2014年9月8日
おばあちゃんが亡くなりました。
もともとはリウマチのような症状からがはじまりでした。
指がまがったままで動かない、痛い。
そういえば、5年前からそんな叫びを聞いていたっけ。
はじめはお灸をすえてあたためると楽になる、
そう言って、たくさんのお灸がおばあちゃん家に転がっていた。
いつのまにか、それでも間に合わなくなったようで、
かかりつけのお医者さんのもとで、たくさんの薬を処方されていた。
もちろん、毎日それを飲んでいた。
おばさんは、薬の量を気にして、なんとか減らすようなアドバイスをしたり
運動するように促したりしていたようだけど、
おばあちゃん家に下がっている薬の袋の中身は、いつ行ってもパンパンだったような気がする。
間もなく症状は悪化し、検査検査の毎日がはじまった。
いくつもの病院をあたって、ついに胃にちいさなポリープがみつかった。
とってみないと、良性か悪性かわからないとのこと。
医師に言われるがままに、おばあちゃんは手術をした。
手術の結果、ポリープは良性だった。
傷口が痛い、痛い、と病室で言ってたなぁ。
退院後、元気になったようにみえたおばあちゃん家の薬の袋には、
なぜかまだ薬がパンパンにはいっていた。
元気になったのに何の薬を飲むんだろう、ふと頭をかすめた気がする。
しばらくして2年前頃から、今度は腎臓の調子がおかしいことがわかった。
おしっこからタンパクを出せないので、脚がパンパンにむくむ。
むくみをとるために利尿剤を飲む、そうすると心臓に負担がかかり動悸の症状が出る。
負のスパイラルに陥っていった。
人間の体のリズムを失ったおばあちゃんは、
薬で生かされている、というよりも、薬に翻弄されているようだった。
2014年7月に、ついに入院し、毎日点滴を打つ日々が続いた。
ご飯も口から食べられない。
体はとても冷たく、痩せて、しわしわでしぼんでいくような感じだった。
そして2か月後の今日、11時20分頃、苦しむことなく息をひきとりました。
おばあちゃんは、もっと生きたかったのかな。
それはわからないけれど、
どんどん症状がでてくる中で痛み苦しみ、
現代医療 という選択肢しか持ち合わせておらず、
それにすべてを頼りきって、
他の誰もが他になすすべがないと現代医療に依りかかり、
でも一向に良くならない症状に、
みんなが歯がゆさを感じ、それでも元気になってまたお話がしたいと、
自分にできることをみんなが一生懸命考えて・・・
でも、、、足りなかった。
できることはなんだったんだろう?
そもそも人間は、なぜ生きているの?
どうやって生きているの?
体ってどういう仕組みなの?
病気って、なに?
なぜ病気になるの?
何が原因なの?
原因はひとつだけ?
本当に薬は必要なの?
薬以外に、選択肢はなかったの?
体だけみていればいい?
心と体は別ものなの?
おばあちゃんが入院する少し前から、
「現代医療」って、何?と疑問をもつようになっていました。
それは、子どもが熱を出したとき。
あきらかにそれは、私に対する不満だとか、不安があるからだとしか考えられなかった。
私と一緒にいる時間が少ない不平なんじゃないか、となんとなく感じた。
次の日の仕事のことや、休みを取ることに対する罪悪感、これは、単なる親の勝手な感情で、
そのために、子どもの精一杯の主張=発熱 を、薬を使って抑えるなんて、
なんて残酷なことをしているんだろう、と思ったことがはじまりでした。
インターネットが普及して、気になるワードを入れると情報がたくさん出てくる。
「現代医療」の他にも、代替医療というものがたくさんあった。
現代医療の落とし穴がだんだんとわかってくるにつれて、
ますます薬なんて不要なものだ、と私の中で結論がでてきた。
でも。
どうやって、それを信じている人にそれを伝えていけばいいの?
私が正しいと思うことを、「これが絶対に正しいんだよ、あなたはおかしいよ」
そう言って否定することは、現代医療がやっていることと変わりないじゃないか。
そう言われることの憤りも、私はわかっているつもりだから、
ますます、どう伝えていけばいいんだろう。
私には何ができるんだろう。
どうしたら目の前で苦しんでいる人を救えるんだろう。
でも、そもそも救ってほしいなんて思っているんだろうか??
いくら考えても結論が出ないまま、おばあちゃんは逝ってしまった。
たくさんの問題提起をしてくれたおばあちゃん。
おばあちゃん、ありがとうね。
これから私はどう生きてきたいか、おばあちゃんの死を胸にきざんで、
前を向いて進んでいきたいと思います。
みんなでこの問題について、話せる日がくるといいな、と思っているよ。
そのためにはまず自分から。
決意をこめて。
2014年9月8日
