ずっと好きな人




ーーーあの日から丸一年の“この日”がやって来た。




 私は東京に来て初めての冬を過ごしている。

 大学での授業を終えて帰る道、雪のない道路を歩いて、ここが東京だと言う事を実感する。

 

 去年までいた故郷の北幌は、冬と言えば雪が降り春が来るまでずっと雪が積もっていて、真っ白な雪原。そんな当たり前の景色は、ここ東京には無くて、常にアスファルトが出ていて歩きやすい。その代わりと言うとなんだけど、流石の大都会東京。祭りでもあるのか? と聞きたいくらい毎日人が多く、そういった意味では歩きづらい。雪がなくても人とぶつからないよう気をつけて歩かなければいけない。来た当初からの事だったから一年近くなると流石に慣れたけれど、最初は戸惑った。嗚呼、東京にいるんだなとこの人混みを歩きながら実感する。


 天候にしても同じで、ここ東京は冬と言うのに天気である事が多く、冬なのにこんなに晴れている事に驚きを隠せなかった。北幌は冬が来れば自ずと空は雲で覆われて、曇天が当たり前。晴れて青空を見られる日なんてそうそう無い。ずっと曇り空でどんよりした天候。

 同じ日本でもこんなに違うのかと雪国と都会の違いに毎日驚かされる。


「今日も晴天で気持ちいいな~」


 ううーんと背伸びをしながらつぶやく。

 それでも10日ほど前は東京では珍しく、雪が降り続き、都心と言うのに積もり、交通機関はダイヤが見事に乱れたりストップしてしまい通勤や通学の人々の足を妨げた。

 あれ程北幌では当たり前の雪景色も、東京では珍しく、久しぶりの雪に図らずも北幌を思い出し、少しホームシックに陥りそうになった。

 けれど、その日限りのその雪は長くは続かず、真っ白だった東京もあっという間に元通りのアスファルトが顔を出した。それでも東京は慣れない雪の混乱からは抜け出せず、溶けて凍結した地面に歩く人々は足元を取られていた。


 それから数日たった2月14日。この前まで雪景色だったとは思えない程、今日は暖かくて過ごしやすい天候に、東京は真冬でも暖かいのかと衝撃だった。


「コート、いらなかったなぁ……」


 朝はまあまあ寒くて、いつも通りコートを羽織って出てきたけれど、昼になると20度近く気温が上がり、コートを羽織ると暑いくらいだ。

 人が多いから気温が北幌より高いのは分かるけれど、こうも高いとは思っても無かった。


 気温の高さに滅入りながらふと数日前に見たウェザーニュースを思い出した。癖で北海道の気温も気にして見ると、北海道もこの時期にしては高い予報だった。この暑さは東京だけではなくて、日本全体なんだ。寧ろ地球温暖化って言われているんだから世界規模で気温が上がっている。 そう言えば夏にはWHOが地球沸騰化なんて言葉を使用した。それ程温暖化が進んでいると言う事なのだろう。

 でもまだ2月の半ば。それなのにこの暖かさは異常だ。


 いや、無理もないのかもしれない。何せ今日はバレンタインデーだ。行き交う人々を見ると老若男女問わずお菓子の袋を持っている。恐らくチョコレートを貰ったり、交換したり、あげたりしたのだろう。皆、どこか幸せそうだ。

 この気温の高さは、そんなバレンタインデーで心が温かい気持ちになった人達が上げたのかも知れない。これ程高いとチョコも溶けないのか? と余計な心配をする始末。


「バレンタインデーか……」


 忘れていたわけでも、知らなかったわけでも興味がなかった訳でもない。考えなかった訳でもないけれど、何となく他人事の様な気がしていた。

 それでも東京のデパートでやっているバレンタインデーフェアーでちづと爽子に友チョコを買って二人に事前に送っていた。

 今頃、届いてると思うんだけど……

 爽子は私と一緒で大学だし、その後もしかしたら直接風早にチョコを渡しに会いに行ってるかも。

 ちづは店かな?その後わざわざ龍に会いに札幌には行かないよね。うん、そんなキャラじゃないわ。

 でも、一気に周りに人が居なくなったから、忙しくしながらも寂しがってるかもな。泣いてなきゃいいけど。

 あたしも、北幌から1000km離れて知り合いが誰もいない東京で、寂しい。高校三年間が充実していて、楽しかったから尚更。だけどこれはあたしが、あたし自身が決めた事だから、後悔なんてしていない。


 東京での暮らしも中々に充実している。レベルを上げて無理して入った大学。自分の学力より高い偏差値の大学での授業は、着いていくのも必死で。日々勉強に追われている。

 行きたくて入った大学。ピンに背中を押してもらって頑張って入ったこの大学で頑張ることがピンへの恩返しで、ピンに相応しい良い女になって範囲の中に入る近道だと信じている。


「ピン、元気かな?」


 徹龍軒の常連であるピンは、そこで働きながら龍を待ち続けるちづとは高校卒業後もよく顔を合わせている。そのちづからピンの情報はリアルタイムで流れて来る。

 相変わらず彼女はいないらしい。髪の毛もいつも通り立っていて、モテていないらしい。あたしがかけた呪いが効果覿面の様で、つい嬉しくなってしまう。


 ピンはろくでもない奴だとずっと思っていた。教師らしくない言動に大人らしくない態度。どれをとっても尊敬に値しない。こんな奴を好きになる奴がいるのかとさえ思っていた。

 それがまさかあたし自身がピンを好きになってこんなに惹かれるなんて思いもしなかった。マイナススタートからの恋だからだろうか? ちょっとした行動や言葉が素敵に見えてしまう。恋とは恐ろしいものだと初めての恋に戸惑い、自分自身の行動に驚いた。


