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C'est pas grave...

―いつか終わる命なら、悔いを残すのも面倒だ



返さないといけない図書館の本
についてのメモ

『日本文化の歴史』 尾藤正英著 岩波新書668

日本の歴史の流れ 覚書




p.11
佐原氏は、環濠集落のように防衛の設備をもった村や町が存在したのは、日本の歴史上では、弥生時代と、15.16世紀の戦国時代との二回だけであった、という事実を指摘している

これは、日本の歴史全体をいかにとらえるかを考える上で重要

すなわち

弥生時代が、古代国家形成の出発点をなしていたのと同様、
戦国時代もまた、その古代国家が崩壊したあとに生まれた新しい国家出発の時期であった
ということを示しているのではないかと考えられるから

である

戦国時代から江戸時代の初めが日本における「近代化」の時期だったのだ

(もちろん、これは、西欧と接触してなされたとされる一般的な意味の近代化ではないからかぎかっこつきね。日本が独自に、新たな段階に到ったってこと)

p.88
「家」の形成

12世紀末頃から、近衛家と九条家、さらに鷹司、一条、二条の三家を加えた、いわゆる五摂家の成立がみられる

このような「家」の形成は、天皇や藤原氏に限らず、この時代の社会に広く見られる現象。

12世紀を画期とする古代から中世への移行は、「氏」の時代から「家」の時代への移行として理解することができる。

新しく台頭した武士の社会は、御家人や家来というように、「家」の組織で構成されていた。

一般の庶民の間まで「家」の形成がみられるのは、やや遅れて14,15世紀のこと。

☆12世紀から15世紀にかけての中世とは、「家」の形成にともなう社会変動の時代であった☆

***********
家って何よ?
Cf.同じ尾藤さんの本『江戸時代とはなにか 日本史上の近世と近代』
p.82
家族とは区別された意味での「家」
1.家業(家職)としての特定の社会的な役割を相当する単位をなす
2.その家業によって生活を支える場としての「家」の永続が、その「家」を構成する人びとにとっての最大の念願とされた

このような「家」の形成は、日本の社会のなかでの一般の庶民の生活水準や社会的地位の向上といった歴史の動向を反映したもの

14世紀ごろ以降の日本の社会で、この意味の「家」の一般的形成があった

p.83
それが、戦国大名を経て幕藩体制の形成へという経過をとり、収束されていった

p.84
「家」の特質の一つが、家業という形での社会的役割の分担にあった

その家業を社会的な規模で組織化したものが、すなわち「役」の体系としての近世的な社会組織であった

(日本史の流れを大きく見ると、尾藤さんとしては「家」や「役」が重要
 「役」っていうのはそれぞれが与えられた場で与えられた役割を全うするという考え方、
 そういう意味では西洋中世と似ていると思う。 
 現代人から見れば、家だって役割だって、生まれた時から固定されてるなんて不平等で意味がわからない、って思われるかもしれないけれど、彼らにとっては「そういうもの」だったから。もちろん年貢の取り立てとか厳しい状況があれば不満も抱くし、武士に生まれなくても武士の志を持って奮起する人たちも現れるわけだけれども、生まれながらに「家」や「役」があって、それをそれなりに、受け入れていたんだと思う。それでよかったんだと思う。自由すぎて途方に暮れる現代のニートたちはむしろそっちの時代に生まれた方が幸せだったのかも?なんてね。まあそういう役割分担制度がちゃんとしてきたのが、日本では、戦国時代から江戸初期ってこと)



そういう「家」って社会制度が一般的になるにつれ思想的にもそれを促すようなものが主流になったりします

日本だからね 仏教や儒教ですが
ページは少し戻るけれど、そういう思想系を少し見ておこうか

p.42
江戸時代の中期思想家
伊藤仁斎
荻生徂徠
本居宣長

(彼らは、それまで日本でわりと主流だった朱子学を批判した。本居宣長は「国学」の人。朱子学ってのは中国から取り入れたものだから、そうじゃなく、日本独自のを始めたってことかな。

