無茶振り彼女の頼み事





やっと恋人らしくなって来たある日の事。亜美の家でまったりしていたら、珍しく彼女の方からお願いがあると言われる。

「父にあって欲しいの」

突然、亜美からそう言われ、思考回路が固まった。はい、今何と?

「ゴホッゴホッ」

滅多にしないお願いが、死ぬ程ハードルが高い。

思わず飲んでいた紅茶が横に入ってしまい、むせ込んでしまった。

「だ、大丈夫?」

自分のお願い事を棚に上げ、この子は何を心配しているのだろうか?

誰のせいでこうなったと思っているの?心の中でそう反抗した。

「ええ、ただ突然過ぎて……」

そう、彼女が何を考えて会って欲しいと言ってきたかは正直分からない。

けれど、会うタイミングとしてはまだまだ早い気がする。

確かに結婚の約束なんてしていないし、プロポーズもまだ。でも、結婚するなら亜美しかいない。そう思っていたのは事実で……。

「ごめんなさい。やっぱり嫌よね」

「嫌とかじゃ……」

いずれは挨拶しなければ。こんななりだけど、男だから。男だからこそ、大切な事。

そう考えてはいたものの、それがまさか、自分では無く彼女からもたらされる物だと思いもしなくて。

恋愛に関しては勉強不足の彼女。だけど、これが深い思惑から来る行動だとすると、あざと過ぎて怖い。

「ただ、急な事で驚いただけよ」

「じゃあ……」

「ええ、貴女のお父様に合わせて頂戴」

彼女の父親は画家で、母親とはとっくに離婚をしている。そこからは自由に風天の寅さんの如く、あちこちを転々としながら絵描き人生を送っていると亜美から話を聞いていた。

「ありがとう。実は、久々にこちらに帰ってくる事になったみたいで」

長らく東京にはいなかった父親。それが久々の帰省(って言うのかしら?)するらしい。

恐らく、この機会を逃すとまた何年単位で会えなくなる。御付き合いしている報告だけでもしておいて、認めてもらわなければと私は、考えた。

「そう、それは良かったわね」

「うん」

ここ最近では見かけなかった、亜美の弾けるような笑顔に安堵する。余程会えるのが嬉しいのだろう。

私といる時も、一緒に暮らしている母親では無く、父親の話の方が多い。パパっ子だったのだろうな、と感じていた。

それなのに、離婚によって遠く離れ中々会えない。寂しかっただろうな……。

寂しさを紛らわす為にも、ガリ勉になったのかも知れない。

「でも……」

そう言いにくそうに切り出した亜美の顔は、先程とは打って変わって段々曇って行く。どうしたんだろう?

「何かあったの?」

久しぶりに会うのが怖いのだろうか?

何年も会っていないのだ。変わっていたらどうしようと怖くなるのは普通のことだと思う。

「実は、これ……」

差し出されたのは、一通の手紙。

恐らく、父親からのものだろうし、ラブレターでは無いけど。良く手紙を貰う子ね。と楽観視していた。

「蕁麻疹は大丈夫だったの?」

「ら、ラブレターじゃないから……」

からかい半分で言うと、バツが悪そうに抗議してくる。

これから真剣な話になる前のひと笑いとして、冗談言ったつもりだったけど。彼女には余り通じなかったみたい。

「冗談よ。これ、読んでも?」

「ええ、お願い」

最初から読ませるつもりだったのだろう。でないと、亜美からわざわざ呼び出さない。

「ええっと、どれどれ……」

手紙を読むため、鞄から眼鏡を取りだしてかける。

手紙の内容はこうだ。

“親愛なる娘 亜美へ

元気しているかい?

父さんはとても元気さ

日本全国津々浦々

相変わらず絵を描いて歩いている

今度麻布で個展を開く事になったから

そちらへ戻ります

久しぶりに会いたいな

日にちは追って連絡入れます

個展のチケットもその時に渡します

会わせたい人もいます

それでは会える事を楽しみにしています”

«会わせたい人がいる»と言う文章が、強く心に突き刺さる。

恐らく、亜美もこの一文が引っかかっているのだろう。

「“会わせたい人”……ねぇ」

わざと声に出してつぶやくと、亜美は面白いくらいビクッとさせて驚いていた。分かりやすい子。

これが怖くて、私に着いてきて欲しいと。

「はい……」

“会わせたい人”がどういう人かは知らない。

けれど、この場合は恐らく婚約者で間違い無いと思う。もしくは、亜美の結婚相手を見つけてきた。とか?

