レオシモン
明けましておめでとうございます。
今年も何卒宜しくお願い申し上げます。
いいですね、実にいいですねぇ。日本語の響き。
なんなんでしょうかね、この日本語独特の響きの中にある美というものは。
顔見知り程度でも、年末年始の挨拶で、
「よいお年を」
「明けましておめでとうございます」
なんて言うと、どうも心がスッとしますよね。
それだけで、この一年繋がっていられる気になりますもんね。
だがらー、若い人がー
「あけおめ、ことよろ」
とか言ってるのを聞くとー、ころっとよろめいて頭でも打って何処かの豚みたいに再び生まれ変わっちゃえばいいのにーなんて思ってしまうのねん。
んが、あたしもブログ見て分かるとおり大した日本語使えてないので、日本人として日本語で表現して行く以上は正しく美しい日本語を美しく発音しなければと思う一年の始まりなのです。
とまぁ、今年の目標や構想、そして役者としてどのように一年を走るかといろいろ頭のつむじを逆回転させながら考えていた矢先にこんな記事が目に飛び込んできました。
日本経済新聞1月8日(金)
「人間発見」欄での野田秀樹氏へのインタビュー記事
(中略)
いつのまに何が起きたのかな。
若い人たちが自分の世界から出ようとしなくなった。
自分が知っていることにしか興味がない。
今の役者さんに圧倒的に多いのは、ただ待っている人。
何か始めればいいのに、何もしない。
それでいて自信がある。
他人は自分に関心を持ってくれて当然と思い込んでいる。
僕って○○じゃないですかぁ、なんて言う。
本来、舞台に立つ人間は「いたたまれない」から、そこにいるべきなんです。
「永遠を垣間見る瞬間」を味わう。
演劇は見たことも聞いたこともない世界へ連れ去ってくれるものなんです。
なんとか、その力を取り戻したいのです。
この「人間発見」という欄は、週変わりでいろんな人にインタビューしている。
俺も野田さんの記事は月曜から読んでいて、この記事は金曜、最後の週の最後の締めの言葉でした。
いやぁ、しかしねぇ…
この言葉を読んだとき、心臓にグゥーン!!来ましたよ。
まさに昨年から抱えてた自分に対するキモさ、フラストレーションが他人の言葉によって明確に具現化されちゃったって感じですよ。
待ってちゃダメ、分かっちゃいるけど足より先に口が出る。頭ばかりがでかくなる。理想という名の防波堤で自分の中の何もない世界を守っちゃてる。
結局、肥溜めからでっかい頭出して「うんこマン」って呼んで自分で一番キモがってたわけ。
はい、キモいあたしよサヨーナラー。
こびりついたウンコはウォシュレットでアナル攻撃ーー。
ってな感じで去年に流してきちゃった。
まじめな話、あんなキモい自分で今年を1秒たりとも過ごしたくないし、今はやりたいと思ったら全部やりゃーええじゃないか。と思ってます。
そして、この記事のなんともたまらんのが
「永遠を垣間見る瞬間」 なんとか、その力を取り戻したい。
1週間の情熱の締めくくりが、この言葉に集約されてる気がして、
俺も「自由な表現取り戻してぇーーーー!!」っ朝っぱらから叫んじゃいましたよ。
とにもかくにも、散らばったパン粉を拾いながら「やったるでー」とそう心に決めました。
そんなこんなで、今年も多大な迷惑を掛けて行きますが、迷惑を掛けることが人生だ!と勝手な持論を持ってますので、本年も何卒ご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
ってこんなの自分のブログで書けよ…
って今頭によっぎちゃった。同感の人はごめんなさい…
あ、高橋宙無でした。
今年の一言
「突っ走れぇー!!」
信号には気をつけてな
