第3回




声と役割と人生観──私は、壊れた感情より「持ち運べる感情」に惹かれてきた



ここまで整理してくると、ひとつのことが見えてくる。

私はたぶん、ただ音楽が好きなだけではない。

歌声の中に、自分の感情の扱い方を見てきたのだと思う。


このスレッドの中でも、私は何度も「歌手そのもの」に反応していた。

象徴的なのが、

「池田智子のファンとしてもシギーのファンとしても好き」

という言い方だ。


これは、バンドの楽曲が好きというだけではない。

その言葉を誰が、どんな声で運ぶかが重要だということだ。

考えてみれば、深く聴き込んできたアーティストたちも、みんな“誰が歌っても同じ”ではない。

声に人格があり、その人が歌うことで曲の意味が変わる。


だから私は、単に“うまい声”に惹かれているわけではない。

また、感情をぶつけるだけの声でもない。

好きなのは、感情を壊さずに保持してくれる声だ。


これは、自分の心の使い方とも関係している気がする。

私は感情が薄いわけではない。むしろ細かく反応している。

ただ、その感情をむき出しのまま受け取るより、少し形を与えられた状態のほうが入ってきやすい。

グルーヴがあり、言葉が立ち、歌声に人格がある。

そういう条件がそろうと、感情が自分の中に無理なく入ってくる。


だから自分にとって歌声は、感情を爆発させるものではなく、

感情を壊さず持ち運ぶための器なのだと思う。


ここから、人生観の輪郭も見えてくる。

私は、明るさだけを求めているわけではないし、暗さに酔いたいわけでもない。

たぶんずっと求めてきたのは、

傷があっても機能すること

だった。


悲しみがあっても閉じない。

痛みがあっても流れを止めない。

切なさがあっても、身体はまだ動く。

そういうものに強く惹かれてきた。

それは音楽の好みであると同時に、生き方の話でもある気がする。


もしかすると私は、人生の中でも

「壊れる側」より

「持ちこたえる側」

「形を保つ側」

に寄りやすいのかもしれない。


ここで、前に少し触れた「妻がその点を嫌がるかもしれない理由」にもつながる。

もちろん断言はできない。具体的な場面がないからだ。

ただ仮説としては、私の音楽への没入が、趣味以上の情緒的な比重を持って見えるのかもしれない。

あるいは、歌声やアーティストに預けている感情の量が、外から見ると特別に見えるのかもしれない。

また、昔の時代や当時の自分を音楽で回収することが、今この場の生活から少し離れて見える可能性もある。


では、今の自分はどこにいるのか。

たぶん私は、昔の好きだったものを懐かしんでいるのではなく、

それらを通して、自分がどうやってここまで来たのかを読み直している。

大学時代にハマったグルーヴ。

時代ごと保存されたポップ。

全曲聴き込んだアーティストたち。

フェスや対バンで受け取った現場の熱。

Shiggy Jr.に感じた、解散前の記憶と後期の傷。

それらが、今の耳でつながり直している。


つまり私は音楽を使って、過去を懐かしんでいるだけではない。

自分の人生観そのものを、声とグルーヴと記憶で再編集しているのだと思う。


その核を一文にするなら、これだ。


私は、ただ深い感情に惹かれてきたのではなく、他者と交換でき、なおかつ自分の中に言葉として残せる感情を、ずっと音楽の中に探してきた。


最後に、自分に向けて三つ問いを置いておきたい。


ひとつ。

私が「ライブで交換された」と感じるのは、身体が揃った瞬間なのか、演者の本気を受け取った瞬間なのか、それとも自分の記憶が会場に回収された瞬間なのか。


ふたつ。

私にとって言霊とは、意味の強さなのか、響きの強さなのか、それともその言葉が時代を連れてくる力なのか。


みっつ。

私は歌声に何を求めているのか。

理想の感情表現なのか、それとも自分では扱いきれない感情を、壊さず運んでくれる器なのか。



第2回




私が音楽に求めていたのは、「深い感情」ではなく「交換できる感情」だった



これまで、自分は「切ない曲が好き」なのだと思っていた。

でも、Shiggy Jr.の話を掘っていて、それだけでは説明できないことがはっきりした。


同じ“切ない”でも、刺さるものと刺さらないものがある。

