Centotrenta 代表 加藤いさおのBLOG                        


大阪南船場の隠れ家的

メンズセレクトSHOPのオーナーブログ

10代の頃に
東京で出会って
未だに関係が続いている
人生の師匠がいる
この方にだけはずっと頭が上がらない
あの頃
「おまえはすげえな」と
言われるだけで
自分は凄いんじゃないかな?と
錯覚してキャパ以上のパワーを
出せていた気がする
そんな師匠が
自身の誕生日に私に会いにきてくれた
私と一日互いの誕生日
9月26日
今度 某海外雑誌の対談が
あるからということで
その時用に
「加藤にスーツ作ってもらいたい」
と言って下さり
私は緊張した
この方と出会って30年
まさかこんな日がくるとは
人様の背中を測るとき
その方が背負ってきた人生を
想像する
一つ一つピン打ちしながら



出会った頃の我々と
今の自分達を重ね合わせ
胸が一杯になった
「生地もデザインも全部
加藤に任せるからさ」
光栄な事なのだが
どんな職業でも
「お任せ」が一番難しい
「なあ、スーツできたらさ
俺の名前と加藤の名前
裏側に刺繍しといてよ
格好悪いと思うけど
大切な記念だからさ」
人の物語に食い込む
特別な服達を
数々作ってきたような気がするが
私にとっての物語にも
食い込む一張羅
こんな嬉しいことはない
服屋、否
福屋冥利に尽きる
そんな日だった
妻と倅が師匠に会いに
店に来た
初めて倅を見る師匠
あんなに写真嫌いだったのに
「なあ写真撮ろう」と
倅を真ん中に
師匠と私は倅の手を繋いで
写真を撮った
あの頃を思い出し
現在を重ね合わせ
だめだ
泣けた・・・・
そんな自身の誕生日前夜の
嬉しすぎる日だった。

「おい、加藤 先ずは

先陣切ってうちの凄さ見せてきてやれ」

「はい!!」

そんな30年前がフラッシュバックした。


通勤路

 

横断歩道で信号待ちをしていると

友達同士のちびっこ2人も

信号待ちをしていた

 

何気に聞こえてくる会話

 

「熱中症怖いから家で遊ぼうや」

 

「そうしよ」

 

「俺らまだ9年しか生きてへんからな」

 

「うん」

 

なんだかね

朝から凄く幸せな気分になりました

 

ちびっ子達よ

日本の未来を頼んだぞ!

 

 

しかし

子供が外で遊べないような

危険な気温

もう異常ですな

僕が彼らと同じくらいの歳の時

 

夏休みは外で遊びまくってた記憶があります

 

今考えると

まだ涼しかったのでしょうね

 

猛暑から酷暑へと変換され

日本の暑さは

身の危険すら感じますね

 

ただ

ゲリラ豪雨が例年より少なくありません?

 

一気に

すごいのが来なければ良いのですが

 

まだまだ

残暑厳しいですが

皆様

熱中症お気をつけください。

 

 

僕がまだ小学生の時のCM


※Yahoo

子供ながらに

かなり印象に残っていたCMなので

たまに観ていた

ぐんと日本が上っていた時代

ファッションもカルチャーも

今見返しても

ものすごくわかりやすく

あの頃の日本が

このCMだけでわかるなと言っていいほど

良くできた大好きなCMなのです

 

先日

何気にテレビを観ていると

聞き覚えのある曲がながれてきました

「ん?」と思い

画面に視線を向けると

 

デジャブ?と

一瞬目を疑った

マクドナルドのCMで

あの素晴らしい物語が蘇っているではないですか

一人 鳥肌立っていました

昭和から令和へ

あの頃より

時代は進み

デジタル化されてきましたが

失ってはいけない

大切なコトは変わっていないのだなと

感動しました

マクドナルドもコカ・コーラも凄い!!

 

 

おっちゃん感動しましたよ!

 

 

もう15年弊社の
廃棄物を毎日取りに来てくれる
業者のオヤジさんがいる
稼業を継ぐはずの息子さんと
仲違いして
オヤジさん1人でやっている
先日集金に来てくれた時
かなり年季の入った集金袋を
持っているので
「おとうちゃんこれ使ってや」と
クラッチバックを渡した
「こんなハイカラなもん
ええんかいな?」
「ええよー
ちょっと気分変わるやろ?」
「これ持って
嫁と温泉でも行きたいな」
「行っておいでや」
「アホ、正月の三が日以外
362日働いてるから無理や」
「働きすぎやで、身体だけ
ほんまに気つけてや」
「死ぬときゃ死ぬ
ほなな!」と言い残し
去って行った
見送っていると
くるりと振り返り
最高の笑顔で
「大事にするわな」と
トラックに乗って行った。
オヤジさんは
ずっと大事にしてくれると思う
そんな人だ。

団地育ちの私は

ご近所の方々と当たり前のように

コミュニケーションを取って

育ってきたので

最近のマンションのあの閉塞感は

若干寂しいような気がする

 

団地は数多くの棟があったのだが

 

なんとなくあの棟には

あの家族が住んでいるということは

子供ながらに理解していた

それだけ

挨拶もするし

日常会話があったのだろう

 

現在私が住んでいる場所は

大阪の心斎橋の近くで

ちょっとイキっている方々が多い場所だ笑

同じマンション内の住人の方々も

勿論挨拶もしてくれるが

あの団地のように

心の底からコミュニケーションを

取る方々は

一人もいない

私もその一人だが

時代の流れなのか

やはり

ちょっと寂しい気もする

 

よく道で会う

ばあちゃんが居る

シルバーカートを押して


↑こういうやつ ※Google


コンビニでもよく会うし

道端でもよく会う

「にいちゃんおはよう!」と

本当に団地を思い出させてくれる

ご近所のばあちゃんだ

 

2週間ほど前

仕事帰り

土砂降りで傘をさして歩いていると

そのばあちゃんが

傘もささずに

土砂降りの中歩いている

 

慌てて駆け寄って

「おばちゃん、傘は??」

 

とさしていた傘にばあちゃんと入りながら

 

「無いねんけどだいじょうぶや」

 

「あかんあかん風邪ひくって

この傘持っていき

俺すぐそこのマンションやから」と言う

 

「あほは風邪ひかへんから大丈夫や!」と

本当に

昭和のあの頃のままの

ご近所の方の対応

 

「あかんて、これ渡しとくから」と

半ば強制的に

ばあちゃんに傘を渡して

私は家までダッシュした。

 

その数日後

私はコロナにかかってしまった

 

あれだけイキッて

ばあちゃんに

「風邪ひいたらどないするん?」と

言っていたのに

 

なんとも己は

間抜けだなと

 

昨日シルバーカートを元気に押しながら

散歩しているばあちゃんを

遠目で見ながら

 

クスリと一人ほほ笑んだ