認知症になった父に初めて会ってきました。

「病院のエレベーターの2階で降りてすぐのところに面会届があって、

それに記入してボタンを押すと看護師さんが来て、

お父さんのとこに連れて行ってくれるから・・・」

と母から聞いていたので、

ナースステーションに面会届があって

「すみませ~ん」と呼んだら来てくれる・・・

という感じを想像して行ったのですが・・・。

エレベーターを降りたらただの空間しかない、

ナースステーションもなければ誰もいない。

しっかりと閉ざされた大きなドアが2つ。

いったい、どうしたらいいのか戸惑いましたが

よく見ると小さな台に何やら用紙とペンが・・・。

面会したい患者や自分の名前、患者との関係、自分の連絡先

などを書く欄があったのでとりあえず記入していると、

「ガチャン!ガラガラ・・・」

と音がして近くにあった大きなドアが開いて中から看護師さんが出てこられました。

それでそっちに振り向いたとき、

そのドアのそばにチャイムを鳴らすボタンがあるのに気づきました。

面会届を書き終えてから改めてそのボタンを押してみると

再び中から鍵の開く音がして、看護師さんが出てこられました。

用紙を渡すと、

「○○○(父の名前)さんですね、どうぞ」

と言われ、中へ案内されました。

認知症の患者さんがたくさん入院している病院なので

勝手に出入りできないように厳重に管理されているようです。

少し通路を歩いた先にナースステーションらしきスペース、その先にまた扉があり、

そこでもまた鍵を開けてその扉の向こうに行くと、

たくさんのおじいちゃん、おばあちゃんたちがくつろいでおられました。

ですが、私の父はそこではなくその奥の病室にいるとのことで

看護師さんが呼びに行ってくださり、

ある病室から父が出てきました。

2年ぶりに見た父の姿は、少し老けた感じがしました。

少し背中が曲がってきたのか、小さく見えました。

離れたところから、看護師さんに何か言われている(多分、娘さんが来たよ、とか?)父に、

「お父さん!」

と、声をかけました。

大きな声でそう呼んだのはいつ以来だろう。

父は私を見て、笑って

「久しぶりじゃのう」

と言いました。

確かに、2年ぶりだったので私も、

「お久しぶりです」

と言いました。

その後、面会室に案内され、中に入ると、

「ほかの患者さんが勝手に入るから、鍵をかけて行きますね」

と言って、看護師さんが出られ、廊下側から鍵をかけられました。

それからしばらく、父と2人で話しました。

話を始めてすぐに、あぁ、確かに、認知症になってしまったんだな、

と実感しました。

父の口から出る言葉に何度も違和感を覚えました。

「もう、何十年会ってなかったかのう?」と言われ、

さっきの「久しぶり」は、そんなに会ってない感覚で言っていたのか、と驚きました。

「結婚はしたんか?」と聞いてきたときに

そこまで、分からなくなってるんだなと、胸が痛みました。

私が結婚することを最後まで許してくれなかった父。

あれ以来、私は父から事実上、勘当された状態になっていることも

もう覚えていないようでした。

いつか父とゆっくり話せる時が来たら

父を悲しませてしまったこと、

孫を抱かせてあげられなかったこと、

長いこと会いに行かなかったことを謝りたいと思っていたけど

もう、謝ってもきっと、父はその意味を理解できないのだと思うと

とても切ない気持ちになりました。

でも、こうなってしまったことで私がしたことを無かったことにはしたくない。

これからは娘として父のためにできることを探りながら

今までしなかった親孝行を遅ればせながらでもしなければと

強く思いました。



ずっとニコニコして話をしていた父が、ある時急に真剣な顔で言いました。

「親としての役目を果たせたんじゃろうか」

父もそんなことを考えていたんだなと思いつつ

「感謝してるよ」

と言うと、

「そうか。ありがとう」

と笑っていました。



手土産のお菓子を「おいしい、おいしい」と言って食べる父と、

いろんな話をしました。

親戚の人のこと、家のこと、東京にいる弟のこと、

病院の窓から見える場所の思い出、今の私の生活のこと、などなど。

その途中、父は私を見ながら

「お前・・・・肥えたか?」

と笑いました。

普通なら、「太った?」なんて言われたら嫌な気分になるものですが

このときは嬉しかった。

変化に気づくということは、前の私をちゃんと覚えてくれてるということだから。

いつまで前の私を覚えてくれているだろう。

次に会いに行った時もその次に行った時もずっと、

また、

「肥えたか?」

と言ってほしい。