顧問の交代について | 東海大学キャンパスフォークソングソサエティOB会のブログ

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 ご連絡が大変遅くなり申し訳ありませんでしたが、長い間CFSの顧問をお願いしておりました曽田成則さんが今年の3月末をもって退任され名誉顧問に就任されました。後任には、岡安英文さんに顧問を引き受けていただき、CFSも順調に活動をすることができております。

曽田さん。大変お世話になりましてありがとうございました。これからも今までと変わらぬお付き合いをお願いいたします。

 岡安さん。いろいろと後輩たちがご面倒をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします。


 退任された曽田前顧問へ感謝のメッセージが、佐藤眞衛さんより届いておりましたので掲載させていただきます。


メッセージ:曽田 顧問への感謝と御礼


 OBのみなさん、こんばんは。私は佐藤 眞衛と申します、第3代目の元OB会長でした。

 先日驚いたことに、38年間我がCFSの顧問をしていただいた”曽田 先生”が顧問を退任されたことはじめて知りました。ここに感謝を述べさせていただきたいと思います。

 ”曽田 顧問、長い間ありがとうございました。“1969年ごろの激しい大学闘争で学生が勉学にそしてクラブ活動ができないときがあり部員は疲労のどん底にあったと思います、CFSも左翼、右翼、ノンポリにわかればらばらでございました。

 CFSを辞めていく仲間も多くおりました。ある仲間は大学を去り、ある仲間は大学闘争の責任をとりCFSを辞めていくという異常な時代でした。

CFSは初代顧問(部長教員)でありました小松 教授の急死にて、部長教員のいないCFSは消滅する運命であったと記憶しています。CFSは存続危機の大変な状態であり、現役でありました第3代会長&副会長&渉外担当者、そして三觜先輩の必死なお願いはむなしい努力の毎日でした、そして1ヶ月後にはCFSは団体としての登録が消滅するタイミングに、不運にも当時のCFSの顧問になっていただける大学関係者は誰も手を挙上げていただけるまたは音楽愛好団体を理解していただける方はおりませんでした、大学紛争から12年たった当時はCFSの存在そのものを否定する大学関係者もおりました。

そんなときに、幸運にも我がCFSを親身に考えてくれ、部室の確保、CFSが愛好家団体でもあるにも関わらず、1号館の部室を確保していただき、我々の必死の説得に”そうか、私でよいのであれば、顧問(部長教員)を引き受けよう、ただ

大学の難しい人たちを説得してから受けましょう ”と涙の出るような喜びであったことを今でも思い出します。

 また、北海道分校に赴任されても大学本部にたびたび来られCFSの運営をアドバイスしていただきうれしく思いました。顧問が日本弁論大会にて入選されたこと覚えております。素晴らしい才能のある演説で聴衆は拍手の止まない評価と記憶しております。

 そんな忙しい仕事中でも絶えず顧問のあの笑顔のエネルギーにはただただ敬服するのみでありました。

そして、長い時が流れてCFS顧問を退任され、現役の有志の努力により名誉顧問となられてCFSとのお付き合いもしていただけると聞いております。新しい部長教員の方を大学側で任命していただいたと聞いております。多分曽田 名誉顧問の支援があったのではと想像しております。昔のCFS存続危機をを知っている私としては、曽田 名誉顧問に何と御礼を言ってよいかわかりません。

 言えることは、曽田顧問の大学の反対を押し切ってCFSの存続を貫いて頂いたことに大いなる感謝と御礼を申し上げたい。

 そして、機会がありましたら是非御礼のご挨拶にお伺いしたいと思います。

 また、38年間の長い間に多くの後輩の相談や悩みを聞いていただきありがとうございました。私的になりますが、私の結婚式の司会を引き受けていただきありがとうございました、私は海外との仕事が多く、単身赴任していた時もありました。そして顧問は国政を担う松前達郎議員の公設秘書を命がけにて数十年やってこられ、大変であったと思います。松前先生も安心して国政の運営に専念できたことと思います。

       

 38年間、CFS顧問はもちろんですが第一秘書としてのお仕事本当にごくろうさまでした。


       佐藤 眞衛 より。 201210月吉日