【ビジョン】で霊的<不死身!不滅!>の<聖化>に導く【神の愛=主イエス】! | 【ビジョン&大義・使命・天職】に導く【神の愛=主イエス】!

【ビジョン&大義・使命・天職】に導く【神の愛=主イエス】!

■【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>
■【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】
■【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

Good luck & God bless you!


【2024年6月7日に作成した<第777回>に加筆】
◇◇【ビジョン】で霊的<不死身!不滅!>の<聖化>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
<対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&神愛奇蹟】です!

<御国の福音>を受け入れて<現代版ノアの方舟:携挙>がいつ来ても大満足人生の為に
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に掲げて
<不屈の楽観・楽天能力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊性活気力】で
【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】の<生き様・死に様>である
【神愛責務】<事を為せ!Do Business!>【ミッション:大義・使命・天職】に生きて
【主イエス】再臨で地上誕生する<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>にて
栄化復活の心体で四苦八苦から解放され千年間のエデンの園復活事業で活躍しましょう!

【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
<全智・全能・全愛><いつも一緒!>の【神の愛=主イエス】を受け入れても、即座に
全て思い通りの<生き様・死に様>にはなりません。特に<超的外れ人生・忘恩背信>の
私の場合は<7つの大罪:傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲>の総合百貨店で
神愛軌道修正の神愛ストレッチ訓練<聖化>される為に過酷な患難辛苦を体感します。

●<患難の解釈>(内村鑑三)
 患難はこれを消極的に解すべからず、積極的に解すべし。
 これを神の刑罰として解すべからず、神の恩恵として解すべし。
 神の憤怒の表彰として解すべからず、その自愛の示顕として解すべし。
 恩恵はすべて身の患難にして、麗の幸福なり。
 麗の幸福と解してすべての患難は患難たらざるにいたる。
●<恩恵としての患難>(内村鑑三)
 神は無益に患難を下し給わず、これを自己かまたは他人を救うために下し給う。
 患難はたしかに神の恩恵なり、
 これなくしてわれも人も罪悪を去りて正義の神に帰るあたわず。
●患難は恩恵と離れて考えるべきでない。
 それは、患難は恩恵の一部なればなり。
 塩味を和せずして甘味は甘味ならず、
 患難なくして恩恵は恩恵ならず、
 食に薬味の必要なるがごとくに人生に患難は必要なり。
 患難ありて始めて人生に香味は生ずるなり(内村鑑三)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
 これに対抗することはできるであろう。
 私は神のおかげで困難になれてきた。神に信頼してまだ裏切られたことがない。
(クロムウエル)
●患難を避けんとするなかれ、これに勝たんとせよ。
 独り自らこれに勝たんとするなかれ。神により勝たんとせよ(内村鑑三)
●沈黙せよ、苦しめ、耐えよ、おまえの苦しみは誰にも訴えるな、
 決して神に絶望するな、おまえの助けは日毎に来るのだ(ルター)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中から援け出し給う。
(内村鑑三:詩篇34‐19)

私を【神の愛=主イエス】に導いてくれた<神愛の愛弟子・キリスト者>の内村鑑三は
教会信者から「患難の問屋」と評されるほどの<生き様>でしたが患難辛苦にある私に
【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】<歓喜!感動!感謝!>な
<患難辛苦の解釈:何のための患難か>を披露してくれました!

