あれは、四年前の夏のことだ。
叔母と浜松町にウィキッドを見に行った帰りのことだった。
最終便の過ぎた人気のないバスターミナル。わたしはそこで家の者の迎えを待っていた。
日付が変わろうという時間になっても少しも涼しくならない、蒸し暑い夜だった。わたしは停車場から少し離れた暗がりに自販機の明かりを見つけ、冷たいものを飲もうと待合室を出た。明りから少し離れるともう暗闇だ。雨が上がった後で、月も見えない。暗がりに自販機の明かりだけが不気味に浮かび上がっている。
自販機で冷たい飲み物を買い、待合室の戻ろうとする……。すると
たすけて……、たすけ……て
今にも消え入りそうな男の声が……、わたしの背後の、自販機のさらに奥の暗がりからかすかに聞こえてきた。わたしはぴたりと足を止めた。
今、なにか幻聴か、もしくは聞こえてはいけないものを聞いたのかもしれない、少し耳を澄ませてなにも聞こえなかったらさっさと立ち去ろう。そう思って暗がりに息を殺した。蒸し暑さなんて一息に吹き飛んで、背筋が凍る思いがした。
たすけて……、たすけてくれ……
確かに聞こえる。背後の暗闇から死んだような男の声がするのだ。なにか差し迫って助けを求めている様子ではない。どこかもう諦めのある、ぼそぼそとつぶやくようなか細い声だ。
幻聴なんかじゃない。でも暗闇から聞こえる男の消え入りそうな声は、やっぱり聞こえてはいけないものなのかもしれない。幽霊なんか信じてないのに、わたしは本気でそう思った。
聞こえてはいけないものなら聞こえなかったことにしよう。そう思いながらも、わたしは背後の暗がりを振り返った。
目立たないが古くはない小屋がある。よく見てみるとずいぶん目立たないところにあるものだが、よくある公衆トイレのようだ。男の声はなおも聞こえる。それはそのトイレから響いてくるようだ。わたしはそのトイレに近付いていった。
「そこに、だれかいるのか?」
どこからそんな勇気が湧いて出たのだろうか。わたしは暗闇に向かって声を上げた。
すると、そのトイレの曇りガラスになにかが当たる音がして、その向こう側でなにかが動いているのが見えた。そして曇りガラスの上部の換気用の狭い隙間を、中のなにかががさごそと乱暴に探るような音がして、そこからなにかが出てきた。
それは人間の手だった。
これ実話です。わたしの実体験ですとっておきの。今でもどうしてあんな真似が出来たのか信じられませんよ。逃げ出して当然なのに。
この後どうなったかは来週お話しましょう。