まだイタリアに住んでいた頃母方の祖母が亡くなった

母の実家はお寺なので

もちろんお寺での葬式となった

祖母が逝くとすぐに「村親戚」と呼ばれる地域の檀家さん達が大勢やってきて

我が家の様に男衆は大々的な大掃除

奥様方は料理や酒の支度に取りかかる

いろんなお寺様から色とりどりの今朝を着た住職様達が来て下さり

言葉は似つかわしいないかもしれないがそれはそれは豪華な式だった

なんでも寺同士の御葬式は特別の気持ちで臨むらしい

昔ながらの行き届いた香典の包み方に日本人の細やかな心遣いを感じたり

叔父である住職が立派に全てを終えてから初めて独りで本堂で「お母ちゃん」と何度も呼びながら大声で男泣きしていた事

初めて触った冷たくなった人の身体

大人になってから初めて身近で起こった死とヨーロッパで生活していた私がみた昔ながらの日本に根付く文化を見る事は

ものすごい経験となった


特に小さな小さなお寺を祖父と祖母が守り、今も大して大きくはないが本堂いっぱいこのお寺を大切に思って下さる方々が溢れている事が祖母の何よりの財産だと聞いた時に

私の死に対する考え方は全く変わった

もちろんこれは寿命と言われる年齢に近くなってから死ぬ場合

戦って納得して死ぬ場合

人によって突然命を奪われてない場合なのだが

死ぬ事は悪いことじゃない

会えなくて淋しいけれど

生きたことの証であるのだ

生きたことは出逢えた事だし、愛した事、愛された事だ

この日を境に私は

本当に死ぬことが怖くなくなった

人の死も受け入れていける

それは私が母になり子供を持つようになると変わるかもしれないけれど

会えなくなる悲しさ淋しさより

出逢えた感謝、生まれた喜びの方が大きく感じる

ただ死というものはあまりに大きくて人それぞれに考え方が違う

今回かんとの死を目の前にして前々から気になっていた家族との死への思いの違いが浮き彫りになってきた

もちろん思いなどみんな違っていいのだがそれぞれがどう死んでいきたいか

一度聞いて、もちろん私も伝えたいと思う

今の私は可能性の低い延命治療は絶対に望まない

来るべき時が来たらなるべく痛みがないように逝きたい

まわりに愛する人達がいてくれたら嬉しいが私が覚悟を決めたら引き留めないで送ってほしい
叫ばないでほしい

その時思いたい事はただひとつ

「いい人生だった。満足。ありがとう。」