同じ“雨”でも違う。

感情が深ければ深いほど好き、というわけではなかった。


たとえば私は、「Still Love You」は大好きだが、「同じ雨でも感情と演出が暗すぎるかも」と感じる曲もある。

ここで分かったのは、自分が求めているのは単なる悲しみではなく、悲しみがどう鳴っているかだということだった。


暗さそのものではない。

むしろ、暗すぎると少し離れてしまう。

逆に、ただ明るいだけでも残らない。

自分が強く惹かれるのは、グルーヴを壊さず、ポップに開かれたまま、傷や切なさが残っている曲だ。


Shiggy Jr.で言えば、それが「シャンパン」「サングリア」「Still Love You」だった。

ここには、ただ悲しいわけでも、ただ楽しいわけでもない温度がある。

夜の色気があり、背伸びもあり、少しの傷もある。

でも、それが重苦しく閉じていない。

音がちゃんと前を向いていて、こちらの身体も閉じずにいられる。


そして、もう一つ大事なことがあった。

私は曲を、部屋の中で一人で味わうものとしてだけ聴いていない。

ライブで交換される何かがあるかどうかを、かなり見ている。


これは、今思うとかなり大きい。

自分がいいと思う曲には、ただ“感情が表現されている”だけでは足りない。

そこに、こちらが返せる余白が必要なのだ。


踊れる。

口ずさめる。

身体で応じられる。

会場で誰かと同じ熱を持てる。

でも、それでいて中身が空っぽではない。


たぶん私は、そういう曲にいちばん強く反応する。


だから「LISTEN TO THE MUSIC」は一位だった。

あの曲は、日常のしんどさを抱えたまま、それを音楽に乗せて前に流していく。

一人のための救済でもありながら、ライブではみんなの合言葉にもなる。

まさに、自分の感情でありながら、他人とも交換できる感情だ。


「Saturday night to Sunday morning」もそうだ。

ただのパーティーソングではない。

一度きりの時間を、身体の快楽と切なさの両方で抱えている。

だからライブで返せるし、終わったあとにも残る。


ここでさらに重要なのが、言霊の視点だった。


私は歌詞を、意味だけで聴いていない。

タイトルやフレーズそのものが、声に乗ったときにどう立ち上がるかをかなり見ている。

「シャンパン」「サングリア」「Still Love You」「LOVE涙色」みたいな言葉には、意味以上の空気がある。

口にした瞬間に、色や時代や温度が出る。

そういう言葉は、曲が終わっても自分の中に残る。


つまり、自分が好きなのは

深い歌詞でも

盛り上がる曲でもなく、


ライブで交換できて、なおかつ言葉として持ち帰れる感情

なのだと思う。


この見方をすると、なぜ自分が「暗すぎる雨」に乗り切れないのかも説明がつく。

感情が深いこと自体は否定していない。

でも、それが完成されすぎていて、こちらが返せないと、自分の曲にはなりにくい。

逆に、傷があってもグルーヴがあり、言葉が生きていて、場で循環するものには強く惹かれる。


たぶん私は、音楽を通して

崩れることではなく、

崩れずに感情を流通させること

に価値を置いてきた。


次回は、そのことがさらにどこにつながるのかを書きたい。

歌声への反応、役割意識、そして「自分は今どこにいるのか」という話だ。



第1回




音楽は「好きな曲」ではなく、「生きてきた時間の整理箱」だった



音楽の好みを話すとき、人はたいてい「好きなアーティスト」を並べる。

でも、自分の音楽遍歴を振り返ってみると、実際にやっていたのはもっと別のことだった。


私は音楽を、単に「好き」「懐かしい」「名曲」で並べていなかった。

もっと細かく、もっと生活に近い形で保存していた。


たとえば、あるアーティストは漏れなく全曲聴き込んだ。

別のアーティストは深くはないけど印象に残っている。

さらに、フェスで出会ったもの、対バンで知ったもの、最近気になっているものがある。


この区分は、ただの整理癖ではない。

たぶん私は昔から、音楽を「曲の良し悪し」だけではなく、どう出会ったか、どれだけ入り込んだか、そのとき自分がどこにいたかまで含めて覚えてきた。


だから、音楽の話をするときに時系列が自然に出てくる。

