「おばあさん」

 私は恐る恐る声をかけてみた。しかしおばあさんはまだ手提げの中をまさぐる手を止めない。ブツブツと独り言まで言い出した。

「お、おばあさん!」

 大きな声で呼びかけると今度は反応があった。あれえ、と言っておばあさんは顔をあげた。

「おや、見ない顔だねえ。こんなところでどうしたんだい?」

 しゃがれ声でうっそりと言うと、おばあさんはおかしいねえと、また手提げの中身を探し始めた。

「あの、ここを誰か通りませんでしたか?朔司くん、男の子が」

「朔司?ああ、あれなら今ここを走っていったがね。なにをしてるんだか……、おお、あったあった」

 おばあさんは手提げの中からおまんじゅうを取り出すと、それを地面に並べた。またブツブツと独り言を言っている。

「ありがとう、おばあさん」

 邪魔をしないようにと一声かけて、私は次の階段に向かった。すると後ろから急に呼び止められた。

「ちょっとお待ち」

「え?」

 驚いて振り返るとしゃがんだおばあさんがこっちを向いて手招きをしていた。

「だぁめだよ、ここを通るんならちゃんと女郎さまに挨拶していくんだ。ほら、こっちにおいでな」

「あ、はい」

 なんのことかわからなかったが、戻ってみるとおばあさんは手提げから出したおまんじゅうを祠に供えるところだった。本当に小さな祠だ。ひっそりと踊り場の隅にあるので普通なら見落としてしまうだろう。それくらい目立たない。まわりを見てもなんの祠なのかわかるような札も碑も見当たらなかった。

「ほら、ここにおいでな」

 私は促されるままおばあさんの隣にしゃがみこんだ。おまんじゅうを渡されたので一緒に祠にお供えした。

「女郎さま、今日もお目許、ちっと通してくだしゃんせ、とおりゃんせえ」

 そう言っておばあさんは祠に向かって手を合わせた。私もそれに倣った。

 もう朔司はずいぶん先に行ってしまっただろう。他の2人もどこかで待っているかもしれない……。

「ほら、おまえさんも一緒にお願いするんだよ」

「あ、はい」

 祠に向かって目を閉じて考え事をしていたら声をかけられた。私はおばあさんに続いてさっきの言葉を繰り返した。

「ねえおばあさん、女郎さまってなに?」

 朔司の後を追う前に気になったので聞いてみた。

「あれ、知らないのかえ、足切女郎さま。この坂道の神様だよ。ここを通る人を悪いものから守ってくださるが、敬わなければ罰があたるとな」

「え、足切女郎って、ここがその石階段なの?」

 石階段の幽霊の話は村に来てから何度か聞いたことがある。聞く度に怖い思いをしたものだが、ここがその場所だとは知らなかった。

「そうだよ。さあ、もう挨拶は済んだから行ってもいいよ。朔司のやつはもう下へ降りていったがな」

おばあさんはよっこらしょと腰をあげて下を指差した。

「あ、うん。だけど、大丈夫かな……、私、怖くなっちゃった」

「なにが怖いんだい。おまえさんはちゃんと挨拶をした。だから女郎さまが守ってくださるさ。あと、階段の数は数えちゃいけないよ、いいね?」

「え、私さっき数えちゃった……」

「本当かえ、でも、もう覚えてないようだけ」

「う、うん。途中でわからなくなっちゃった」

「じゃあ大丈夫だよ。お行き」

「はい」

 私はお辞儀をしておばあさんのもとを立ち去った。すると次の階段の前でまた呼び止められた。

「ときにおまえさん、名前は?」

「あ、雪枝、能美雪枝って言います」

「ああ能美かえ。それじゃあ雪枝、気をつけておりるんだよ。転ぶんじゃないよ」

 そう言っておばあさんは軽く手を振った。

「うん。ありがとうおばあさん」

「あたしゃダイっていうんだよ。ダイばあさんとお呼び」

「はい。さよなら、ダイおばあさん!」

 私は手を振って踵を返した。その時、それまでずっと表情を変えなかったダイばあさんが、かすかに口元をゆるめて笑ったのが見えた……。



◇◆◇◆◇



 ダイばあさん。その後も何度か顔を合わせる機会があったが、この時が初めてだった。クールなおばあさんだったが、村の間では変わり者と見られていたらしい。あの名もなき祠にお供えをしていたのもダイばあさんだけだった。

 足切女郎の石階段。初めて行ったあのときまでここのことだとは知らなかったが、その怪談はその前にも聞いたことがあった。確か町内会かなにかの集まりで夜に村の青年館に行ったときに、好雄のおじいさんから聞いたのだった。

 それはこんな話だった……。




つづく