啓示の共通点 マザーテレサの告白
 
・甘美で慰めに満ち、イエスと固く結ばれた体験
・イエスの召命に従って生きていく
 
死後、明らかにされたマザー・テレサの「心の闇」
(http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-50/spnl-50-1.htm より一部抜粋) 
 
*イエスとの出会いから始まった表と裏の両面

マザーの「神の愛の宣教者会」は、マザーが36歳のときにダージリンへ向かう列車の旅の最中に起きた不思議な体験(神秘体験)が出発点となっています。そのときマザーは、現実さながらの生き生きとしたイエスと出会い、イエスから語りかけられたと述べています。マザーはイエスから、「修道院を出て貧民街に行き、貧しい人々への奉仕活動に携わるように」との召命(しょうめい)を受けたということです。そしてマザーは38歳のときに修道院を出て、院外居住者としての生活を始めるようになります。その2年後、マザーは「神の愛の宣教者会」を開設します。

この「神の愛の宣教者会」での活動が、マザーの名を広く世界中に知らせることになりました。“貧民街の聖女”としてのマザーの「表の顔」はどんどん知れわたり、多くの人々に感動を与えることになりました。マザーは“イエスとの出会い”という神秘体験によって「神の愛の宣教者会」を設立し、気高(けだか)く美しい奉仕者としての「表の顔」の路線を突き進むことになったのです。


マザーにとってイエスとの出会いは、まさに人生を根本から変える最大の出来事でした。ところがこの神秘体験が、マザーに歓喜と希望をもたらし奉仕活動に拍車をかけさせると同時に、皮肉にも「心の闇」を生み出すことになったのです。「神の愛の宣教者会」設立のきっかけとなった歓喜の体験が、マザーを苦しめ続ける裏の世界の出発点にもなってしまったのです。


注)イエスと出会って召命を受けたという“神秘体験”が、果たしてマザーが語る通りのものであったのかどうか、多くの人々の議論の的になりました。その真相については現在まで明確な見解は示されず、謎のままになっています。世界中のキリスト教関係者や神学者も、マザーを批判する無神論者も、またマザーの献身的な奉仕活動に感動し彼女を理想化してきた人々も、この神秘体験の真相を説明することはできませんでした。


*マザーテレサの神秘体験

マザーの死後に出版された書籍や今回の“Come Be My Light”によって、さらに詳しい内容が明らかになりました。ここでは2007年に出版された『マザー・テレサの真実』の中から、マザーの神秘体験の内容を見ていきます。

インドのカルカッタ(現コルカタ)で修道院生活を送っていたマザーに結核の兆候が見られたため、マザーは空気のきれいなダージリンに行って静養するようにと命じられました。1946年9月10日、ダージリンへ向かう列車の旅の途中、マザーが祈りをしていると眼前に突如、十字架につけられた現実さながらのイエスの姿が現れました。そしてイエスはマザーに“I THIRST”(*)と叫びました。十字架につけられたイエスの傍(かたわ)らには、母マリアや使徒ヨハネやマグダラのマリアの姿も見えました。思いがけない光景に遭遇してマザーは混乱しました。やがてマザーを乗せた列車はダージリンに到着しました。

こうした一連の体験を、マザーはその後、イエスからの直接的な召命であったと理解するようになります。「神の愛の宣教者会」の設立は、この神秘体験が出発点となっています。そのため「神の愛の宣教者会」では、マザーがイエスから召命を受けた1946年9月10日を“インスピレーション・デイ”と呼んでいます。


注)「私は渇く」という意味のこの聖句は、新約聖書の4つの福音書の中で、ヨハネの福音書だけに出てきます。

ダージリンでマザーが、列車の中での神秘体験をどのように考え受け止めてよいのか分からず一心に祈りをしていると、聖母マリアが現れて「イエスの言われることに“はい”と言って従いなさい。今は分からなくてもその言葉に従いなさい」と語りかけます。その後、決心が固まらないマザーに対して、イエスは再び現れて呼びかけます。イエスの声は、早く次なる行動(*修道院を出て貧民街に入ること)に移るようにと催促します。

このときの様子を、マザーはペリエール大司教への手紙の中で次のように記しています(*片柳弘史・編訳『マザー・テレサ書簡集』ドン・ボスコ社発行より、マザーの手紙の一部を引用)。