●<何のための患難か>(内村鑑三)
 何のための患難か。
 罪を罰するための患難ではない。
 愛なる神は、人の罪を罰するために患難を下されない。
 それならば、何のための患難か。
 自分の罪を贖(あがな)うための患難ではない。
 もし、患難の目的がこれであるならば、自分は終生患難を〔受け〕続けても、
 その目的を達成することはできない。
 〔人は自らの力で、自分の罪を贖うことはできないからである〕。
 また、他人(ひと)の罪を贖うための患難ではない。
 〔たとえ〕わが身を〔犠牲として〕焼かれるために与えたとしても、
 〔罪人の〕私は他人の罪を贖うことはできない。
 〔人の罪を贖うことができる者は唯(ただ)一人、罪無き《神の御子》イエスのみ〕
 それならば、何のための患難か。
 イエスを〔真に〕知るための患難である。
 イエスと共に患難(くるし)み、
 彼の生命の分与(ぶんよ)にあずかるための患難である。
 パウロの言葉で言うならば、
「私は、キリストと復活の力を知り、その苦しみにあずかって、
 その死の姿にあやかりながら何とかして死者の中からの復活に達したい」のである。
 (ピリピ書 3ー10~11 聖書協会共同訳、以下同訳より引用)。
 それゆえ私は、イエスがその身に受けられた患難を残らず、
 わが身に受ける必要があるのである。
 イエスは、国人(くにびと)に捨てられた。
 私もまた〔イエスと同様、〕国人に捨てられるとき、
 彼の、その患難にあずかることができる。
 イエスは〔最も信頼していた〕友に〔よって、敵に〕売られた。
 私もまた、友に〔よって〕売られるとき、
 イエスと〔共に〕その患難を分かつことができる。
 イエスには、世人(ひと)の知らない色々な患難が臨(のぞ)んだ。
 そして神の恩恵により、私にもまた〔イエスと〕同じ患難が順を追って臨むとき、
 ますます深くイエスを知り、同時にまた、イエスの復活の能力(ちから、真生命)を
 知ることができるのである。
 まことに、イエスを知ることは限りない生命(永遠の生命)である。
 (ヨハネ福音書17-3)
 そしてイエスを知るために必要な患難を〔わが身に〕受けることは、
 彼の生命(いのち)を受けるために必要〔なこと〕である。
 患難を、イエスを知るための必要〔物〕と解するとき〔初めて〕、
 患難の意味は明白になるのである。
 だから患難の多いことは、決して嘆(なげ)くべき〔こと〕ではない。
「キリストの苦しみが私たちに満ちあふれているように、
 私たちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです」と
 〔聖書に〕ある((コリント後書1-5)
 世には、患難の多いことを理由に〔、あいつは〕「患難の問屋(とんや)」だ、
 と嘲(あざけ)る教会信者がいる。
 しかしながら、このように言う人は、いまだ患難の意義も価値も知らないのである。
〔実に〕イエスご自身が「患難の大問屋」であられた。
〔その最大のものは、彼の十字架である。〕
 そしてわれらは、患難を多く受ければ受けるほど、それだけイエスに近づき、
 彼に似〔た者とな〕ることができるのである。
 患難を知らない者はイエスを知らない者である〔、と言って過言ではない〕。
 それゆえパウロは言った、
「私は、弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりの中にあっても、
 キリストのために喜んでいます」と(コリント後書12-10)
 まことに朽ちる金よりも貴く、光る金剛石よりも値い貴きものは、
 われわれに臨むさまざまな患難である。
〔それゆえ患難の中にある友よ。苦難の主イエスを仰いで、慰めと生命を受けよ。〕

                 ★https://www.netekklesia.com/025-2  より抜粋

私の体験でも、自業自得・因果応報の<重荷:患難辛苦・四苦八苦>に孤立無縁感で
八方塞がりで万事休すと思われたからこそ弱き自己を痛感して【神の愛=主イエス】を
最後の望みと仰ぎ見る【信仰精神:信愛・信頼・信従】を体得できました!

●主は言われた「私の恵みはあなたに対して十分である。私の力は弱いところに
 完全にあらわれる。」それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ
 喜んで自分の弱さを誇ろう(コリント後書12-9)
●私はキリストのためならば、弱さと侮辱と危機と迫害と行き詰まりとに甘んじよう。
 何故なら、私が弱い時にこそ、私は強いからである(コリント後書12-10)
●苦しみにあった事は私にとって幸せでした。
 私はそれであなた(主)の掟を学びました(詩篇119-71)
●私は神様に、私の弱さを感謝します。というのは、私はその弱さを通して、
 私自身を、私の仕事を、私の神様を見つけることができたからです。
 (ヘレン・ケラ-)
●人間の弱さというものが、人生を極めるのに必要になってくることがしばしばある。
 (メーテルリンク)
●我々はいつも行為によって完全なものになろうとするが、
 神はたいてい苦しみを通して我々を前進させようとし給う(ヒルティ)