「大学生ではJamiroquaiにどハマりした」

「松浦亜弥の“LOVE涙色”を聴くと、同じ時代を思い出す」

「最近では乃紫やFRUITS ZIPPERも聴いている」

こういう言い方になるのは、私にとって音楽が“作品”である以上に、その時代の自分ごと残っているものだからだと思う。


ここで大事なのは、私は懐古しているわけではない、ということだ。

昔の曲だけを美化しているのではない。

最近のアーティストも普通に聴くし、今のポップもちゃんと入ってくる。

ただ、その受け取り方がずっと同じではない。

新しい曲を新しさだけで受け取るのではなく、長年自分の中に蓄積してきた基準の中に置いてみる。

そのとき初めて、「これは残る」「これは好きだけど深掘りには至らない」が分かる。


振り返ってみると、自分の遍歴にはいくつかの段階があった。


最初は、時代を思い出す曲の層。

これは、曲が鳴ると当時の空気まで戻ってくるゾーンだ。

松浦亜弥の“LOVE涙色”がそうだった。


その次に、全曲単位で掘る層ができた。

南野陽子、TM、渡辺美里、久保田利伸、今井美樹、ドリカム、mihimaru GT、Shiggy Jr.などは、この層に入っている。

ここではもう、ヒット曲がどうこうではなく、アーティストの変化ごと追っている。


さらに大学時代には、Jamiroquaiにどハマりした時期があった。

ここで自分の中に、メロディや記憶とは別の軸、つまりグルーヴが強く入ってきたのだと思う。

身体が反応すること、音の跳ね方、気持ちよさ。

たぶんこの時期から、自分にとって「良い曲」は、歌詞だけでは決まらなくなった。


そこから、渋谷系や対バン、フェスで出会った音楽が増えた。

みこ、ふぇのたす、SHE IS SUMMER、アカシック、カラスは真っ白、ストレイテナー、布袋寅泰、ポタリ。

このあたりは、単なる“好きな作品”というより、現場や文脈込みで好きになった音楽だ。


そして今、自分はおそらく、昔から持っていた音楽の記憶を、現在の耳で整理し直している。

Shiggy Jr.の話をここまで掘ったのも、その典型だった。

単に「好きな曲は何か」を決めていたのではない。

そのバンドの変化を見ながら、自分がどの時代の、どの感情に、どの鳴り方で共鳴していたのかを確かめていた。


つまり、私の音楽遍歴は「好きな曲一覧」ではない。

それはむしろ、生きてきた時間を、声とグルーヴと記憶で整理した履歴なのだと思う。


次回は、そこからもう一歩進めて、

自分が何に共鳴しているのかを考える。

暗い曲が好きなのでも、明るい曲が好きなのでもない。

たぶん私は、もっと別のものに反応している。


私にとってShiggy Jr.は、ただ好きなバンドではない。

ライブに通い詰めたひと時代そのものだ。


音源として聴いていた、という言い方だけでは足りない気がする。あの頃のShiggy Jr.は、照明やフロアの空気、ステージの熱、終演後の帰り道まで含めて身体で覚えている音楽だった。曲を聴くと、その時の自分の感情や景色まで一緒に立ち上がってくる。そういう意味で、Shiggy Jr.は私の中で「思い出のバンド」というより、人生のある時期そのものに近い。


最初のShiggy Jr.は、やっぱり“踊るバンド”だった。

ポップで、軽やかで、でもただ明るいだけではない。ライブハウスで鳴るあの高揚感と解放感には、何度も救われた気がする。Shiggy Jr.の音楽に惹かれた入口は間違いなくそこにあった。


ただ、振り返ってみると、私が本当に好きだったのは“踊れること”だけではなかった。軽やかに聴こえる曲の奥に、迷いや自意識や、日常のしんどさや、少しの寂しさがちゃんとある。その二層構造のようなものに、私はずっと惹かれていたのだと思う。


だから「LISTEN TO THE MUSIC」はずっと特別だった。

この曲には、ただ楽しいだけではない、日常を抱えたまま音楽に救われる感覚がある。Shiggy Jr.のポップさの真ん中にありながら、自分の音楽の聴き方そのものにも近い曲だった。


その一方で、Shiggy Jr.を聴き続ける中で、自分の好きの重心も少しずつ変わっていった。初期の“踊れるShiggy”の記憶を抱えたまま、後期の曲にある大人っぽさや陰影にも、強く惹かれるようになった。

