Cromby. J. & Nightingale, D. J. 1999. What's wrong with social constructioism?, in Nightingale, D. J. & Cromby, J. (eds.). 1999. Social Constructionist Psychology: a critical analysis of theory and practice, Open University Press.
Introduction
社会的構築主義の心理学が言語とディスコース(言説)に排他的に焦点化することへの批判的提言として、この章では社会的構築主義が現在、適切に考察していない三つの問題—具体化(embodiment)、物質性(materiality)、権力(power)の問題—を指示する。
社会心理学において構築主義は「態度」「記憶」「パーソナリティ」「感情」といった従来個人の性質や特性として見られてきた現象についての社会的説明を提供してきた。しかし、幾つかの例外を除き、社会的構築主義的な心理学に伴ういくつかの誤りがある。これらの問題の多くは社会的構築主義の過去15年の発展の不可避的な帰結である。特に、「言説的転回(discursive turn)」—構築主義による世界と人間の構成における言語の役割の強調—は人間生活の他の重要な要素の無視/軽視に導いた。
・三つのトピック[p.2]
具体化:具体化された要因とパーソナル—社会的な歴史の、社会的常用と個人の活動への影響
物質性:物質世界のなかにある可能性と拘束性が、常に既にわれわれがそれを通して生き、
それとともにある社会的構成のプロセスを形成し、informする仕方
権力:「資本主義」や「家父長制」のような用語のもとで通常記述される社会の構造的特性
から生じる制度政府、多元的な国家の権力と不平等
これらの要因は構築主義的な議論のなかで重要な位置づけを得ないか、言説に還元される傾向がある。本書の目的は、具体化、物質性、権力について論じ、これらの要因が言説に還元不可能であること、これらの要因を純粋に言説的なものとして扱うアプローチが誤りであることを主張することにある。そしてこのことは、必然的にここで提示する構築主義が「リアル」を包括するものであることを含意する。
What's right with social constructionism?
◆構築主義の内部における合意と非合意
社会的構築主義は多様で時に対立する観念を含む(cf. Gergen(1985); Burr(1996);Potter(1996):Danziger(1997))。だが、そこには以下のような原則の一つ以上のものを自らの心理学の核に位置づける論者により共有された広範な合意を指摘することができる。
( i ) 社会過程の重要性 [p.4]
・ 経験される世界と人びとが第一義的に社会過程の産物であるという認識の共有
・ しかし、それが適用される範囲についての合意は成り立っていない。
:テクストを超えたリアリティを認めるか否か、それについて知ることができるか否か
言説的な構築主義(Edwards&Potter 1992;Edwards, Ashmore & Potter 1995)と
実在論的な構築主義(Harre 1990の「環世界」概念)
( ii ) 歴史的&文化的特殊性
・ 文化が時代とともに、また、場所により変わり得ること、その変異の強調
:知識の対象の多様性だけでなく対象の発見の方法や「証拠」の概念の多様性
変化するのは世界についての単なる語りの仕方ではなく、語りの仕方のなかで
そこで構成される現実の生きた人間が、彼らを産出し支持する文化に従い変化する。
・ この変異の範囲については構築主義のなかでも見解が別れる[p.5]。
:文化的転換や無数のヴァリエーションと、文化を横断する一貫性と連続性の強調
( iii ) 知識と行為の相互関係
・ 「知識と社会的行為は調和する」(Burr 1995)
:われわれは特定の目的・特定の仕方で、世界を探求し、それについての「真」と見なす
知識を構成するために、知識と活動は密接に結びついており、知識は活動の産物である。
・ この主張の極端なバージョンは、全ての文化とあらゆる時代において真である事実の存在
を認めない。知識が常に局所的で特殊である範囲とそれが局所的な信念と活動に先行し
超越する世界の側面に根付いている範囲とについての見解の対立がある。
( iv ) 批判的スタンス
・ 知識が相対的で、実践から生じるという見解は構築主義に強力な批判的推進力を与える。
⇄中立的で無関心的な観察に基づく事実の発見についての実証主義的・経験主義的想定
・ だが、このような批判的スタンスにも二つの異なる流れがある
(Danziger 1997; Parker 1997)
:世界が社会的に構成され可塑的であることを認めるが、この理解を政治的批判のための
土台として使用する範囲において異なる。
The realism-relativism debate
