野良猫ミルクの親子基本的に、野良猫には名前をつけていません。でも、ミルクはいつの間にかうちに住み着いて、比較的なついているので、つい名前をつけてしまいました。出入り自由なへやの隅っこで、三匹生んで、我が家に親子で居候を決め込んでる感じです。ボスの一族とは違うみたいで、いつも皆とは離れています。
猫達の出逢いと癒し一番最初の猫は、はるか彼方昔、私がもの心ついた頃には、猫のミーがいつもそばにいました。うちが商売をしてて、両親は一日中仕事で、私はいつも一人だった。そんな時、ミーがいたんです。いつもそばに。昔はチャボや犬や兎が家にいた記憶があります。そんな中でミーも普通に、家の中や外に出歩いて、自由きままに生きていたんだよね。あの時はごはんに、煮干しに味噌汁かけてたよな~。そして一人で遊ぶ私のそばにいてくれた。今いるふじさんは、三匹の兄弟で捨てられていて、一匹は拾われ、残った二匹を娘が飼いたいと連れて帰ってきたんよね。ちょうど中二の登校拒否の時で、私も働いていたし、一人で家にいるのも寂しいだろうと、飼い始めたのです。オスは大きくなると、帰らなくなり、近所を娘とずいぶん探して歩いたけど、結局みつからず、ふじさんとその子供達と一緒に過ごしていたわけです。ちなみにふじの名前の由来は娘の好きだった男の子の苗字の一文字です。(おっと、娘がこのブログを発見したら、おこられるかな?)さてさて、今のうちに引っ越したきっかけは、脳梗塞で半身麻痺になった母の介護でした。かれこれ12年かな?色々有りました。泣いたり、笑ったり、本当に大変だった。でも、いつもふじさんとその子供達がいて、ずいぶん救われ、癒されました。ずっと在宅介護で、車椅子の生活だった母でしたが、元気だったのに、去年の春今度は小脳出血で手術しても駄目かもと言われたけど、何とか命だけはとりとめました。毎日毎日泣いてた時、いつのまにか、ふじとみけとゆうの三匹が側にきて、じっと私をみていました。猫も私がいつもと違うんだとわかったのかもしれません。そんな訳で、実家である母の家に今いるのですが、母が今この事態を知ったら、きっと嘆くだろうな~。話しも出来ず、口から食事も水さえとれず、寝たきりの病院生活です。お母さん、大切な家に野良猫を入れてしまってごめんなさいね。でもこの猫達のおかげで私は頑張れたと思います。今は私も難病で、仕事を失いました。神様が少し休みなさいと言うことかしら?なんて考えていたら、母が入院したすぐそのあとから、今度は姉の介護をすることになりました。私から、今猫がいなくなったら、人生まっくらです。私の老後の夢は、この家をすべてバリアフリーにして、猫達が安心して暮らせて、猫好きな友人達を呼んで、一緒にお茶することです。少しでもリフォームの資金を貯める為に頑張らないとね!
猫の恩返し数年前に死んだメイは、甘えん坊でした。皆がいなくなると、大きな体をすりよせて、甘えるのです。メイはふじの孫だったけど、以前住んでいた家で生まれました。ふじを今のうちに連れてきた時、メイは外にいることが多く、野良猫と仲良くしていたから、結局今のうちに連れてきたのはかなり後で、毎日餌をあげに行ってました。 それから時期をみていまの家に連れてきました。その頃は、ふじもこちらに慣れて、新しい彼氏が出来て子供ができ、それが今のこっているみけとゆうだったのですが、メイはなかなか慣れなくて、いつもふじさん達を威嚇して、餌を野良猫のようにガツガツ食べて、痩せていたのが、一番でぶ猫となってしまいました。そんなメイが風邪の症状に始まり、食欲も無くなり、みるみるうちに痩せていったのです。病院に連れていくと、猫エイズと言われました。今の家にいるふじやその子供達は、あまり野良猫と接触がなかったけれど、前のうちに最後一匹残ったメイは、多分野良猫に感染したものだとかんがえられます。入院 点滴通いと手を尽くしましたが、最後はずっと一緒に寝てあげて、息を引き取りました。そして初めてペット葬儀をお願いしました。人間と同じような段取りで、びっくりしたし感動もしました。とても良心的な葬儀屋さんです。私は納骨堂には納めず、メイがお気に入りの庭に植えている、白い百日紅の木の下に、パウダーにしてもらったメイを撒いてあげました。 それから数日たったある日のことです。その百日紅の木に毎日アゲハチョウが舞うようにいるのです。毎日毎日それは続きました。それがメイだと思うようになり、つい百日紅の木をみるようになりました。ゆらゆら風にふかれて白い百日紅の花が揺れる頃メイがまた遊んでるな~!って感じます。多分私へ私はここよ!って言ってる気がします。猫の恩返しかな?