に困っている時は
いつどこで何をしていても『お金に困っている私』だった。
『お金に困っている私』が青い空を眺め、
『お金に困っている私』があたたかい陽の光を浴び、
『お金に困っている私』が美味しい静岡茶を味わい、
『お金に困っている私』がお風呂でほっとひといき…
そうやってたくさんの恵みを微妙に取りこぼしていた気がしてきた。
たくさんの恵みに接していながら、
『お金に困っている私』という事実?がそれを50%減にしていたというか。
これは『お金に困っている私』に限らず、
たとえば『彼氏がいない私』でもなんでもいいんだけど、
自分が『こんな自分ではダメだ』と思っている姿、
それを自分自身だと勝手に決めて生きていたのだなと。
実にもったいない…
たとえば『お金に困っている私』が10万円手にしたとする。
うれしいはずじゃんね。
しかしうれしいのも一瞬なんだよね。
多分50%減でしか受け取れていないのだ。
つまり5万円分のエネルギーしか受け取れていない。
実にもったいない…
ではたとえば『お金に困っている私』としていたとして、
『お金に恵まれている私』とすれば、
その体で生きれば、
150%のものを受け取れるのか?
多分違う。
だって、
そんなふうに思い込もうとしても無理でしょう?
そもそも『思い込もう』というのがね。
あ、
これはあくまでも私の場合。
私の場合、思い込もうとすればするほど逆の思いが際立ってしまって。
たとえば
『お金に困っている私』の逆の『お金に恵まれている私』を信じようとして、
かえって『お金に困っている私』がくっきりと見えてしまうという状態に(汗)
それに、
そもそもそれを望んでいなかったのだろうな…
私は私以外の何者にもなりたくなかった。
ただ、私でありたかった。
そして、
それをすっかり忘れていた。
ただの私。
それだけでよかったのだ。
ああ、
今までたくさんのものを乗せてしまっていたな…
ただの私が
青い空を眺め、
あたたかい陽の光を浴び、
美味しい静岡茶を味わい、
お風呂でほっとひといき…
それだけでよかったのだ。
今の私のままではダメだ
という思いに突き動かされてここまで来たけれど、
私の望みは
今の私でないなんらかの私
ではなく
ただの私
に戻ることだったんだな。
今日も世界は美しくて豊かだ。
あなたも私もよく生きているね。
今日も出会ってくださってありがとうございます。
あなたの存在を、誇りに思います。