( i )~( iv )の合意のなかには、社会的構築主義の限界の設定と言説を超えたプロセスの重要性を認める範囲についての非合意がある。近年では、これらの問いと多様な解答が結びつき「実在論ー相対主義論争」として記述される論争をうみだしている。
◆実在論—構築主義論争の概略と示唆
実在論:外的世界はそれについてのわれわれの表象から独立に存在するという教義
表象...絵画や地図のような人工物はもとより、知識、言語、信念、欲求を含み
われわれが世界と自らを知り、経験する(ことのできる)すべての方法を含む
相対主義:実在論の教義の否定。外的世界は原理的にも実践的にも接近不可能であるため
外的世界を想定ないし考察する必要はない。
社会的構築主義のなかでの相対主義的立場と実在論的立場:
社会的構築主義は、歴史的・文化的相対主義と社会的行為の部分および産物として知識を捉える
点で相対主義にほかならないように見える。
だが、超-言説的な作用の存在と批判の基礎を求め、多様性と同時に連続性を理解しようと
する欲求は社会的構築主義にとっての実在論的存在論の提起へ導く。
e.g. Harre 'Umwelten', Parker(1992)&Willig(1997)の批判的実在論
論争の概略:
相対主義的議論(Edwards, Ashmore&Potter 1995)
・ 相対主義の普遍化=社会科学の探究にとって唯一適切な基礎としての相対主義の採用
この主張は、「モノ」の存在と死、苦痛、病気などの「事実」というボトム・ラインの
言説的な把捉によって提起されている。
→「リアル」の範囲が社会的に構築されていることを示そうとする
・ Edwards et al.による二つの相補的ジレンマの指摘:
実在論者のジレンマ:相対主義に対し物理的実在性を強調するが、その主張/反駁は
不可避的にある時点で行われる行為と結びつく(×非媒介リアリティ)
相対主義者のジレンマ:「すべての人の見方を等しく妥当なものとして扱わねばならない」
特定の方法に特権的な基礎を与えるものではない。
→いずれも、言説を超えた世界について表象したり主張するや否や自らの足場を破壊する
これらの二つのジレンマは相対主義を実在論者に対置される積極的な主張としてでなく、
non-positionで批判や懐疑主義として採用することから生じる行き詰まりを生む。
相対主義はメタレベルの認識論として、実在論と相対主義を「レトリカルな実践」として
包括し分析する。この分析において相対主義は実在論に対する(弱い)勝利を獲得する。
相対主義的な構築主義への指摘(C&N):
・ 相対主義による実在論批判の問題点
:Edwardsらはモノと言葉の経験的な区別を曖昧にするために学術的戦略と文法的で
レトリカルな装置を採用する。それにより、彼らは実在論者にその妥当性の説明責任
を課し、実在論者がモノの実在などを証明しようとするなかでレトリカルな装置の
採用を避けられないことに行き詰まりを指摘する。
だが、明らかな行き詰まりは、リアリティが言説を可能にする条件を提供するにもかかわらず、言説そのものは—議論や主張がそうならざるえないように—表象、言説の相対主義的な舞台で生じることによってのみ生じている。
cf. 実在論者(J. サール)による以上のような相対主義的議論の動向への批判
外的リアリティは(実在論を証明する)議論や証明をフレーミングし、それを可能にするが
非媒介的でnon-occasionedな仕方で議論のなかに現れることはない。しかし、実在論は、
一つの主張でも仮説でもなく、主張や仮説のある特定の種類を持つ条件であるために、
相対主義の証明として扱うことは誤りである。
...この点を認識し誤ると、Edawardsらが自らに発見する行き詰まりを産出する
・ 相対主義の批判的有効性
:相対主義はすべての明らかな真への抵抗や挑戦の手段を提供するが自己反駁的となりうる
世界のどの側面が相対化され、また「現実-化」されるかは、認識論や存在論の問題でなく
典型的には道徳、政治、プラグマティックな規範により形成される一つの選択の問題である
Edwardsらは相対主義の自己反駁的特性を相対主義それ自体が伴うことのように受け入れる
が、困難は、むしろ理論的な収束を企図して彼らが相対主義に訴えることにある[p. 9]
・ 相対主義の評価—相対主義は従来の問いを真面目に扱う必要を回避する
:ポストモダニズムが克服してきたように見える問題を、相対主義は再導入する。
ex. 客観性、本質主義、素朴実在論
相対主義はただの理論的パースペクティヴや哲学的主張ではなく、文化的に与えられた
レトリカルな資源であり(実在論者の反駁のため利用される)、提起されている合理的な
問題への解決を与えるものではない。
相対主義の普遍化を試みる代わりに、社会的構築主義は今こそ、より困難で危険な課題に取り組まねばならない[p.10]。つまり、社会的領域に浸透しフレーミングする潜在性と拘束性を認識する必要がある。
......社会的構成のプロセスについての研究/知識と他の分野の研究の統合
世界の実在性を問題とするのでなく世界について語り&書く方法の発見
世界の中でのテクストの状況依存性の明確な認識 etc.
