理由なき感動
おはようございます。
爽やかな日曜の朝、皆様いかがお過ごし遊ばせ?
僕はサタデーナイトヒーハーに、録画しておいた新ドラマ『美しい隣人』を観たが、仲間さんの登場シーンのドレス姿があまりにも美しくなくて腰の蝶つがいがガタガタになるほど笑ってしまった。
あ、
高橋宙無です。

いきなりですが。
『感動』とは何なのか。
映画や、小説や、歌詞の付いてる歌などの感動は言葉や理屈で説明できる。
しかし、絵画やクラシック、建造物や自然、または詩など、わけもなく胸を打つ、
そう
『魂が揺さぶられる』
ような感覚は、誰しも一度は経験したことがあるだろう。
この正体とは一体何なのか。
昨日、プラトンの二元論を少しだけ学んだが、
“魂”と“肉体”
この二つで人間は世俗を生きている。
人間は生きていく中で“理性”が身に付き、理屈や理由の元に生きていく。
しかし本来“魂”は天国のような所では真理を知っており、肉体に宿ったときにそれを忘却してしまう。
“芸術”に触れることでその忘却した真理を思い起こさせるのではないか。
では、その芸術を生み出す芸術家はどのように生み出すのか。
芸術を生み出す人には、真理を受け取るアンテナのようなものがあり、それによりイマジネーションを想起する。
もしかしたら宗教ではそれは“神のお告げ”のようなものかもしれない。
しかし本来、真理は言葉にはできない感覚的なもの。
だから芸術家はその想起したイマジネーションを言葉に、絵に、音に、形に表現することに苦しむ。
時にそれは狂ったように。
まさに産みの苦しみである。
結局、何が言いたいかっていうと、
頭で理解するよりも、
自分の感覚を信じれるようになろうと。
そしてもっとその感覚を研ぎ澄ましていこうと。
思います。
ではまた。