「イエスの仕事をインドでするように何者かが私に呼びかけているから、これらすべてのことをするのです。このような考えは多くの苦しみを生みました。しかし、その声は言い続けるのです。“あなたは拒むのですか”と。ある日、聖体拝領をしているときに、同じ声がはっきりと言いました。“私はインド人の修道者がほしいのです。私の愛のために自らを犠牲にする人々。(中略)十字架の慈しみによって満たされ、愛に満ちた修道女たちがほしいのです。あなたは、私のためにそうするのを拒むのですか。”」

「“あなたは伴侶である私のために、そして人々の魂のためにもう一歩を踏み出すことを恐れるのですか。もうあなたの寛大な心は失われたのですか。私はあなたにとって二番目に大事な存在にしかすぎないのですか。あなたは人々の魂のために死んでいません。(中略)もう一歩踏み出すことで、あなたは私の望みに応えることができます。”」

こうしたイエスの言葉に対してマザーが、「ロレット修道会でこれまで通りあなたのために努めていきたい」と述べると、イエスはさらに次のように語ります。

「“私は、インド人の神の愛の宣教者たちがほしいのです。とても貧しい人々、病気の人や死にかけている人、幼いストリート・チルドレン。彼らのあいだにあって私の愛の炎となれるような人々がほしいのです。貧しい人々を私のもとに連れてきてほしいのです。私への愛の犠牲として自分の生涯を差し出す修道女たちは、彼らの魂を私のもとに連れてくることができます。あなたが最も無能な者であること、弱くて罪深い者であることは知っています。でも、私はあなたがそのような者であるからこそ、あなたを私の栄光のために使いたいのです。あなたは拒むのですか。”」

イエスの言葉はマザーを恐れさせました。一方、マザーの神秘体験を聞いた教会の霊的指導者(エクセム神父)は、マザーに神秘体験のことは忘れ、これまで通り修道生活を全うするように説得します。こうしたことがあってマザーは、イエスが求める使命を自分から取り除いてくれるようイエスに頼んでほしいと、マリアに懇願します。

しかし祈れば祈るほど、イエスの声はますますハッキリしたものになっていきました。そして駄目押しするかのように、マザーに語りかけます。ほとんどイエスからの脅迫のようです。

「“あなたはいつも『あなたが望むすべてのことのために私を使ってください』と言っていたのではありませんか。今こそ、それを実行に移してほしいのです。私の小さな伴侶、私の小さな者よ、私にそれをさせてください。恐れてはいけません。私がいつもあなたと共にいます。あなたはこれからも苦しむでしょうし、今も苦しんでいるでしょう。でも、もしあなたが私の小さな伴侶であるなら、十字架につけられたイエスの伴侶であるのなら、あなたの心に起こるこれらの苦しみを耐えなければいけません。”」

「“もしあなたが、毎日どれだけ多くの子供たちが罪に落ちているかを知っていさえすれば……。裕福で有能な人々の世話をしている修道女たちの修道院は、たくさんあります。でも私のとても貧しい人々のための修道院はまったくないのです。私は彼らを望み、彼らを愛しているのに、あなたは拒むのですか。”」

マザーはイエスの言葉を記した手紙をペリエール大司教に送った後、ダージリンからアサンソールに移動します。そしてマザーは徐々に、イエスの召命に従って生きていくことを決意するようになります。マザーはアサンソールで瞑想の日々を過ごし、そこでイエスとのさらなる神秘体験を続けていくことになります。

マザーは「アサンソールでは、まるで主(イエス)が私に自分を丸ごとくださったようでした。しかし甘美で慰めに満ち、主と固く結ばれた6カ月はあっという間に過ぎてしまいました」と述べています。マザーは再びカルカッタに戻り、貧民街での奉仕活動を始めることになります。

以上が、現在公表されているマザーの神秘体験の内容です。もちろんこれ以外にも教会関係の事情などから公表されていない資料があることでしょう。特にマザーの最初の霊的指導者であったエクセム神父には、マザーは神秘体験について詳しく述べていたはずです。

しかしエクセム神父がマザーから聞いた内容は、ほとんど公表されていません。マザーの神秘体験を考えるうえで重要な内容の一つがアサンソールでの“神秘体験”――甘美で慰めに満ち、イエスと固く結ばれた体験ですが、これについての詳細は明らかにされていません。
 
***
 
生前のイメージを崩すマザーの「内面告白」
マザーを敬愛する人々は、神に対する深くて不動の信仰心が彼女の献身的・犠牲的な奉仕活動の源であり、純粋な利他愛の土台であると思ってきました。マザーはしばしば神への信仰を力強く語り、人々を励まし勇気を与えてきました。マザーは絶えず神に感謝の祈りを捧げています。私たちは、神への信仰のゆえにマザーの人生は、常に明るく積極的で希望に満ちたものであったと考えてきました。
 