このようなアプローチの必要性を指摘するため、完全に言説的な(それゆえ相対主義的な)社会的構築主義が適切にアクセスし損ねるいくつかの問題を論じる。
Embodiment
・ 言説の研究は、その生の素材が「既に具体化された」存在の産物ではないかのように扱い、
会話が唯一の相互行為の形式ではないという事実を無視する。
:生物学的還元論、認知主義、本質主義の批判を伴う →言説への還元
・ さらに、構築主義は具体化の別の側面、主観性そのものの具体化の問題を扱わない
・ 主観性がどのようにして具体化された相互作用、物質的可能性、パーソナルで社会的な歴史
を通して構成されるかを認識し、理解する必要がある。
Materiality
・ 物質は言説のなかで現れ得るが、言説に還元できない。
・ 物質性は、われわれがそれにより&それを通して生活を生きる社会的構成にとっての
可能性を作り、それを拘束するために問題である。
・ 物質性の否定は社会的・言説的構成の必要な前提条件を破壊することに等しく、社会的構築
主義を信頼できないものにし、物象化の誤りに行き着く社会的なものの過度の強調に導く。
Power
・権力概念は多元的で相互排他的な定義をもつ
・その明確化は、その多元的な定義と非一貫的な使用が権力とその作用の分析と理解のために
社会的構築の潜在性を発展させる助けとなる
:具体化と物質性への適切な接近をし損ね、主観性とパーソナルで社会的な歴史を周縁に起き
続けるとそのような権力概念の明確化が開く可能性を発展させることはできない。
Conclusion
社会的構築主義による言語と言説への排他的関心が、具体化と物質性の問題を捉え損ねることの危険性の指摘と、後者を考察する必要性の主張
Introduction
社会的構築主義の心理学が言語とディスコース(言説)に排他的に焦点化することへの批判的提言として、この章では社会的構築主義が現在、適切に考察していない三つの問題—具体化(embodiment)、物質性(materiality)、権力(power)の問題—を指示する。
社会心理学において構築主義は「態度」「記憶」「パーソナリティ」「感情」といった従来個人の性質や特性として見られてきた現象についての社会的説明を提供してきた。しかし、幾つかの例外を除き、社会的構築主義的な心理学に伴ういくつかの誤りがある。これらの問題の多くは社会的構築主義の過去15年の発展の不可避的な帰結である。特に、「言説的転回(discursive turn)」—構築主義による世界と人間の構成における言語の役割の強調—は人間生活の他の重要な要素の無視/軽視に導いた。
・三つのトピック[p.2]
具体化:具体化された要因とパーソナル—社会的な歴史の、社会的常用と個人の活動への影響
物質性:物質世界のなかにある可能性と拘束性が、常に既にわれわれがそれを通して生き、
それとともにある社会的構成のプロセスを形成し、informする仕方
権力:「資本主義」や「家父長制」のような用語のもとで通常記述される社会の構造的特性
から生じる制度政府、多元的な国家の権力と不平等
これらの要因は構築主義的な議論のなかで重要な位置づけを得ないか、言説に還元される傾向がある。本書の目的は、具体化、物質性、権力について論じ、これらの要因が言説に還元不可能であること、これらの要因を純粋に言説的なものとして扱うアプローチが誤りであることを主張することにある。そしてこのことは、必然的にここで提示する構築主義が「リアル」を包括するものであることを含意する。
What's right with social constructionism?
