浅草千束通り。
吉原のすぐ入口といっていいこの場所に
『こんな村』という定食屋がある。

私はちょうど約1年前、先輩との吉原営業の最中、
500円定食屋としてここに連れて来られた。
その時の印象は、なんだか薄暗いなぁというくらい。
その他、おばさんが積極的に「ご飯もう一杯いる?」と催促してきたことと、アイスコーヒーがタダでついてたのを覚えてる程度だ。

その後、吉原から近く、おばさんが気さくに声をかけてくれること、
アッとホームで安くて多いことより、よく一人で行くようになった。

それから1年。
すっかり常連となり、休みの日まで行くようになった俺。
ついにザビエルであることの一端を見せた。

3才から青森で民謡舞に親しみ、吉原の仲で踊ってたというおばさんに、こう語った。

「浅草ってロック座っていうのがありますよね」
「あるある」
「自分、あのストリップの踊りが好きなんですよ」
「あー、あそこはくにえがやりだしてから大きくなったんだよ」

へっ、くにえ???

「くにえの店が国際通りの松屋の向かいにあるよ」
「えっ、どこだろう・・・もしかして、自分の知ってる人の店もその近くにあって、
雅麗華の店っていってビルの3階に・・・」
「そう、麗華だよ!」

な、な、なんとーーーーーー!!!

なんと、このおばちゃん、話を聴いていくと雅麗華さんのある種育ての親であることが判明。
麗華ママがくにえ坊と呼ばれていたころから知っていて、いまでも
「ママッーーーー」と呼ばれているそうだ。

反抗期、竜泉の肉屋の上に潜んでいた伝説の踊り子麗華さん。
子供の頃より走るのが早かったとか、運動ができてたのかと思いきや、あまり部活をやってたとかそういう話はなかったらしい。
ただし、しゃべりは今と変わらず、あの気風のいい浅草江戸っ子のようなしゃべり方だったとのこと。
やはり当時から姐御肌だったのだろう。
いきいきと躍動する雅麗華さんが思い浮かんだ。

また、こんな村のおばちゃん自体の驚くことがひとつ。
名前が‟ようこ”だった。
こともあろうが自分が最も敬愛するようこ姐さんと同名とは!!
いやー、ありえんわ・・・w
まったく感嘆してしまった。

浅草の街は、広いようで狭く、
狭いようで広い。

ビートたけしさんが食うサンドウィッチもここで作っている。

ザビエルトークから始まった思わぬ展開に、話は大盛りに盛り上がった。
おばさんはストーリーテーラーとなり、自分は模範的なリスナーとなって、とりとめのない雅麗華物語を朝まで続けたのだった。

↓吉幾三が名付け親の『こんな村』。麗華さんもよく食べにきていた
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↓巨人の角投手もインタビュアーに
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↓ おいおいおいおい!未だにビートルズと長渕の3枚組いつかの少年のポスターが!
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↓「雅麗華の店」前を通るチンドン屋たち
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↓突き当り左の曲がるとロック座だ
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