特に「シャンパンになりきれない私を」や「サングリア」は、私にとって大きい。Shiggy Jr.のファンとして好きなのはもちろんだけれど、池田智子のファンとしても好きだと思える曲たちだ。背伸びした夜の気配や、少し湿度のある感情、ポップの中に残る翳り。そういうものが、この頃の自分には強く残った。


だから今では、踊る系の曲もただ無邪気には聴けない。

そこには解散前のイメージが重なっていて、楽しかった記憶だけでは済まない感情がある。ファンとしての傷、と言うと少し大げさかもしれないけれど、でも確かに、あの時代を知っているからこそ混ざる痛みがある。Shiggy Jr.のポップ開放は、私にとって単なる“明るさ”ではなく、失われた時間の輪郭まで含んで響くものになった。


そんな中で、再結集後の「今が幸せであれ」を聴いた時、これは最初から“手紙”だと思った。

懐かしさに寄りかかる曲ではなく、あの頃を知っている私たちに向けて、今を生きることを祝福してくれる曲。戻ってきたことを誇示するでもなく、過去の熱をそのまま求めるでもなく、「今が幸せであれ」と言ってくれる。その姿勢に、私は心から救われたし、アーティストとしての誠実さと成熟を感じた。


Shiggy Jr.を好きだったことは、私の中でずっと宝物だった。

でも「今が幸せであれ」を受け取ったことで、その宝物は過去のものではなくなった気がする。あの頃の時間が大切だったことも、今を生きている自分が大切にされていることも、どちらも肯定してもらえたからだと思う。


私にとってShiggy Jr.は、

踊って好きになったバンドであり、

歌詞と陰影を聴くようになったバンドであり、

最後には、生きてきた時間そのものを抱きしめてくれるような存在になった。


だからこれは、ただの好きなバンドの話ではない。

私の音楽視聴遍歴の中でも、Shiggy Jr.はひときわ特別だ。

ライブに通い詰めたひと時代も、その時に抱いた熱も、解散前後の痛みも、再結集のあとの優しさも、全部ひっくるめて、一生の宝物だと思っている。

あれから三年になりました。
Apple Watch買ったからのお話をします。

一言で言えば元を取りお釣りが来ました。



①運動習慣

②栄養の変化

③飲酒減少

④ジム通い

⑤ストレス耐性向上

⑥生き生きとした毎日

⑦前向きな力強い判断

⑧家族の健康に介入

⑨家族仲改善


こんな具合に連鎖が続きます。

自分がポジティブになると周りが変わることを三年間で感じました。そして、意見を求められることが増えました。すると、望みの行事やイベントにも行きやすくなりますね。win-winとなります。どうぞ皆様も好転した世界を楽しまれますよう。




久々の記事になります。

新しいことにチャレンジします。


①トレード

②その日思った トレード日記

③講釈はなし

なお、

トレードは額より比率で考える。

トレードアイデアは出しません。

これでやってみたい。


トレード#1

初めてGBPJPYを触った。

後述するが、

auじぶん銀行FX にお世話になることにした。

売168.794→買169.036  -242

買169.123 →169.503 +380

売169.552→


初期画面五分足で直近の上昇勢いが

弱まったと判断し、

移動平均線20と乖離が大きくなって一度ギャップを埋めると考え売りからエントリー。

すぐさま逆行し、2%のマイナスで損切り。

+11分


ドテンし上昇を見極め。

損切り30秒後に勢いが続くと判断、買いエントリー。

上昇し、先程の損切り額<含み益となるもの勢い止まらず。

観察して1分足の値動きが弱まり

4%弱で利確。

+17分

170円突破が意識されら中、

値動きが重くなり一瞬下がったのち

戻ったところで売りでエントリー。

売169.5 損切り170.5 利確167

今度は、先ほど残っていた買が伸びてきて逆行。

しかし170到達後の勢いは思ったより削がれる。


23時までとトレード時間を決めたが守らず。

20MAと乖離を埋めると予想し決済せず持ち越し。

起床後、169.0-169.5で推移。

午前は一瞬169.0を割り込むもレンジ。

午後になると売られて168.7まで下落。

4時間足はmacd がデッドクロス。

さらなる下落を見込みホールド。

ロンドン時間にゆっくり下落し、

10%の含み益に達し、下位足でタイミング計り利確。

トレード#1成績 +1135


初回記事につき、トレーダーを目指す気持ちと歴史をここに刻んでおきたいと思う。


想い

このチャレンジは、今まで5年近くインプットだけだった自分との決別でもあるし、表に出すことになり、利益を隠せない(納税)し、正々堂々とトレードで利確するのを楽しみたいから思いついたこと。さらに、自分の考えを自分の成長の為にまとめていくことにしたかった。



