大和田レインボー
ちゅす。
高橋宙無です。
医者が手術のとき
「今日はゲンを担いで左チクビから切開していきましょう」
と言ったら、きっと免許剥奪までそう時間は必要じゃないだろう。
でも
野球選手が
「ゲン担ぎで左から靴を履きます」
と言ってもなんら不思議なこっちゃない。
この違いは何なのだろう。
「運が回ってきた」
「ツキがある」
人間はもっとも大切なことを超神的な感覚に判断を委ねてしまう。
でも自分の命なんかが関われば、神なんかに任せたくはなく科学や医学のパーセンテージにしか目を向けられない。
だって運がなくて左チクビ落としたくないもんね。
人間が作りだすのは、自分に寄り添った解釈だけだ。
そして目に見えないものを信じることで、見えないからこそ安心をそこに求めてしまう。
そう納得できる。
『愛』
それはこの世でもっとも美しい言葉。人間が見つけた解釈。
でもベッドで隣で寝息を立てているのが、本当に『愛』なのかどうか分からない。
本物と願うほど、自らが道化死になる。
不安に犯され、それを勝手に『運命』と耳元で囁いて、唯一無二のものとすることでしか信じれないのなら、たとえそれが本物であっても、自分から『贋物』を精子に混ぜ込んで放出しているに過ぎない。
誰かの『愛』を欲しがれば欲しがるほど、弱みに付け込まれダッチワイフがスクランブルする。
そして自分で勝手に神を作り出し、自分の解釈をオシャブリにして今宵も眠りにつこうかしら。
自分の人生を動かしているのは『運』なんかじゃなく、
自分の手首の傷も心の傷も『神』から見放されたから受けた傷なわけじゃない。
『本物』も『贋物』もいつも自分が作り出し、『成功』も『失敗』も自分が勝手に思い込んでる夢幻地獄。
本当に大切なものは、やはり目に触れず手に触れず、
それは『愛』と呼ばれることに慣れきって、それでもみなさん必死に求めてる。
カメラのレンズの奥深く、闇が深く冷めた目線で僕を見る。
全てに見放された僕は、やはり贋物を腕に抱き、『孤独』を精子に混ぜ込んで放出する。
自分の生み出した『真理』に溺れながら、それでも『本物』を探し続けている。
それしか生きる術は見当たらないから。