私たちの生きる世界は進化論を筆頭に【神の愛=主イエス】の存在を無視するには容易で
【神の愛=主イエス】の存在を【神の愛=主イエス】として知り体感するには困難です。
そこで【神の愛=主イエス】は人間が考えついた神学的宗教的存在で理解させるとは別に
内村鑑三や私が体得できたように患難辛苦の<どん底人生>でも【神の愛=主イエス】に
出遭える道を用意してくれました。たとえ教会や聖書に無縁でも世間で話題にされずとも
誰でも生涯で必ず様々な患難辛苦に直面するので【賜物・無償ギフト・神恵】ですね。

●試練と祝福は密接に関連している(ヒルティ) 
●患難のための恩恵にあらず、恩恵のための患難なり。
 患難は手段にして恩恵は目的なり(内村鑑三)
●一時的なしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、
 溢れるばかりに私たちに得させる(生み出す)(コリント後書4−17)
●見える所のものは暫時(シバラク)にして、見えざる所のものは永遠なり。
(コリント後書4−18)
●試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、
 神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう(ヤコブ書1-12)
●<今日の患難は明日の栄光に遠く及ばず!>
 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、
 取るに足りないとわたしは思います(ロマ書8−18)
●すべてのことは、あなたがたの益であって、
  恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、
  感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。
  だから、わたしたちは落胆しない。
  たといわたしたちの外なる人は滅びても、
  内なる人は日ごとに新しくされていく。
  なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
  永遠の重い栄光を、
  あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
  (コリント後書4−15~17)

【神の愛=主イエス】の<重荷>神愛解消策は<超世的価値観・超世間体・超常識>な
<神愛神助:祝福・恩恵><神愛の御手:導き手・助け手・癒し手>【神愛奇蹟】連発で
敵対勢力からの協力や意外な出来事や<守護天使・御使い>の裏方的活躍までもあるので
時にかなって美しく【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】です!

●人に知られていないようで  認められ
 死にかかっているようで   生きており
 こらしめられているようで  殺されず
 悲しんでいるようで     常に喜んでおり
 貧しいようであるが     多くの人を富ませ
 何も持たざるようで     全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)
●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
 途方にくれても、行き詰まらない
 迫害にあっても、見捨てられない
 倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
●見よ、私が選んだ僕
 私の心にかなう愛する者よ
 私は彼に私の霊を授け
 そして、彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。
 彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない。
 彼が正義に勝ちを得させる時まで
 いためられたアシを折ることがなく
 くすぶる燈心を消すこともない。
 まことを持って公義をもたらす彼は衰えず、くじけない。
 ついには地に公義を打ちたてる
 島々も異邦人も、その教えを待ち望み、彼の名に望みを置くだろう。
 (イザヤ書42-1~4、マタイ伝12‐18~21)
●あなたは主を避け所とし、いと高き方をあなたの住まいとしたので、
 災難はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
 これは主があなたのために御使い<天使たち>に命じて、
 あなたの道のどこにおいてもあなたを守らせられるからである。
 彼らはその手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ちつけられないように守る。
(詩篇91-9~12)
●御使<天使>たちはすべて仕える霊であって、
 救いを受け継ぐべき人々に奉仕するため、
 つかわされたものではないか(ヘブル書1-14)
●あなたは主を避けどころとし、いと高き神を宿るところとした。
 あなたには災難もふりかかることがなく、天幕には疫病も触れることがない。
 主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
 彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る。
 (詩篇91-9~12)
●<神助>(内村鑑三)
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん。
 ⇔ ★天来の思想
   ★外来の友人
   ★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の事業を助けん。
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすを得べし。
◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
 汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
■<神の助け>(内村鑑三)
 神はさまざまの方法をもってわれらを助け給う、
 あるいは霊をもって、
 あるいは物をもって、
 あるいは友人をもって、
 あるいは敵人をもって、
 あるいは同国人をもって、
 あるいは外国人をもって、
 あるいは知人をもって、
 あるいは未知の人をもって、
 われらの弱きを助け、
 乏しきを補い給う。
 神の方法に富み給うは
 かれが日々われらを助け給うその方法の豊かなるによりて知るをうべし。
 ●われらに臨む患難は多し。
  されどエホバはわれらをみなその中より援(たす)け出し給う(詩篇34-19)
●神は神を愛される者と共に働いて万事を益となるようにして下さる(ロマ書8-28)
●私(主)が来たのは、いのちを、あふれるほど豊かに与えるためです(ヨハネ伝10-10)

