ようこそのお運びで。

8日午後ワクチン2度目接種。恐怖なり。処刑台に赴く気分なり。

激痛酷く、立っていても痛い。座るとナイフでぐさぐさ刺されるように痛く無理。痛みで眠れない。

夫亡き後、溺愛していた猫を失い、猫を冷遇したご近所を見たくなく、一日中シャッターを下ろしたまま暮らしている。お猫の自称飼い主は猫が帰宅しなくても「知ったことか。偉そうに言うな」と言う。猫は毎日逃れて私のもとに来て、延々と鳴き続けた。深夜でも私のあとをつけて町中歩き回った。嬉しくて道で転がりごろごろする。ぱたぱたと足音を立てて私のまわりを走り回る、いとしくてならない。ところが猫嫌いの匿名ご近所は、猫が悪戯をする、警察沙汰にしてやると言う。ご近所で役職のある人は「猫にかまっている暇などあるか、明日にでもセンターに引き渡せ」と殺処分をするところと連絡を取る残酷さ。地元のなんとか委員という「困った時に相談してね」と名刺を置いていった人は「猫のことはしらん。自分でネットで調べてタクシーを手配して必要なところへ行け」と冷淡無関心。なーにが「困った時は連絡してね」だ。私は猫ノイローゼとアレルギーを発症し倒れた。もともと激痛と体調不良と夫を失った喪失感でやっと生きていたのだ。手当たり次第にSOSを出した。助けに新幹線で来て下さったブロともさんには感謝しかない。一ヶ月の京都滞在後、兄弟猫の姿も見ない。死んだのだろうか。

「東寺の蓮」(マン防前、7月に撮影)

 

 

 

 

 

 

 

「天龍寺・放生池の蓮」

 

 

 

 

 

 

 

「東本願寺の蓮」(その1)

「淀姫」

 

 

 

 

 

 

 

「舞妃蓮」

 

 

 

お題

「思ふとも 君は知らじな わきかへり 岩漏る水に 色し見えねば」

         (源氏物語・胡蝶)玉鬘をめぐる歌⑥

 

玉鬘に最初に求婚した筑紫の「大夫監」の歌と、六条院の住人になった玉鬘に送られた「柏木」の求婚の歌を比較してみたい。

 

◎『玉鬘』巻より・・肥後の豪族「大夫監(たいふのげん)」が詠んだ求婚の歌

 ◇玉鬘の乳母は、「この姫君は不具なところがあるので、結婚はせず尼にします」と言って頑なに求婚を拒むが、大夫監は、玉鬘の乳母の息子三人のうち二人を抱き込み、玉鬘の居住する肥前の国まで押しかけてきて、強引に結婚を迫る。帰り際、大夫監は突然、歌が詠みたくなった模様。やや久しく思案の末に、こう歌う。

 

大夫監の歌

☆「君にもし 心たがはば 松浦(まつら)なる  鏡の神を かけて誓はむ」

・・・姫君にもし心変わりをすることがあったならと、松浦の鏡神社の神にかけてお誓いしましょう。・・・

 

この歌は「君にもし心たがはば」と「松浦(まつら)なる 鏡の神をかけて誓はむ」が繋がらない。本末の整わない舌足らずな幼稚な歌である。いや、歌というより、三十一文字の日常会話であり、何ら詩的イメージも伴わない。

 

 

                 wiki  「鏡神社・源氏物語歌碑」

 

 

が、大夫監は、「この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」(この和歌は上手にお詠みしたと思います)と自己満足している。乳母は、恐ろしさで正気を失い、震えながら、思わず本音で返歌をつけてしまう。

 

 ◇乳母の返歌

☆「年を経て いのる心の たがひなば  鏡の神を つらしとや見む」

・・・長年、姫君のためにお祈りしてきたことが叶わなかったら、鏡神社の神をさぞかし薄情だと思うことでしょう。・・・

 