◆構築主義の内部における合意と非合意
社会的構築主義は多様で時に対立する観念を含む(cf. Gergen(1985); Burr(1996);Potter(1996):Danziger(1997))。だが、そこには以下のような原則の一つ以上のものを自らの心理学の核に位置づける論者により共有された広範な合意を指摘することができる。
( i ) 社会過程の重要性 [p.4]
・ 経験される世界と人びとが第一義的に社会過程の産物であるという認識の共有
・ しかし、それが適用される範囲についての合意は成り立っていない。
:テクストを超えたリアリティを認めるか否か、それについて知ることができるか否か
言説的な構築主義(Edwards&Potter 1992;Edwards, Ashmore & Potter 1995)と
実在論的な構築主義(Harre 1990の「環世界」概念)
( ii ) 歴史的&文化的特殊性
・ 文化が時代とともに、また、場所により変わり得ること、その変異の強調
:知識の対象の多様性だけでなく対象の発見の方法や「証拠」の概念の多様性
変化するのは世界についての単なる語りの仕方ではなく、語りの仕方のなかで
そこで構成される現実の生きた人間が、彼らを産出し支持する文化に従い変化する。
・ この変異の範囲については構築主義のなかでも見解が別れる[p.5]。
:文化的転換や無数のヴァリエーションと、文化を横断する一貫性と連続性の強調
( iii ) 知識と行為の相互関係
・ 「知識と社会的行為は調和する」(Burr 1995)
:われわれは特定の目的・特定の仕方で、世界を探求し、それについての「真」と見なす
知識を構成するために、知識と活動は密接に結びついており、知識は活動の産物である。
・ この主張の極端なバージョンは、全ての文化とあらゆる時代において真である事実の存在
を認めない。知識が常に局所的で特殊である範囲とそれが局所的な信念と活動に先行し
超越する世界の側面に根付いている範囲とについての見解の対立がある。
( iv ) 批判的スタンス
・ 知識が相対的で、実践から生じるという見解は構築主義に強力な批判的推進力を与える。
⇄中立的で無関心的な観察に基づく事実の発見についての実証主義的・経験主義的想定
・ だが、このような批判的スタンスにも二つの異なる流れがある
(Danziger 1997; Parker 1997)
:世界が社会的に構成され可塑的であることを認めるが、この理解を政治的批判のための
土台として使用する範囲において異なる。
The realism-relativism debate
( i )~( iv )の合意のなかには、社会的構築主義の限界の設定と言説を超えたプロセスの重要性を認める範囲についての非合意がある。近年では、これらの問いと多様な解答が結びつき「実在論ー相対主義論争」として記述される論争をうみだしている。
◆実在論—構築主義論争の概略と示唆
実在論:外的世界はそれについてのわれわれの表象から独立に存在するという教義
表象...絵画や地図のような人工物はもとより、知識、言語、信念、欲求を含み
われわれが世界と自らを知り、経験する(ことのできる)すべての方法を含む
相対主義:実在論の教義の否定。外的世界は原理的にも実践的にも接近不可能であるため
外的世界を想定ないし考察する必要はない。
社会的構築主義のなかでの相対主義的立場と実在論的立場:
社会的構築主義は、歴史的・文化的相対主義と社会的行為の部分および産物として知識を捉える
点で相対主義にほかならないように見える。
だが、超-言説的な作用の存在と批判の基礎を求め、多様性と同時に連続性を理解しようと
する欲求は社会的構築主義にとっての実在論的存在論の提起へ導く。
e.g. Harre 'Umwelten', Parker(1992)&Willig(1997)の批判的実在論
論争の概略:
相対主義的議論(Edwards, Ashmore&Potter 1995)
・ 相対主義の普遍化=社会科学の探究にとって唯一適切な基礎としての相対主義の採用
この主張は、「モノ」の存在と死、苦痛、病気などの「事実」というボトム・ラインの
言説的な把捉によって提起されている。
→「リアル」の範囲が社会的に構築されていることを示そうとする
・ Edwards et al.による二つの相補的ジレンマの指摘:
実在論者のジレンマ:相対主義に対し物理的実在性を強調するが、その主張/反駁は
不可避的にある時点で行われる行為と結びつく(×非媒介リアリティ)
相対主義者のジレンマ:「すべての人の見方を等しく妥当なものとして扱わねばならない」
特定の方法に特権的な基礎を与えるものではない。
→いずれも、言説を超えた世界について表象したり主張するや否や自らの足場を破壊する