今の時代は<闇の勢力:悪魔・反キリスト・悪霊>の分断対立化工作で気づかない内に
取り込まれる危険が一杯で、何故あんな人が?と感じる言論や行動が日常茶飯事なので
【神の愛=主イエス】に近づくには過酷な<重荷・患難辛苦>を覚悟しなくてはならず
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】【青春:幼な心・青年の心】が【神愛力=隣人愛】で
光り輝き大満足の<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】こそが
<本分/本領><我が道:生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】です!

●失敗することは罪ではない。目的が低いことが罪である(内村鑑三)
●人は自己を失わなければ、どんな生活を営んでもよい。
 自分の本領に留まるなら、一切を失ってもかまわない(ゲーテ)
●私たち皆にとって最大の危機は、高きを目指し失敗することではなく
 低きを目指して達成することである(ミケランジェロ)
●諸民族を、その間違った道から神の信仰へ連れ戻すために
 苦難の時代がやって来なければならない場合に、
 普通、神は先ず幾人かの個人に苦難をなめさせ、
 そのあとで、これらの人たちが、その他の人々に向かって
 自分達の経験に基づくゆえに確信をもって教え説くことができるように導き給う。
 そうすれば、この先駆者たちは一般の人々の苦難の時にも
 勇気を失う事なく、なお救われる見込みのある者を励ますにちがいない(ヒルティ)

皆さんが自分には無理、見果てぬ夢、荒唐無稽と世間的には思われる青春期の夢・願望に
【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】【御言葉・ラブレター】を見出して
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】に守り育てて下さい。
【神愛力=隣人愛】に満ちた<天来・神愛産物>【ビジョン:理想・夢望・念志】こそ
皆さんが【神の愛=主イエス】に出遭えて霊的<不死身!不滅!不退転!>に導きます!

●あなた方の内に働きかけて、御心のままに志望(願い)を起こさせ、
 かつ実現に至らせるのは神であって、
 それは神が善しとされるところだからである。
 何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい。
(ピリピ書2-13~14)
●心に植えつけられた御言葉を素直に受け入れなさい。
 御言葉にはあなた方の魂を救う力がある(ヤコブ書1‐21)
●青年、壮者とは;
 常に不可能を計画する人
 常に大改革を望む人
 常に詩人的にして夢想する人
 常に利害にうとき人
 常に危険を感ぜざる人  (内村鑑三)
●イエスと共にある者は;
◆青春の詩的理想を持続することができる
◆単純にして一貫せる生涯を完全に遂行できる
★平民の友★自由の主張者★理想の追求者 
にしてその
★実行者★大革命家★大詩人★大預言者
●青年の夢を軽んじてはならない。
 それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、
 したがって、またその人の使命とも一致することが多い。
 つまり、人の使命も最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである。
 (ヒルティ)
●われわれの願望と言うものは、われわれのうちにひそかにひそむ能力の予感であり、
 われわれがなしとげうるであろうことの先触れである(ゲーテ)
●気高い夢を見ることだ。あなたは、あなたが夢見たものになるだろう。
 あなたの理想は、あなたがやがて何になるかの予言である(ジェームズ・アレン)
●あなたのビジョンを愛しなさい。あなたの理想を愛しなさい。
 あなたの心で沸き起こる音楽、
 あなたの心で形作られた美しいもの、
 そして、あなたの純粋な思考の周りに漂っているその魅力を愛しなさい。
 これらのうちの一つが、あなたの状態を快適なものにし
 あなたの環境を素敵なものにしてくれることでしょう。
 これらに対して あなたが誠実さを失わなければ、
 少なくともあなたの世界は
 これらの素晴らしいもので構成されるようになるのです(ジェームズ・アレン)
●彼の卑しき人は小事を爲さむとして、其を見て果し、
 此の貴き人は大事を求めて、其を知らず逝く
 彼の卑しき人は、一に一を加へて百に達し、
 此の尊き人は、百萬を目指して一をも得ず(ブラウニング)
●小さな円を描いて満足するより、大きな円の、その一部分である弧になれ。
(ロングフェロー)
●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち神がこの世で
 彼を用いようとするその目的が明かにわかり、また、これまで彼が導かれてきた
 すべての道がそこに通じているのを悟った日のことである(ヒルティ)
●驚くべき導きの、神の側からみた目的と直接の狙いは我々を普通の卑近な意味で
 幸福にすることではない。むしろ、恐れを知らず、あらゆる良き行いをすすんで
 しようとする人、一言でいえば、英雄的な人にするためである(ヒルティ)
●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、
 恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、
 自ら心で決めたとおりにすべきである。
 神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)