背景

そもそも外国為替に興味を持ったのは、

2010年転勤時に退職金を得て独身になった頃。

円高で、じぶん銀行口座で外貨預金をはじめたが、FXとは程遠い手数料と無知では手数料貧乏であった。

興味を失い本ブログの原点であるネットゲームffxi の世界に戻るものの、ゲーム内通貨を稼いでいるじぶんに気がつく。

2011年転居、同棲

2013年結婚

 この頃からカメラ、写真、旅行に勤しみ金融は無関心。

2014年家族の健康問題噴出、忙殺

 同年秋に地元に戻り就職。

2015年春にバンドにハマりライブハウスに通い始める

2016年第一子生まれ、里帰り出産で放っておかれる。

2017年子育てで濃密な一年なのにライブにも行き顰蹙を買う

2018年

からBTCに興味を持ち、口座開設。

まさに出川組。

Coincheck(cc)初取引は忘れもしない1/17。

1BTC117万円くらいだった。今思えば現物取引の手数料が掛からないccでろうそく足を沢山眺めて今では1日で1日で手にできる10万円でスタートした。ただ、レバレッジかける口座開設は受付終了しており、どうしたらいいかわからなかった。ポジポジとボラテラティの大きさを現物で眺めてたのは今になれば良かった。


そんなおり、2019年ころbitflyer(bf)で開設。

で、余剰資金内の売買でbtc-fxを中心に触った。

当初は10倍までかけられていた。ある日暴騰してサーバダウンしかけたbfだったが、一気に10倍に値上がりして、自分の思考がフリーズ。利確できなかった。

情報源を、先日廃止されたcc内のチャットだったのは良かったのか悪かったのか。いまでもわからない。

そこでたまにお会いする神龍さんを追ってイチゴDiscordに出入りした。エリオット波動に出会い、カウントして波を予測することに力を入れ始め、思い込みでロットを張るコツコツどかんは治る暇がなかった。

さらに近い将来の大きな需要増加を説いておられた先生たちのおかげで、自分の行動が投機と知りつつbtcに夢を抱くHODLerになれた気がしていた。ただ、トレード実績はさっぱりで年間の利益の確保には程遠く前職の退職金が底をつくのも時間の問題であった。資産形成のしの字もなかった。自己投資は自覚していたが、お祈りトレードが多く、メンタルの弱さを克服しようと運動を始めたりまでし始めた。

資金が乏しくなると大きく儲けたくなるのでハイレバに吸い寄せられる。そこで

安定のbotを稼働始める。しかし元手が減り効率低下。bfのレバレッジ規制によりbybitに移行。

この頃の情報源はbtc時代後半はyoutube だった。

botも移行したが、トレードバトルに参加して無理なトレードでゼロカットの憂き目にあって退場。わずかな資金でできるFXを求めてイチゴdiscord時代に開設したXMに復帰。クリプトは当時利用できなかったので、mt5micro口座で888倍を楽しんだ。当時は為替がよく分からず、動きが大きい原油なGOLDに翻弄され、ハイレバ病とポジポジ病に悩まされた。

手持ち資金の枯渇の後は、クレカ入金が活躍して負債を形成し始めた。

何月からか、急にクリプト(暗号資産)をxm がBTC/ETHの取り扱いを始めた。おりからの昨年末からの大相場はダブルトップ後の下落局面。ショートで稼ぎたい欲が強くなり、土日に取引できることから、一万円チャレンジと言いつつ一万円飛ばしまくりなんちゃってトレーダーとなっていった。自虐的にクリプトパチンカーでもはや投資の姿は消えていた。、コツコツどかん病を繰り返し小遣いを返上する羽目になった。


この二ヶ月、デモ口座で低レバ試したら月10-15%くらい行くので、ハイレバ卒業出来るか、国内業者で一万円今年は某業者でGOLDメインにハイレバ病とポジポジ病に悩まされた。クレカ入金した今季は、クリプトパチンカーとなり、さらに悪化。コツコツどかん病を繰り返し小遣いを返上する羽目になった。

