3月9日、福島大学演劇研究会の卒業公演を観劇してきました。
高校の演劇部で一緒だった友人の卒業公演。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ作品だということと、
その友人へ抱いていた感情と、
せっかく実家に戻ってきたんだし
という理由で母に付きあってもらって行ったのですが。
純粋な熱意というものに久方ぶりに触れて、
正直感動しました。
観劇直後は母とあーだこーだ議論したりしたけど、
帰ってきて静かな気持ちで整理してみると、
一生懸命に、楽しんで作ったものにはそれだけで価値がある
と思い至りました。
私は無意識に、
「大学のサークルでしょ」っていう見下した態度で観ていたんじゃないかと思う。
この小物感。
情けないね。
目の前にある舞台に一生懸命になって
それがすごく楽しくて
ものすごく充実していた
そんな幸せを思い出して、
今の自分が抱えている歪んだプライドが
ものすごくどうでもいいものだって
わかりました。
いつからか思い出せないけれど
「私はあなたたちとは違うから」
っていうナルシシズム的感覚と
自己評価が低い故の自己顕示欲にがんじがらめになっていたような気がする。
高校の頃はすでにそうだった。
ほんとに嫌な奴だったと思う。
みんなよく一緒にいてくれたなぁ。
あの頃からすでに演劇を手段として使おうとしていたのかもしれない。
そんなの上手くいかなくて当然だ。
今も嫌な奴に変わりはないかもしれないけれど
でも、楽しくて、ただそれだけだった頃を思い出したから、
もう少し考えてみようと思った。
自分は自分と離れることができないので
思考が無条件に自己肯定しようとするのだけれど
薄い塗装は剥がれていくばかりです。
自分は嫌な奴だって認めないと一生このままなのにね。
あぁ
何をみても何をきいても
私は結局「自分がどうだったか」しか考えられないんだな。
自分自分自分自分自分
幼児のような会話レベル。
私は幼児じゃないから
喋ることより黙ることを覚えたほうがいいみたい。