すると、大夫監は「待てよ。これは何とおおせられたのか」 と言い、不意に近寄って来る。その様子に、乳母は恐怖で血の気を失う。乳母の娘たちは、気強く愛想笑いをしながら、乳母の返歌のこじつけ解釈をして見せる。即ち、「年を経ていのる心のたがひなば」は、「長年、姫君のために都へ帰って幸せになれるように祈ってきた心が叶わず、大夫監のような田舎者と結婚する羽目になったら」というのが乳母の本意であるのだが、「長年、姫君の幸せを祈ってきて、折角、大夫監様がご求婚くださったのに、姫君のお体に不具がおありなので、縁談がうまくゆかなかったら」の意だと無理に解き明かしてみせたのである。和歌に疎い大夫監が、これで「おお、さようか」と納得したのが滑稽である。

 

この歌とも言い難い、本末の整わない吠え声のような三十一文字が玉鬘への最初の求婚歌であった。

 

 

                「玉鬘たちは、早船で都へ逃げる」源氏物語六百仙

 

 

◎『胡蝶』巻より・・内大臣の長男・柏木の求婚歌

 ◇六条院に住まうことになった玉鬘に、多くの懸想文が届くようになる。源氏は期待通りの展開を面白く思い、玉鬘に返事の仕方などを教訓する。風流貴公子・兵部卿宮の、玉鬘の返事がもらえず苛立ち気味の恨み言、生真面目で実直な右大将の、あの孔子でも「恋の山」では倒れるといった風の嘆きの言葉に興を覚えたりする。

 

「みな見くらべたまふ中に、 唐(から)の縹(はなだ)の紙の、いとなつかしうしみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。『 これはいかなれば、かく結ぼほれたるにか』とてひきあけたまへり。 手いとをかしうて、
☆  思ふとも 君は知らじな わきかへり 岩漏る水に 色し見えねば
書きざまいまめかしうそぼれたり。『これはいかなるぞ』と問ひきこえたまへど、はかばかしうも聞こえたまはず。」

・・・玉鬘への恋文を全部を見比べなさる中に、唐の縹の紙で、とても心ひかれるように深くしみ込んだ香が匂っているのを、たいそう細く小さく結び文にしたものがある。「これは、どういうわけで、このように結んだままなのだろうか」と言って、(源氏は)お開きになった。筆跡はとても見事で、

☆  思ふとも 君は知らじな わきかへり 岩漏る水に 色し見えねば 

書き方も現代風でしゃれていた。「これはどうした文なのですか」とお尋ね申し上げなさったが、(玉蔓は)はきはきとはお答えにならない。・・・

 

 

                      「がらくた織物工房」より

 

 

 ◇この「結び文」は内大臣の長男・柏木が寄越したものだった。柏木は、玉鬘が実は姉だということを知らない。「結び文」とは、巻き畳んで両端をひねり結び、封印として墨を引いた書状。正式な「立て文」に対して略式なもので、恋文は普通、「結び文」の形態を取る。「唐(から)の縹(はなだ)の紙」を使用しているが、高級な舶来品の紙で、美しい「縹色」、香も深くたきしめてあり、風流である。

 

 

 

 

六条院に住む玉鬘への求婚歌で、最初に披露されるのがこの歌。分析的に読んでみる。

 

柏木の歌

☆「思ふとも 君は知らじな わきかへり 岩漏る水に 色し見えねば」 

・・・・・・私があなたのことを恋い慕っていることを、あなたはご存じないでしょうね。湧きかえって岩間から漏れ出る水に色がなくて気づかないように、私の心に秘めた激しい思いも外に漏れ出ても目に見えませんから。・・・

 

①「思ふとも」

☆『古今和歌六帖』

「2543 あしわかの うらにきよする しらなみの しらじな君は われおもふとも」

☆『新千載集』

「1038 おもふとも しらじな人め もる山の したふく風の 色しみえねば」(如願法師)

古今和歌六帖の歌は源氏物語に先立つ。新千載集の歌はこの柏木歌の影響下にある。

 