このあたり専門じゃないので要勉強)

p.46
伊藤仁斎
・・・仁斎によれば、人はそれぞれに役割を負って生きている存在であり、その役割は個々に異なっている
個々に異なっているけれど、役割を負って生きていることの喜びや苦しみは誰にでもあるという点では皆同じ

(役割
 役
っていうと固い言葉だけど、日本人って確かに、立場をわきまえろとか
上司をたてるとか 礼儀とか義理人情とか
そういうものが強いって思われていて

その根本にはこの自らの「役」への自覚、があるのかもしれないね。)

p.49
本居宣長ではさらに発展
宣長は、朱子学にみられる道徳理論を不必要とした。。。以下説明


道徳的に正しいという「理」が人の心には備わっているから、それを自覚して行動しなさい、というのがざっくり言う朱子学ですが
ここであげた伊藤仁斎や荻生徂徠や本居宣長は、そういう普遍的な「理」なんてものは幻想でそれを明らかにする意味なんてなくて、
個々の人に、個別の「役」がある、だから、各々の「役」を各々の場で果たすべきだと言っているわけですね


(ってそのへんの日本思想が専門家じゃないから詳しいことは言えないけれども。そもそも、心に備わっている「理」と「役」が必ずしも矛盾してるとは思えないし。それなりにはそりゃあ、人の心には正しいものを見分ける目ってあると思うんだよね。個人的には)

本居宣長は、
身分や職業に応じた個別的な社会的役割が与えられたならば、特別な教育や強制はしなくても、その役割を自発的に遂行してゆくものだから、
朱子学にみられるような道徳思想はわざわざいらなかったのだ、と言うわけ。道徳思想を中国から導入しなくてもそれ以前、古代において日本国家はそれでちゃんと成り立っていたじゃないか。っていうね。それがいわゆる国学の思想。


(それも一理はある。場を与えられれば自ずと、そこでなすべきことをなすし、そのための努力はする。だけど、そうなるためにはむろん基礎が必要で、「理」はその基礎にあたるものなんじゃないかな、って私は思うけどね。)

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『日本文化の歴史』にもどります

p.122 123
内乱期、とくにその終末に近い15世紀のころが、日本の歴史上重要だと指摘したひとに東洋史学者内藤湖南がいる

1921年に行った講演で「応仁の乱について」(『日本文化史研究』所収)
「今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありません。応仁の乱以後を知っておったら、それで沢山です。それ以前のことは外国の歴史と同じぐらいにしか感ぜられません」
と述べたという

1467 応仁の乱
現在の和服の原型をなす小袖の着流しがはじまったのはこの時代
食事が三食となり

寝殿造りにかわって書院造りがうまれ、これが現代の和風建築の源流に
書院造では引き戸となり、建物の中にもしきりができて、ふすまで区分された
たたみをしきつめたり、障子を用いたり。

日本語も変化

だからたしかに応仁の乱前後で分けるのは一理ある。

p.168

一般の人々への儒学の普及
17世紀を通じて

中江藤樹
p.169
中江藤樹について
「時処位」
・・・・人には正しい行動の仕方があるが、それは、決められた礼法に従って行動すればよいというものではなく、自分の心のあり方にこそ基本がある
心さえ純粋で正しくあれば、時、処、位に応じて、どのような行動をとれば道徳に合致するかは、自分で判断できる

↑近世において儒学は、礼法としてではなくて、精神面で受容されたことがわかる
心の教え
→誰にでも学べる(中国ではたしかいわばエリートが学んで科挙に合格とかするそういう学問だったはずだけど日本では、礼法から切り離されてその精神面だけが広く普及する形になった)

(そういうふんわりした感じ、なんとなく日本っぽい)