今日現在も理不尽な、自業自得な、想定外な大小様々な<重荷・患難辛苦>を抱える人が
皆さんの中にもいるなら、妥協せずに【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生旗印>に
<全智・全能・全愛><いつも一緒!>【神の愛=主イエス】に出遭いましょう!
私は<弱気:恐れ・不安・心配><逃げ腰・及び腰・弱腰>で何度も忘恩背信を繰り返し
<重荷・患難辛苦>で大切な【ビジョン:理想・夢望・念志】を断念しようとする度に
<神愛神助:祝福・恩恵><神愛の御手:導き手・助け手・癒し手>【神愛奇蹟】連発で
<パワーUP&UPグレード><聖化>を霊的体感でき<歓喜!感動!感謝!>です!

●あなたは知らないのか、聞いていないのか、
 主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
 疲れることなく、たゆむことなく、その叡智ははかり知れない。
 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
 しかし、主を待ち望む者は、新しく力を得て、ワシのごとく、翼を張りてのぼり
 走れども疲れず、歩めども倦まざる者となる(イザヤ書40‐28~31) 
●キリストを神として拝するも我等の良心は少しも品性の堕落を感じません。
 のみならず、帝王を崇拝して自由を失い、富豪を崇拝して威権を隕(オト)せし国民も
 イエスを神として崇め奉りて、その失いし自由と独立を回復した例は
 人類の歴史に幾度もあります(内村鑑三)
●快適な場所に着くまでにあなたは火と水の中を通り過ぎなければならない。
 (トマス・ア・ケンピス:詩篇66-12)
●水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。
 大河の中を通っても、あなたは押し流されない。
 火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない(イザヤ書43-2)
●たとえ水の中をくぐり、大きな困難にぶつかっても、 わたしは共にいる。
 悩みの川を渡るときも、おぼれはしない。 迫害の火の手が上がり、
 そこを通り抜けていくときも心配はない。 炎はあなたを焼き殺さないからだ。
(イザヤ書43ー2)

【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
日々直面する患難辛苦を【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】と受け止め
【主イエス】再臨で地上誕生される<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>の
本番舞台でエデンの楽園復活事業に【ビジョン:理想・夢望・念志】で参加する為に
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>GLORY JESUS KINGDOM!先取神愛感謝で
【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】の<生き様・死に様>で
いよいよ迫り来る【主イエス】空中再臨の<現代版ノアの方舟:携挙>を待望しながら
皆さんが直面する<重荷・患難辛苦>こそ【ビジョン:理想・夢望・念志】が守られる
【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】<歓喜!感動!感謝!>な
<神愛神助:祝福・恩恵><神愛の御手:導き手・助け手・癒し手>【神愛奇蹟】連発で
霊的<パワーUP&UPグレード><不死身!不滅!不退転!>にさせる<聖化>体感で
<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】に決起して
<闇の勢力:悪魔・反キリスト・悪霊>の分断対立化工作に取り込まれないように
【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:神愛自由&正義<隣人愛>の結実】に
チャレンジし続ける活躍を心より応援しています!