YouTube経由の情報を頼っていたクリプトだったが、2022年2月のロシア関連で政情不安となり爆上げしたGOLDで、1時間で25万稼いだことをキッカケにツイッターのスペースにハマった。

移動平均線を主軸に戦う方法でインジケーターも軽く補助に使う程度でシンプルだった。

ろうそく足、エリオット波動、移動平均線、資金管理の順に課題がやってきて、手軽にクレジットカード入金で王手。これ借金と同じですもんね。

気が大きくなって資金繰りに問題が起き始めた。

そう、小遣いを返上する羽目になった。


決意

①デモ口座②国内口座

①順番が逆であるが、デモ口座を活用することにした。今後トレードの世界から足を洗うか、トレーダーを続けるかを、成績をみて冷静になろうとしたのであった。

低レバ25倍で試し、2倍になったら、三ヶ月毎月出金できるようになったらたら合格と判定するつもりだった。8月下旬から開始。今のところ約二ヶ月で月当たり10-15%くらい証拠金が増やすことができた。初期の額はデモなので50万スタートだった。これで習慣を変えなければ自滅を初めて意識した。手法の限界から今回の少額トレード、トレード日記に辿り着いた。


外的要因

実は先日マンションを買うことになった。

ローンを組むにあたり、直近の分割払い等を精算しておくことが条件になった。一世一代のピンチが勃発した。トレードができない。別口座経由の出金は、夏休みの余波でアホみたいなロットを張ってすっ飛ばしてしまった。感情トレードの危険性を繰り返し諭されるような出来事だった。


そこでである。

②国内口座

何ヶ月も証拠金に入れた一万円が動いていない口座が携帯に入っている。(5/30)

今月から、久しぶりにpovoの割安回線e-simから、au本家のフルスペック契約に戻した。回線契約や、節約を考えながらFXは無理だろうから。

暗号資産の税率よりFXの税率に惹かれたのもある。


そんなこんなを経て、苦手だったポンド円GBPJPYを低額、低レバ証拠金取引を、損切りを必ずつける勉強としても始めることにしたのだった。


今日の記事は、ここまで。

不定期日記としていきたいと思いますのでよろしくお願いします!



ご無沙汰しています。

模型鉄は、プラレールの修理しながら

卓上でBトレインN化の試走です。




カヤ27とカハフの模型鉄ならではの繋ぎ。



!!
銀のパーいちも参戦
昔買った釜ですが、30年ぶりに走りました。
墨入れまでしてましたが、反対側にあさかぜヘッドマークが!




昭和の銀釜にカシオペアの組み合わせ、実現するんでしょうか?

ではまた!





久しぶりに自分の世界に戻ると、今まで愛した鉄道愛とその記録が記憶を呼び戻してくれました。
積極的に過去ログと向き合うと、今につながりここから先の方向性が見えると思いますので、しばらく通常の記事と、リブログによる思い出しと今の想いをつづらせていただきたいと思います。

今ではすっかいTwitterの便利さに毒されてしまいましたが、まとめて記事を書くことも大事だなあと今回実感しています。

記事のあけぼの号ですが、稼働しているブルトレの宿は大変貴重です。
将来、復活運転する可能性がある限り、動態保存の意義は大変おおきく、今後も価値は大きくなるばかりだと思います。

寝台特急愛がつまった当ブログの過去記事もお楽しみいただければと思います。

あれからもう4年たちますが移動制限がない時期を迎えたら乗りに行きたいと思います。ではまた!




購入してからなんと10年も積んだままだったことが自分のブログ見てわかり悶絶しております。今回のコロナ、およびstayhome、家族の都合で一人の時間を模型と向き合うことが多くなりました。持っているコレクションをメンテナンスしがてら、一人運転会も頻繁に実施しておりますので、模型ネタを再開していきたい所存です。

10年の時を経て
マイクロの200系200番台はつつがなく試走完了しました。
しかし・・・
ネット上の情報にたがわずmicroaceのE751は稼働しませんでした。
自分の備忘録となりますので、現在進行形で今後記事になるかもしれません。
今日は振り返りでした。ではまた。
ご無沙汰しております。
前略、表題の二本公開しました。
題して国鉄型電車のテーマであらたなページをつくりました。

新宿駅の251系スーパービュー踊り子
新青森駅485系白鳥
いずれもホームからの撮影、ノーカットです。



https://youtu.be/-Wc6ymNnaWk


https://youtu.be/s9Di8bkI8-Y