前者なら私には関係ないけど、後者であれば穏やかじゃない。私にも大いに関係して来る。

これは、色んな意味で行かなければならない。

「誰だと思う?」

「……」

頭のいい彼女だけど、この時ばかりは何も考えたくないのか、何も答えることなくフルフルと頭を振るに留めた。

「安心なさい!私が着いててあげるから」

「ありがとう、彩都さん」

再び彼女に笑顔が戻った。

この日はこれでお開きとなる。

数日後、彼女から連絡が入る。

それは、父親と会う日にちが決定したとの業務連絡。

せっかく会うのだから。と私はデートを兼ねてお互い服選びの提案をした。

「うん、これが良いね」

「貴方はこれね」

私は彼女に私好みの清楚な水色のワンピースを。彼女は私に、父親受けしそうなものを選んで貰った。

「これで当日は、完璧ね!」

「ふふっそうね。心強いわ」

後は当日を待つばかり。戦闘態勢はバッチリよ!いつでもかかって来なさい!って感じ。

特に“会わせたい人”の方。もしも、亜美の結婚相手なのだとしたら尚更。

そして、父親と会う事になっている日がやってきた。

会うのは夕方の会食だから、それまでは亜美とデート。

なのだけど、夕方の事を思っているからか、亜美も私も口数が少ない。そして、空気が何処と無く重い。

「亜美!」

「はい!」

「せっかくの私が選んであげたおニューの服を纏っているのに、表情暗い!後、空気重い!」

「な、さ、彩都さんこそ。人の事言えないくらい緊張してるじゃ無い!かっこいい服が泣いてるわよ」

時間が経つにつれ、重くなって行く空気に耐えきれなくなった私は、痺れを切らして叱咤する。

すると、まさかの反撃が返ってきて軽く喧嘩に発展してしまう。今まで言い争う事なんて無かったのに、何故このタイミング……。

「亜美が言い返して来るなんてね。それだけ異常な空気だったみたいね」

「ガチガチでしたね。でも、おかげで緊張が溶けたわ」

「私もよ、さ!行くわよ」

「はい」

いざ、戦場へ。

いや、父親と会うと言うだけの事。

けれど、私にとって、恐らく亜美にとっても、敵と戦うよりある意味怖い場所へと向かう。

約束の店へと入ると、既に父親らしき人が座っていた。

テーブルを見渡すが、“会わせたい人”はまだの様で、見当たらない。遅刻か?と訝しげに思っていた。

「パパ」

亜美の呼び掛けに、父親が席を立つ。

180cm近くありそうな長身で、どこか公斗っぽさがあるけど取っ付きやすそう。そんな第一印象を受けた。

「亜美。大きくなって……髪も伸びたな」

「うん」

久しぶりの親子水入らずの会話。照れてる亜美を微笑ましく見ながら、水を刺さぬよう見守っていた。

「そちらの方は?」

黙りを決め込んでいた私と、何も言わない亜美。傍で見守っていたから当然気づかれると思ったけど、早い段階でそれはやって来た。

「パパ、こちらは彩都さん。私の……」

「どうも、異園彩都と申します。亜美さんと御付き合いさせて頂いております」

言い淀む亜美から言葉を受け取り、一気に自己紹介に彼氏だと伝える。

さぁ、亜美パパの反応は?

「じゃあ、君が……?」

ガリ勉亜美に彼氏が出来たと驚くかと思いきや、父親の反応に私の方が驚いてしまった。

亜美、私の事、何か話したのね?と声に出さず表情で伝える為、チラッと顔を見た。

「ええ、そうなの」

気まづそうになりながらも答える亜美。

一体何が、そうなのか?

「“会わせたい人がいる”と言っていてね。連れてくるよって言ってくれたから、楽しみにしていたんだ」

亜美も“会わせたい人がいる”攻撃してたのね。似た者親子かしら?

「そうだったのですか……。そちらも“会わせたい人がいる”とか?」

マウントを取ったところで、もう1つとらリ事にして出方を待つことにした。

「ああ、時間をずらして言ってあるから、もうすぐ来ると思うよ。それより、立ち話もなんだ。座ろうか?」

「ありがとうございます」

父親が座らない限り座れない雰囲気だったから、立ち話が続いていた。

勧められて私と亜美は隣同士に座る事にした。

「適当に料理はお勧めのコースを頼んだが、飲み物が分からなくてね?彩都くん、だったかな?」

「はい」

「君、お酒は呑めるのかい?」

「はい、一応成人してますので一通りは」

「じゃあ、ワインなんかも?」

「一番、好きです」

「そうか、じゃあ」

そう言って亜美パパは上機嫌にワインを注文してくれた。

このやり取りを亜美はどこか嬉しそうに見ていた。

「いやぁ、それにしてもまさか亜美にこんな美形な彼氏が出来るとはな」

「パパ!」

「勉強ばかりしてると母親から聞かされていたから、心配していたんだよ」

私もまさか、父親と母親が連絡取ってるとは思いもしてなかったわよ。しかも、母親よりも前に父親に会うことすら想像出来てなかったし。

「3人で暮らしていた時も、勉強ばかりだったからなぁ……」

「今も勉強ばかりですが、将来の夢のために努力を惜しまない姿は素敵です」

「そうか、そんなに言って貰えて、娘もさぞ嬉しいだろうな」

「パパも彩都さんも、止めて!恥ずかしい……///」

2人の男の話題の中心となった彼女は、照れまくっていた。

一段落したタイミングで、ウエイターがワインと料理を持って来た。

「乾杯しようか?」

「はい、喜んで」

グラスとグラスを合わせて乾杯する。

「しかし、こうして娘の彼氏と酒が飲み交わせる日が来るなんてなぁ……」

食事を進めながら、ワインを飲み進める亜美パパ。しみじみと言ってくる。

私の事を認めてくれたという事かしら?

