予告
「G」
遠野 栞 作
私の名前はG。昆虫である。
人間からはゴキブリと呼ばれているが、我々は自分たちのことをただGと呼ぶ。そしてその中でも私自身、親からもらった名前がGというのである。
世間からは大層嫌われている身だが同じ昆虫仲間ではそういうわけではない。蜚蠊と書かれるようだが虫に非ずというわけではないのだ。我々はれっきとした昆虫である。
どこで生まれたのかは記憶にないし、父も教えてはくれなかった。気づいた時には私は真っ黒でつやつやのボディを手に入れていた。その後いつしか家族とも別れて天涯孤独の身となり、我々一族の宿命である逃げ一徹の人生を送ってきた。その間に多くの友人もできたし恋人もいたが、彼らはみな私を残して死んでしまった。
これまで毎日が戦いの連続の、つらくないと言えばうそになる半生だったが、ここにきて歳のせいだろうか、長く住み慣れたこの東北の田舎町の寒さが身にこたえるようになってきた。我々は基本的に寒さには強い。だが私はこの歳になって上京を決意した。幾多の困難をすり抜けてきたGとして、一度は都会の喧騒に身を置いてみたい、そう思うのだ。
若い頃の夢を思い出す。かつて数々のトラップをやぶり、常に危険な状況に身を置きながらことごとく敵の攻撃から逃れ続け、逃げの神とまで呼ばれた伝説的なGがいた。私もそんな伝説の一匹になりたい、若い頃はそう思ったものだった。
人間やそのほかの多くの天敵が仕掛ける罠や攻撃から、自分の勘と根性だけを頼りに逃げて逃げて逃げ続ける、それが我々Gの一生だ。覇気のない年寄り夫婦の住むこの家は安穏と暮らすにはうってつけの場所だが、私もGとしての血が騒ぐのだ。妻子を持って身を落ち着けるGもいるが、私は風来坊でありたい。GはGらしく、孤独な逃亡者であるべきなのだ。
私は着のみ着のまま形ばかりの旅装を整え、いや、正確には裸一貫で、住み慣れた家の軒下を後にした。
プロローグより
