昨日は、現在ビジネスモデルを共にする各企業の方々に集まっていた
だき京都歴史を辿るツアーと終戦記念日としての歴史を辿ってみました。
まずは、坂本龍馬が、暮らしていた京都伏見にある寺田屋からのスター
トです。寺田屋前にて記念撮影です。


座右の銘として持たれている方も多いのではないでしょうか?私もい
つも心に秘めている言葉です。


龍馬の好んだ梅の間にて坂口社長とツーショットです。


坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓にて記念撮影です。ここに来るのは何十
回目か解らないくらい来ています。

龍馬の最期を思うと、本当に言葉では言い現せ得ない気持ちになる。
なぜ反撃できなかったのか?手元にピストルを持っていなかったのか?
刀は!!軍鶏鍋なんか食ってる場合やないやろ。
奥の蔵に隠れていたらちゃんと裏のお寺のお墓に逃げられたのに。・・・
夢にまで見た時代が目の前に来ていたのに・・・・・・


蛸薬師通河原町と木屋町の中ほどにある岬神社は元は土佐藩邸の中
にあり、坂本龍馬ら土佐藩の志士たちもよく参拝したことから、「土佐稲
荷神社」
とも呼ばれ、赤いのぼりがはためいている。中には小さい龍馬
像・肖像画もある

木屋町通りをそぞろ歩き。本間精一郎受難の碑、土佐藩邸跡、彦根藩
邸、三条小橋を渡って佐久間象山・大村益次郎遭難地案内碑など、木
屋町沿いは藩邸跡や遭難の地が多い。すべてを訪問しました。

勤皇の志士 古高俊太郎邸跡、池田や事件は、ここから始まった。
 

龍馬が下宿していた醤油商近江屋のあった場所。

慶応3年(1867)11月15日、ここの2階で歓談中に刺客に襲われ、無念
の最期を遂げた。

龍馬が近江屋で遭難する直前まで身を寄せ海援隊京都本部が置かれ
ていた酢屋嘉兵衛 宅。ここで龍馬は、大政奉還を迎えます。

池田屋跡、八坂神社、祇園会所跡、東海道五十三次最後の場所三条
大橋と今年最高の気温を記録する中、みんなで回りました。

夕方には、体力が無くなり元気が無さそうです。京都花見小路にて



食事を兼ねて懇親会と決起大会を行いました。




おまけです。


京都霊山護国神社には、こんな文字が大きく書かれていました。
この短い文章に忘れてはならない気付かなければならない物がある。


パール判事の顕彰碑(京都霊山護国神社にて撮影)

東京裁判において、パールは「裁判の方向性が予め決定づけられて
おり、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批
判し、被告の全員無罪を主張した。“裁判憲章の平和に対する罪、人
道に対する罪は事後法であり、国際法上、日本を有罪であるとする
根拠自体が成立しない”という判断によるものである。と言ってくれた。