②「君は知らじな」

☆『実方集』

「115 ささがにの くものいがきの たえしより くべきよひとも きみはしらじな

☆『新勅撰集』

「768 うらむとも きみはしらじな すまのうらに やくしほがまの けぶならねば」(権中納言国信)

実方集は源氏物語に先立つ。新勅撰集の歌はこの柏木の歌の影響を多く受けている。

 

③「わきかへり」は「激しく湧き出でて」の意。

☆「こころには したゆく水の わきかへり いはで思ふぞ いふにまされる」(古今和歌六帖・2648)

・・・・・・私の心には、地面の下を流れる水のように湧きかえる思いがあって、それは口には出さない思いですが、口に出して言う思いよりまさっているのです。・・・

激しい思いを、水が湧き出るさまに例えて詠む和歌的伝統があり、柏木の歌もそれに則る。

 

④「岩漏る水」

☆『拾遺愚草』

「624 花のふち さくらのそこと たづぬれば 岩もる水の こゑぞかはらぬ」
☆『続千載集』

「     忍恋の心を    亀山院御製
1067 しらせばや 岩もる水の たよりにも たえず心の 下にせくとは」

☆『夫木和歌集』

「802 逢坂の せきの岩もる 水のあやに しづえ浪よる 玉のを柳」(如覚法師)
「3697 山かげの きよき松がね 枕にて 岩もる清水 かた結びせん」(寂蓮法師)

以上の例、全てが『源氏物語』より後に詠まれた歌。この柏木の歌以前に、用例はない。

柏木の歌では、湧き上がって岩の隙間から漏れ出てしまう「岩漏る水」は、柏木の激しいほとばしる思いの比喩になっている。前例がないことから、柏木は独創的な表現を生み出す感性を持つ青年として設定されていることが推測できる。


⑤「色し見えねば」

☆『宇津保物語』「国譲中」

「水の色は 君もろともに すみ来とも われらは人の 心やはする」

源氏物語以前の例。

水は無色透明の「澄む」色として詠まれており、無色ゆえ、気づかれにくい。

柏木の思いも目に見えるものではなくて、気づかれにくい。

 

 

「源氏物語六百仙・ 結ばれたままの文」

 

 

 ◇源氏は、この柏木の歌を高く評価する。

 

さてこの若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。いといたう書いたる気色かな」(ところで、この若々しく結び文にしてあるのは誰のかな。たいそう見事に書いてあるようだな)と源氏は問う。右近は「内の大殿(内大臣の長男)の中将」(柏木)が、玉鬘付きになっている「みるこ」という童女と以前からの知り合いでことずかったものだと説明する。源氏は、まだ官位が低い若者でも、「公卿といへど、この人のおぼえに、かならずしも並ぶまじきこそ多かれ。さる中にも、いと静まりたる人なり」(たとえ公卿でも、この人の声望に、必ずしも匹敵するとは限らない人が多い。有望な若者の中でも、たいそう思慮のある人だ)と柏木を高く買い、いずれ玉鬘が実姉と思い当たる時が来るまでうまく言い繕ってくれと右近に頼む。そして、「見所ある文書きかな」と感心して、手紙を見続けたのだった。

 

 

                           

                     「源氏物語六百仙・田舎の懸想人」

 

 

田舎の権力者・大夫監による玉鬘への初めての求婚歌は、あけすけに声に出した、ただの会話のようなもので、上の句と下の句も繋がらない拙劣なものだった。それに対し、源氏の六条院に住むようになった玉鬘への恋歌は、恋文の体裁も風流で、歌に独創性があり、鬱屈としているが豊かな感性の貴公子が詠んだもの。「岩漏る水」の詩的イメージも美しく、激しい恋心を想像させる見事な作で、源氏も感心するほどだった。玉鬘の劇的な運命の転換が、この二首を対比することで、鮮やかに印象づけられるのだ。

 

                                                         続く

 

 

 

おまけ

 

医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、

ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、

被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した論文

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文

「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0067778

 

二報目

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0137291

 

 

  sofashiroihana