これらの二つのジレンマは相対主義を実在論者に対置される積極的な主張としてでなく、
non-positionで批判や懐疑主義として採用することから生じる行き詰まりを生む。
相対主義はメタレベルの認識論として、実在論と相対主義を「レトリカルな実践」として
包括し分析する。この分析において相対主義は実在論に対する(弱い)勝利を獲得する。
相対主義的な構築主義への指摘(C&N):
・ 相対主義による実在論批判の問題点
:Edwardsらはモノと言葉の経験的な区別を曖昧にするために学術的戦略と文法的で
レトリカルな装置を採用する。それにより、彼らは実在論者にその妥当性の説明責任
を課し、実在論者がモノの実在などを証明しようとするなかでレトリカルな装置の
採用を避けられないことに行き詰まりを指摘する。
だが、明らかな行き詰まりは、リアリティが言説を可能にする条件を提供するにもかかわらず、言説そのものは—議論や主張がそうならざるえないように—表象、言説の相対主義的な舞台で生じることによってのみ生じている。
cf. 実在論者(J. サール)による以上のような相対主義的議論の動向への批判
外的リアリティは(実在論を証明する)議論や証明をフレーミングし、それを可能にするが
非媒介的でnon-occasionedな仕方で議論のなかに現れることはない。しかし、実在論は、
一つの主張でも仮説でもなく、主張や仮説のある特定の種類を持つ条件であるために、
相対主義の証明として扱うことは誤りである。
...この点を認識し誤ると、Edawardsらが自らに発見する行き詰まりを産出する
・ 相対主義の批判的有効性
:相対主義はすべての明らかな真への抵抗や挑戦の手段を提供するが自己反駁的となりうる
世界のどの側面が相対化され、また「現実-化」されるかは、認識論や存在論の問題でなく
典型的には道徳、政治、プラグマティックな規範により形成される一つの選択の問題である
Edwardsらは相対主義の自己反駁的特性を相対主義それ自体が伴うことのように受け入れる
が、困難は、むしろ理論的な収束を企図して彼らが相対主義に訴えることにある[p. 9]
・ 相対主義の評価—相対主義は従来の問いを真面目に扱う必要を回避する
:ポストモダニズムが克服してきたように見える問題を、相対主義は再導入する。
ex. 客観性、本質主義、素朴実在論
相対主義はただの理論的パースペクティヴや哲学的主張ではなく、文化的に与えられた
レトリカルな資源であり(実在論者の反駁のため利用される)、提起されている合理的な
問題への解決を与えるものではない。
相対主義の普遍化を試みる代わりに、社会的構築主義は今こそ、より困難で危険な課題に取り組まねばならない[p.10]。つまり、社会的領域に浸透しフレーミングする潜在性と拘束性を認識する必要がある。
......社会的構成のプロセスについての研究/知識と他の分野の研究の統合
世界の実在性を問題とするのでなく世界について語り&書く方法の発見
世界の中でのテクストの状況依存性の明確な認識 etc.
このようなアプローチの必要性を指摘するため、完全に言説的な(それゆえ相対主義的な)社会的構築主義が適切にアクセスし損ねるいくつかの問題を論じる。
Embodiment
・ 言説の研究は、その生の素材が「既に具体化された」存在の産物ではないかのように扱い、
会話が唯一の相互行為の形式ではないという事実を無視する。
:生物学的還元論、認知主義、本質主義の批判を伴う →言説への還元
・ さらに、構築主義は具体化の別の側面、主観性そのものの具体化の問題を扱わない
・ 主観性がどのようにして具体化された相互作用、物質的可能性、パーソナルで社会的な歴史
を通して構成されるかを認識し、理解する必要がある。
Materiality
・ 物質は言説のなかで現れ得るが、言説に還元できない。
・ 物質性は、われわれがそれにより&それを通して生活を生きる社会的構成にとっての
可能性を作り、それを拘束するために問題である。
・ 物質性の否定は社会的・言説的構成の必要な前提条件を破壊することに等しく、社会的構築
主義を信頼できないものにし、物象化の誤りに行き着く社会的なものの過度の強調に導く。
Power
・権力概念は多元的で相互排他的な定義をもつ
・その明確化は、その多元的な定義と非一貫的な使用が権力とその作用の分析と理解のために
社会的構築の潜在性を発展させる助けとなる
:具体化と物質性への適切な接近をし損ね、主観性とパーソナルで社会的な歴史を周縁に起き
続けるとそのような権力概念の明確化が開く可能性を発展させることはできない。
Conclusion
社会的構築主義による言語と言説への排他的関心が、具体化と物質性の問題を捉え損ねることの危険性の指摘と、後者を考察する必要性の主張