「もう、あれから一年か……」


 ピンへの想いを伝えてから丸一年。

 考えてなかったわけじゃない。向き合う事が少し怖かった。あの告白から初めてのバレンタインデー。どんな想いで過ごすのか。過ごせばいいのか、正直分からなくて……


 告白した事は後悔なんてしていない。後数回。会えるのが片手で数えられるほど。それだけなんだと気づいたら、言わずにはいられなかった。


 あの日、ケントに偶然会って背中を押して貰わなければ、あたしはあのままあそこでウジウジ座っていたし、怖くて逃げ出していたかもしれない。

 爽子やちづに頑張れって言ってもらわなければ走れなかったかもしれない。


 最初は、伝える気なんて更々無かった。

 告白しようと決めたのは、周りの人達を見てきたから。


 ずっと恋をしていた龍のお兄さんに告白すら出来ずに結婚を決めて想いを伝えられなかったちづ。誰を好きでもいいと言って風早に告白しに走っていった爽子。恐らく中学の頃からずっと風早を好きでみんなの風早くんとして群れていた過激派の告白も出来ず玉砕した女子たち。

 想いの長さや深さなんて恋愛感情には何の意味も無い。偉くもない。告白出来なきゃ意味が無いって、一年や二年の時に嫌って程見て来た。


『何もしないって、悔いが残るよ。自分に決着、つかないから』


 過激派たちが失恋したときにちづがかけた言葉。重みがあった。心に響いた。


 だからこそ、振られるって分かっていても頑張って伝えたいと思えたし、行動出来た。告白出来ない恋は、ずっと後悔が残るって嫌という程見てきたから。

 案の定、振られたけれど、後悔は全くしていない。お陰でピンからは色んな言葉を貰えたし、見たことない顔まで見せてくれた。励ましてもくれたし、チョコレートも全部食べてくれた。卒業式前日も、当日も普通に喋る事も出来た。

 きっと告白しなかったら、普通に接する事も出来ずに終わっていただろうな。


『優しい奴だ』


 あたしのことを度々そう言って自信を付けてくれたけれど、ピンだって充分あたしから見たら優しいよ。ピンの方があたしよりずっと優しいじゃん。大学落ちたと思って必死で励ましてくれたし。ズルいよ。


 大学で友達は出来たけれど、好きな人は出来ていない。相変わらず異性からの告白は絶えないし、ナンパもされる。

 外見では無く、内面を見て好きになってくれる人もいた。勉強を頑張っているあたしを好きになって告白してくれる人もいた。

 けれど、どれも期待には答えることは出来なかった。

 やっぱりあたしはまだピンの事が好きだ。ピン以上の人を好きになったらと思っていたけれど、一年経ってもまだ全然そんな人は現れない。

 それどころか、ピンへの想いが大きくなっている。寂しい時、挫けそうになった時、勉強が辛くなった時、いつも思い出すのはピンの顔と言葉だった。

 あたしが今ここでこうしていられるのはピンのお陰だから。あたしを信じてくれたから。いつだってピンがあたしの心の支えだった。

 それにあの時、完膚なきまでに振ってくれたお陰で東京で頑張ろうと言う決め手にもなった。もしもあの日、OKされていたら……

 遠距離になっていたから、行くの嫌になっていたかもしれない。ずっとそばにいたいと思ったかも知れない。東京に行っても、ダメになっていたかもしれない。


 教師と生徒。ピンにだって立場がある。卒業するからと言って、例え範囲内だったとしても断られていただろうな。最初は教師らしくないと思っていたのに、誰より倫理観がある教師だった。

 あたしだって、無難を選んで安全な道を歩いてきたのに、寄りによって初めて好きになった人が教師だなんて、人生何が起こるか分からないな。


 初めて本気で好きになったからか、告白してもこの想いが消えてくれない。ちづには龍がいたけれど、他の人はどうやってこの想いを昇華しているんだろう。

 一生ピンだけ想って叶うか分からない恋をして恋人出来ずに終わる人生も嫌なんだけど。

 くるみや過激派の女子たちはどうやって風早を忘れたんだろう。


ーーいや、忘れなくてもいいのかな?


『あやねちゃんは多分一生、だいすきな女の子ではあるんだけどね!』


 笑って言ってくれたケントの言葉を思い出す。好きになれなかったのに。酷いことをしたのに、そう言っていい思い出として心に刻んでくれていて、嬉しかった。

 あたしも、ケントの様にピンをいい思い出に出来る日が来るんだろうか?

 今はまだ忘れられない恋だけれど、いつかいい恋だったと言えたらいいな。


 そう言えば大学の友人も今日のバレンタインデーに告白すると意気込んでいたなとふと思い出す。

 告白のタイミングって大事だし、人それぞれだけれど、バレンタインデーと言うのはやっぱり勇気の出ない女の子の背中を押してくれる。あたしも去年はその一人だった。あたしはダメだったけれど、いい思い出だった。あんなに頑張った一年は無いし、締めくくりの集大成として上出来だった。後悔もない。泣いて泣いて泣きまくったけれど、ピンが毎年あたしを振ったことを思い出してくれる日になるなら、した甲斐はあったけど、どうだろう?


「後九年、頑張るぞー!」


 友人の告白の成功と、ピンへの想いを原動力にして帰路に着いた。


 爽子とちづからバレンタインギフトが届いたお礼のメールが来たのは夜遅くの事だった。


 こうしてピンに告白したあのバレンタインデーから初めてのバレンタインの長い一日は終わった。





おわり