《生物学的見解》

精神障害者は、その障害の根本的原因である神経学的・生化学的問題を一つ以上かかえており、それが何であるかは将来特定される、という〔生物学陣営の〕根強い確信がある。そこで、現在ある障害の診断を受けているすべての人が同じ神経学的・生化学的問題を持っていると言われているわけではない。

ハッキングはここで思考実験を促す。ある障害の唯一の病因があり、それをPと呼ぶとして、Pが何かをわれわれが時間をかけて発見するものとして想像せよ。病因Pが遺伝的か、神経学的か、生化学的かどういった種類のものとして発見されるかはここでの議論の目的上、重要ではなく、病因Pがどのように規定されるかに拘らず、「病因Pが存在する」と仮定する[117]。この仮定にもとづくと、病因Pは無反応な種類ということになる。病因Pはわれわれがそれについて発見したという事実(知識)だけによっては影響を受けない。


ジレンマと意味論的解決

「小児自閉症が根底において生物学的病因P=無反応な種類である」と仮定する。その時、小児自閉症が「相互作用する種類」であるという主張に何が生じるか?[119]。つまり、相互作用する種類とは、その種類に分類された人間が、そのように分類されたことに対して反応すること(ループ効果)を通じて、変化するような種類であるが、いかにして小児自閉症は相互作用する種類であると同時に無反応な種類であることが可能なのか?

この問いへのアプローチの一つとして、「あるものが社会的に構成されていると同時に本当に存在しているということが実際には可能である」という考えが検討される。

:ここでハッキングが論じようとすることは、「小児自閉症が特定の生物学的病因P“であり”(Pと同一であり)、それゆえに「自然」種あるいは無反応な種類であるということと、小児自閉症が、自閉症児と相互作用し、子どもが変化するにつれて発展し変化していく、相互作用する種類であるということ、これらが同時に成り立つ」ということである[119]。病因Pは意識し、判断し、道徳的で、幾分自律的でさえある自閉症児の行動、生活、感情に混乱を引き起こす。しかし、病因Pは上の仮定にもとづくと、人がそれに対し意識的であるためにPであるといったものではない。病因Pに関して基底的な遺伝学や分子レベルでの同定が果たす役割が大きくなればなるほど、より多くの人びとが人間のゲノムこそが見るべき場所であると言うようになり、それゆえますます、われわれが無反応な種類=「自然」種の領域を研究するということが自明のものとなっていく[119-20]。
 
《意味論的解決》

パトナム、クリプキの指示理論〔指示の因果性〕の観点から、小児自閉症と仮定された病因Pを考えてみる。この観点に基づくと、小児自閉症は自然種名である。そして、もし、多くの自閉症児が特定の生物学的病因Pを実際に持っているとすると、「小児自閉症」という名の指示対象はPである。この仮説に基づくと「小児自閉症」という名は病因Pの固定指示子である。ハッキングの語法によるなら、病因Pは無反応な種類であり、「小児自閉症」はこの種類の名前である。

この観点によると、先の難問は単に言葉の問題に過ぎないように思われる。もし、ある神経学的病因Pが自閉症と呼ばれているものの基礎にあるとすると、種名「小児自閉症」は固定的にその病因を指示する。たとえば、小児自閉症の名称が作られた過去の一時点において、命名者がまさに自閉症が実際に何であったか、つまりPであることを全く知らなかったとしても、Pを指示していたのだ、と言えることになる。
 ...パトナムの意味の理論は、たとえば「小児自閉症」という種類の名前の意味に、品詞、
カテゴリー、典型例、そして被定義語の外延として語が適用されるものの集まりを含める。
  つまり、「小児自閉症」の意味に、その指示対象(もしあれば病因P)が含まれるため。

すると、意味論的な解決では、必要な改訂を加えれば、ある人が「小児自閉症の社会的構成」を論じる場合、次の2つを問題なく主張できることになる。(a)知られてはいないある神経学的病因Pがおそらく存在し、それが、われわれが今、小児自閉症と呼んでいる原型的な事例、その他多くの事例の原因であること。(b)小児自閉症という観念が社会的構成物であり、セラピストや精神科医の治療法に関して相互作用するだけでなく、自閉症であることの現在の形態が自分たちのあり方そのものだと分かる自閉症児たち自身とも相互作用すること[121]。この場合、X=小児自閉症の社会的構成において、Xがとる値として、(a)Xの観念とその観念が意味することと、(b) X、つまりその存在の仕方がある意味では構成されているような現実の経験、が候補にあげられる。しかし、(c) 原因P(病因P)、つまり上述の仮定にもとづき、無反応な種類としてわれわれが扱っているもの、自然種(クリプキ流に言えば本質)は、その候補にはならない。

従って、意味論的解決は、あるものが相互作用する種類であり、かつ同時に、無反応な種類でもあることを説明できる。このように、ジレンマに対する意味論的解決の手法は評価できるが、ハッキングは、社会的構成という基本的アイディアと、病気や障害に関する固定指示子の使用には判断の余地があることを指摘する。ただし、指示の理論と社会的構成をともに使うことはジレンマの感じを減らす方法を示す。分類の意味よりも重要な「分類のダイナミズム」へ関心を向けるときに、意味論的アプローチは本当の貢献をなすことができる[122-3]。

《意味論ではなくダイナミズムの研究へ》

結局のところ「本当に存在している vs 構成されている」という対立は比較的マイナーな専門的な事柄である[123]。相互作用する種類のための用語は人間やその行動に適用される。その語はそれにより分類された人間と相互作用する。ある仕方で分類された人はそのように分類されたということに反応して変化するため、ループ効果を示し、そのため用語も改訂されざる得ない。他方、相互作用する種類のいくつかは、本当の因果的性質、すなわち生物学的種を選出し指示するかもしれない。この生物学的種は無反応な種類と同様に、人間がそれについて知っていることから影響を被ることはない。クリプキとパトナムの意味論はこの現象に形式的説明を与えるのに役立つ。

だが、意味論よりもより明確な結果をもたらすのは「相互作用する種類」のダイナミズムであるXについての観念、Xそのもの、Xであるという経験の社会的構成、それらがいかに互いに相互作用するかが問題となる[ibid.]。自閉症の例でいえば、Pの発見が自閉症児とその家族の彼らへの考え方にどのように影響するか、自閉症児の行動にどのような影響を及ぼすか。ループ効果がステレオタイプにもたらす影響などが興味を引く現象となる。


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〔メモ〕
・本当に存在している(real)と構成されている(constructed)の対立は、特殊で特異な事例をめぐる分類のダイナミズムの問題として捉え直される。
・相互作用する種類の語、分類のダイナミズム、ループ効果という用語により、あるいは、クリプキとパトナムの意味論をあげてハッキングが強調したことの一つは、おそらく、「分類」があるマトリクスのなかで生じる“相互作用の結果”、「分類されるもの」にリアルな影響を及ぼすということである(cf. Hacking 2004)。そしてまた、そこで分類そのものの修正が考察されうる。
・Xの観念、Xそのもの、Xであるという(主観的)経験の構成、その互いの相互作用が問題となるという論点は、R. BhaskarやM. Archerなどの批判的実在論の発想と近い気がする。

《文献》
Hacking, I. 2004. Between Michel Foucault and Erving Goffman: between discourse in the abstract and face-to-face interaction. Economy and Society, 33(3):277-302.