ところが彼女が一部の神父たちに宛てた手紙には、それとは全く反対の“神の存在への疑念”が延々と述べられていたのです。
“Come Be My Light”の出版によって、マザーを悩ませ苦しめてきた「心の闇(霊的闇)」の存在が広く知られるようになりました。
 
マザーの内面告白を綴った手紙は、多くの人々、特にキリスト教関係者に大きなショックを与えることになりました。
人々は、マザーを理想的な信仰者・揺るぎない不動の信仰者と考えてきたからです。
まさかマザーが神の存在に疑念を抱き、亡くなる直前まで“神の不在感”という「心の闇」に悩み苦しんできたことなど想像だにしなかったのです。
 
一部の神父だけが知っていたマザーの「心の闇」
最初
◆1953年(マザー43歳)……ペリエール大司教への告白
「私の心の中に恐ろしい闇があるために、まるですべてが死んでしまったかのようです。私がこの仕事(*インド貧民街での奉仕の仕事)を始めるようになって間もないときから、このような状態がずっと続いています。」
 
 
◆1957年(マザー47歳)……ペリエール大司教への告白
「私の魂の中には、あまりにも多くの矛盾があります。神への深い思慕の情――神との触れ合いを渇望するその思いが、繰り返し私に苦しみを与えるのです。私は神から求められてはいません。神から拒絶され、虚しく、信仰もなく、愛もなく、熱意もありません。私の魂には何ひとつ魅力あるものがありません。天国は何の意味もありません。それは私には空虚な場所のようにしか感じられません。」
 
 
「私のために祈ってください。私がイエスにずっと微笑んでいられるように祈ってください。私は“神がいない”という地獄の苦悩を少し理解しています。しかし、それを表現する言葉が見つかりません。」
 
 
◆1958年(マザー48歳)……ペリエール大司教への告白
 
「苦痛があまりにもひどいので、あらゆる世間の評判や人々の話に何も感じることができません。」
「主は、私が闇の中にいる方がよいと思っておられるようです。主は、私一人を残してまた去ってしまわれました。」
 
 
 
◆1959年(マザー49歳)……ピカシー神父への告白
「主よ、あなたが見捨てなければならない私は、いったい誰なのでしょうか? あなたの愛する子供は今、最も嫌われ者になっています。あなたから求められず、愛されず、私はあなたから捨てられてしまいました。私はあなたを呼び求め、すがりつきますが、あなたは応えてくれません。闇はあまりにも暗く、私は孤独です。求められず、見捨てられて、私は独りぼっちです。愛を求める心の寂しさに耐えられません。
私の信仰は、いったいどこに行ってしまったのでしょうか? 心の底には、虚しさと闇しかありません。主よ、この得体の知れない痛みは、何と苦しいことでしょう。絶えず私の心は痛みます。私には信仰がありません。私の心に次々と湧いてくる考え、私を苦しめる言葉にできない苦悩を口にすることはできません。答えを見い出すことのできない多くの疑問が、私の中に存在しています。私はそれを打ち明けるのが怖いのです。それが神を冒涜(ぼうとく)することであると思うと……。もし神がおられるのなら、どうか私を許してください。すべてがイエスとともに天国で終わるという希望を、信じさせてください。(中略)
愛――その言葉は何の喜びも私にもたらしません。神が私を愛していると教えられてきました。しかし闇と冷たさと虚しさに満ちた現実があまりにも大きいため、私の心は何の喜びも感じることができません。私が(奉仕の)仕事を始める以前には、愛も信仰も神への信頼も祈りも犠牲精神も私の中にありました。主の呼びかけに忠実に従う中で、私は何か間違いをしでかしたのでしょうか? 主から与えられた奉仕の仕事に、私は疑いを持ってはいません。その仕事は私個人のものではなく、神ご自身のものであると確信しています。(中略)
彼等(*同じ奉仕に携わるシスターたちや世の人々)は、私の心の中には神への信仰と信頼と愛が充満し、神との深い交わりと神のご意志との結びつきが心を駆り立てているに違いないと思っています。彼らは、私が表面上の明るさという仮面によって、どれほどの虚しさと苦悩を覆い隠しているのかを知りません。(中略)神よ、あなたはあまりにも小さき者に何をしておられるのですか?」
 