「これからも御付き合い、させて頂きますよ。彼女とは、将来の事をしっかり考えているので」

「素晴らしい!亜美を頼む」

私の堂々とした結婚宣言に、父親は快諾してくれたようだった。

「実際、私はこの通りこの子の母親とは離婚して一緒にいてやれない。更には絵描きでフラフラ日本中歩き回っている。傍にいてやれない事が、父親として情けなくてね……」

父親として、役目を果たせなかった悔しさを吐露する父親の目からは光る物が見えた。

酒も入っているからだろう。饒舌な上に泣き上戸と来たもんだ。歳はとりたくない。

しかし、頼られている。認められているのは、単純に嬉しかった。

そして、そこからは亜美の幼い話へと変わり、色々思い出話を聞かせてくれた。

「小さい頃の亜美は……」

亜美のパパに応戦する様に、私は最近の彼女の様子を語って聞かせた。

その間、亜美は照れまくっていて、穴があったら入りたい状況に陥ってるみたいだった。

「最近の亜美さんはですね……」

亜美パパは、母親とは違う目線で話す私に興味深く聞いてくれた。

お互い、知らない亜美を聞くのは新鮮で話は尽きず、本人を置いてけぼりにして話に夢中になっていた。

父親と彼氏が意気投合している姿を見て、彼女はどう感じているだろうか?きっと、不思議な感覚で見ているだろうなと客観的に思っていた。

父親は、堅苦しいと言うより饒舌で気さくで話しやすいと言った印象を持った。

亜美パパは私の事をどう思ったかは分からないけど……。

「もうそろそろお開きとしようか?」

そう言って、手紙でも言っていた展覧会のチケットを数枚渡された。

「友達が多いと聞いていたから、これで足りればいいが……」

「20枚も入ってるじゃない!大丈夫なの?」

「ああ、みんなで来てくれ。それと、勿論彩都くんとデート感覚で来てくれると嬉しいよ」

「もう、パパったら!」

「是非、行かせてもらいます!」

単純に亜美パパの絵が気になった。それと、家だと兎に角勉強ばかりだから、外にデートに連れ出せる口実は、実に有難い。

……うさぎや美奈子たちも来るかも知れないけど、会わないようにしたいわね。後、海王みちる。絵画が趣味だったから、きっとはるかと来るわね。

「みんなに渡しておくわ」

「期間中は父さんも常時いるから、いつでも会いに来てくれ」

「喜んで。ところで、“会わせたい人”は?」

お開きで解散寸前に、メインイベントのその人がまだ現れていない。亜美が聞き出せない事を、聞いてやった。

横目でチラッと亜美を見ると、ドキリッとして体を強ばらせているのが見て取れた。

「車で迎えに来てくれているよ。お酒を飲んだからね。駐車場で待ってくれているみたいだから、着いてきてくれ」

そう言うと、亜美パパは駐車場に向かって歩き始めた。

後を追って歩こうとすると、亜美に服の袖を握られた。こっちまで緊張が伝わるわ。

「紹介するよ。今度、私のパートナーとして会社を一緒に立ち上げることになった秘書の村瀬二郎くんだ。絵の鑑定師として活躍している」

紹介されたのは男の人だった。しかも、亜美の結婚相手でもなければ、父親の結婚相手でもない。

「会社を立ち上げるの?」

「あれ?聞いてないか?」

その場にいた全員が“?”であった。

父親曰く、母親に相談していたそうで、自然と伝わっているものと思っていたらしい。

憶測でしかないけど、亜美には心配かけたくなかったのと、勉強で忙しくしていたこと。後は、父親の事を話したくなかったから、亜美には伝わってなかったのだと理解した。

「こっちに戻ってきたのも……?」

「ああ、物件探しとか手続きとか色々、な」

驚きと共に、心底安堵した表情を浮かべる亜美。

私も、違うことで心配していたからホッとしたわ。

「じゃあ、元気でな!あ、展覧会、絶対2人で来るように」

そう捨て台詞を吐いて、さっさと車に乗り込んで言ってしまった。

なんだか、騒がしくて慌ただしい人だと母親とは合わず、離婚に至った経緯を垣間見た気がした。

「良かったわね、再婚相手とかじゃなくて」

その言葉にホッとしたのか、抱き締めてきた。

私は、頭を撫でながら答えてあげた。

「父親に私の事、何て話したのよ?」

「“素敵な人が出来たから、紹介したい”って」

抱き締めた体はそのままに、上目遣いでそう答える亜美。普段中々見られない彼女の行動に、キュンとなる。

全く、人の気も知らないで!

襲ってやろうかしら?

「襲うわよ?」

「……良い、よ?」

「本当に襲うぞ?」

コクリッと頷く、あざと可愛い彼女。

この後、どうしたかは想像に任せるとしよう。

おわり