●偉人の生涯は我々に教える
 我々もまた高貴に生き得ることを
 そして彼亡きあとには 時の砂上に足跡を残すことを。
 別の弱い、よるべなき兄弟は人生の荒海を渡りつつ
 おそらく、それを目に留めて新たに勇気と奮い起こすであろう足跡を(ヒルティ)
●我々はいつも行為によって完全なものになろうとするが、
神はたいてい苦しみを通して我々を前進させようとし給う(ヒルティ)
●多くの人が沢山の涙と大変な労苦を重ねて、やっと得たものを、
お前はすぐに得ようと欲するのか。主を待ち望みなさい、雄々しく振る舞い、
勇気をしっかり持っていなさい。孤疑せずに、逃げ出さずに、
心身をいつも変わらず神の栄光へと捧げなさい(トマス・ア・ケンピス)
●我々が神の国に入って行くには多くの苦難を経なければならない(使徒行伝14‐22)
●この動揺する時代に自分までぐらつくのは、ただ災いを増すばかり、
 おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中をつくりあげて行くのだ(ゲーテ) 
●私たちは成し遂げたことではなく、これから成し遂げることのために生きている。
(ムーア)
●成功者になるためには、あなたは自らを信じなくてはいけない。
 勝とうが負けようが、戦いのたびに人は強くなっていくのだから。
(コリン・ターナー)
●始めは小なるも可なり。終りの大ならんことを欲す。
 始めは悲しむも可なり。終りに喜ばんことを欲す。
 始めに羞恥あるも可なり。終りに名誉あらんことを欲す。
 始めに家なきも可なり。終りに住みかなきをいとう。
 しかして神はおのれを愛する者を、始めに苦しめたもうといえども、
 終りにには「笑いをもて彼の口を満たし、
 喜びを彼のくちびるに置きたまう」(詩篇126-2)べし。
 羞恥に始まって栄光に終り、十字架に始まって復活昇天に終る。
 「義者の道は旭日のごとし。いよいよ輝きを増して昼の正午(まなか)に至る」。
 願わくはわれもその恩恵にあずからんことを(内村鑑三)
●勇ましい兵士のように闘いなさい。そして特にひ弱さのため、くずおれかけても
 前よりもっと確固とした勇気を取り戻しなさい (トマス・ア・ケンピス)
●輝くものを汚し、高貴なものを悪口することを、人間の世は好むものだ。
 しかし、恐れるな!高貴なもの、偉大なものを讃えゆく美しき心は、まだあるのだ(シラー)
●我が敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。
 たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光なりミカ書7-8)
●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く。
(ルカ伝1-79)
●あなたの憂いをすべて主にゆだねよ。
 主はあなたに代わり配慮される。
 あなたの家族のための憂いを、われらの信ずる主にゆだねよ。
 あなたはいたずらに策を案じ考えるだけだ。
 しかし、主には行く道と将来が開かれる。
 主は心配を嫌うが、あなたが捧げる天に向かっての祈りは喜んで聞きたまう。
 あなたがやっと一つの策を立てる間に、主は千もの策を持っていられる。
 なにびとも勝手気ままに、あなたを害する事のないように、
 主はあなたへの恵みの為にみんなの心を小川のように導かれる。
 主の御手から苦しみも喜びも安んじて受け、ひるんではならない。
 主はあなたの運命をすぐにも変えられる。
 しかし、それを悪くするのは、あなたの嘆きだ。
 いたずらにあなたを苦しめるために、苦しみが与えられたのではない。
 信じなさい、まことの生命は、悲しみの日に植えられることを(ヒルティ)
●主は真実で信頼に値する方です。必ず、あなた方を強め、
 「邪悪なもの」から守り救ってくださいます(テサロニケ後書3-3)
  
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン

■【福音の三要素(信条)=救霊<【御霊】内住>の証し】
●キリストは、私たちの罪のために死なれた<十字架>
●死んで墓に葬られた<埋葬>
●三日目によみがえられ今も生きておられる<復活>(コリント前書15ー3〜5)

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
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田中 聡(さとし)