「主よ(イエス様)、あなたは幼少期より私を召命され、あなた自身のものとしてこられました。私たちは共に同じ道を歩んできましたが、今、私はそれに背いて別の道を行こうとしています。地獄にいる者は、神を見失ったために永遠の苦しみを味わうようになると言われていますが、そうした彼らでも“神がいる”というわずかな希望があるならば、あらゆる苦しみを耐え忍ぶことができます。
しかし私の魂は神を見失い、神が私を必要としていない、神が存在していないという魂の激痛に苛(さいな)まれています――主よ、どうか私の不敬をお許しください。私は「すべてを語るように」と言われました――私をすっぽりと取り囲んでいる闇の中で、私は自分の魂をあなたに向けて高めることができません。光もインスピレーションも私の魂に入ってきません。私は人々の魂に向けて、神の慈愛を語っていますのに……。
私は、いったい何のために働いているのでしょうか? もし神が存在しないとするなら、魂は存在できません。もし魂がないのなら、主よ(イエス様)、あなたも真実ではありません。(中略)
私の心には信仰がありません。愛も信頼もありません。あまりにもひどい苦痛があるだけです。(中略)あなたと私との間には、恐ろしいほどに高い垣根(分離)があります。私はもうこれ以上、祈ることはできません。あなたと私を結びつける祈りは、もはや存在しません。私はもう祈りません。私の魂はあなたと一つではありません。(中略)
私はあなた(イエス様)が、大きな愛と力をもって私を今の仕事に召命された事実を疑ってはいません。私を呼び寄せられたのがあなたであったことを、私は知っています。この仕事は、あなた自身がなすべきものであるからです。しかし私には信仰がありません。私は信じていません。イエス様、私の魂を惑わせないでください。」
◆1961年(マザー51歳)……ノイナー神父への告白
 
「私の前にいるシスターたちは、神を愛し、神に近づき、日々成長の歩みをしています。しかし私は、孤独そのものなのです。空虚で、神から除外され、求められていません。」
 
 
◆1962年(マザー52歳)……ピカシー神父への告白
 
「私には信仰もなく、愛もないのです。人々は、私の信仰を見て、神のもとへ引き寄せられると言います。これは人々を偽っていることにならないでしょうか? 私は、本当のことを言いたいのです。“私には信仰はありません”と伝えたいのです。しかし、その言葉を口にすることはできません。」
 
◆1979年(マザー69歳)……ピート神父への告白
[ノーベル賞受賞の3ヶ月前]
「イエスは、あなた(ピート神父)を非常に愛しておられます。(中略)しかし私はといえば、沈黙と虚しさがあまりにもひどく、見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえません。
 
◆1985年(マザー75歳)……アルバート・ヒュアート神父への告白
「私がシスターや人々に神や神の仕事について口を開くとき、その人たちに光と喜びと勇気をもたらすことをよく理解しています。しかしその私は、光も喜びも勇気も何も得ていないのです。内面はすべて闇で、神から完全に切り離されているという感覚です。」
 
 
***
 
ヒュアート神父は、2001年、マザーとピカシー神父との間に交わされた手紙を神学雑誌に載せ、
マザーの「心の闇」の存在を初めて世間に公表しました。
 
 
聖人と目(もく)されてきたマザーが“神に対する疑念”を告白していたことは、多くの人々にたいへんな驚きとショックを与えました。
まさかマザーにこんな一面があったとは、誰も想像していませんでした。
しかも驚いたことに、その「心の闇」はずっとマザーに付きまとい、マザーが他界する直前まで続いていたのです。
 
 
この本はカトリック関係者によって出版されたことから明らかなように、マザーの「心の闇」を不信仰という形で示そうとしたものではありません。
また、マザーの告白内容によってキリスト教のイメージが崩されるようになるとは考えていなかったことも分かります。
 
マザーは、自らの闇の部分を人々に知られないように「表の顔」に徹する努力をしてきたと思われます。
(*マザーが生前、「神父たちに宛てた手紙を処分してほしい」と再三にわたって願い出ていたのは、
「自分を慕っている人々にショックを与えたくない」との思いがあってのことと推察されます)。
 
 
“ノーベル平和賞”受賞のスピーチ
「私は、いただいたノーベル平和賞の賞金で、家がない多くの人々のためにホームをつくろうと思います。なぜなら“愛”は家庭から始まると信じているからです。もし貧しい人々のために家をつくることができたなら、もっともっと愛が広がっていくと思います。そして愛を理解することによって私たちは平和をもたらし、“貧しい人々”――家庭の中の、国家の中の、世界の中の貧しい人々に福音をもたらすことができるでしょう。(中略)大きなことをしようとするのではなく、どんな小さなことにも愛を込めて行うことが大切です。そうすれば、真実の愛があふれる場所となるでしょう。」