(「義理」って硬い言葉に聞こえるけれど
義理人情、にこめられたもの、そのありようは、もともとはずっと、その場その時に応じた人と人とのあり方から生まれる、ふんわりしたものだったんだろうな、って思う
それが日本人らしさの一つというか。理論できちんと細部まで説明したり論証したりできない)

p.172
近松門左衛門にせよ、井原西鶴にせよその作中で「義理」を描いたわけだが
この「義理」は、人間としての誠実さをあらわしていた。
他人が自分に対して信頼をもって対処してくれるならば、自分もそれに対して、それ相応のこたえかたをしなくてはならない。

p.189
国学についてふたたび

賀茂真淵は歌人でもあり、万葉集の研究もした。
万葉集にあらわれた、古代の人々の「高く直き心」(高貴で純粋な心)を敬い
自身も優れた和歌を残した。

その中で真淵は
「凡そ物は理りにきとかかる事は、いはば死したるがごとし。天地とともにおこなはるる、おのずからの事こそ生きてはたらくものなれ」

つまり理屈できっぱり割り切れるのは、いわば死んだものである。理屈で割り切った議論は、本当の生命ある人間の世界の現実をとらえることができない、と言う。

日本古代の人々は、自然のままに生きていたのであり、丸く平らかな自然の姿は、言葉では表現できないので、後には伝わらず、
日本の古代には「道」(道徳的なもの)がなかったと儒学者は批判するが、そういう言葉で表現できなかっただけ


(それもそういってしまえばそうだと思うけれども…。やっぱり日本人には言葉で言えないもののへの崇敬とか、自然への思いとかあるんだろう)

p.225

和辻哲郎
『人間の学としての倫理学』を書いた
倫理学、とは、人間の「道徳」に関する学問だが、

人間とは個人ではなく人と人との間、すなわち、親子・友人などの「間柄」における存在。


(さっき上で、「役」の重要性にふれたけれど、ここで言っているのも恐らく同じような思想で、日本人の場合、<社会における自分>ありきの<自分>なんだろうね。それが世間とか、和を尊ぶとか。ヨーロッパ人は、なんてひとくくりにしては怒られるだろうけれど、少なくともかれらには、日本人よりは、自分の「役」とか以前に、「自分」がある気がする。向こうの人は、だから、道徳的に、「困っている人がいたら声をかける」をためらいなく実行できる。だけど日本人は、「困っているかもしれないけれどあそこで見ている人に何か思われるかもしれないからどうしよう」とか、「他人には干渉してほしくないかもしれない」とか、自分が今置かれている状況からしてどうするべきか、を考えるんだと思う。人と人との間柄とか、社会とか、そういうものを思わず見てしまうのだ)


その背景として
p.226
日本社会の伝統的な構造としての<共同体的な性格>があるわけで
(この<共同体>ってのが上に述べた「家」ってことかな)

抽象的な意味での個人を基本とするよりも、
社会の中で行動する具体的な個人を基本とする。

日本では、人間関係を大事にし、その中で与えられた役割を果たすことが、自己を活かすことにもつながる、と考えられたわけであり
別に「個人」が未発達というわけではない
日本的な「個」の意識

(西洋でも中世では、まさに、それぞれ生まれながらに役割が与えられていて、それを果たすことが大事だったし、兄弟団とかそういう集団の存続が大事だったように思われるわけで
阿部謹也さんが、日本と西洋中世とに似たものがある、とシンパシーを感じられていたのもその点だと思う)

p.228

この伝統を変化させたのは、明治維新以降の西洋文化の導入、西洋化

「家」の変化 天皇への見方変化 ・・・・・・
このあたりはまたさらに、詳しく検討すべき問題であろう

*****
おわり。

変化したとはいえ、今の日本人にも、「家」「役」の意識は強く残っていると思う

それぞれの場所で、それぞれの果たすべき仕事を果たすのみ、

それが時には辛いけれど、でも

そういう場所があるということは多分とても幸せな事



私自身にはあまり「家」とかへの関心がない。
小さい頃から人と群れることに抵抗があった。

でも、いつも誰かに支えられていた。
誰か一人でも、場所を与えてくれたのなら生きていくことができる、私はそう思う。

社会に生きたくないと言いながらもなんだかんだ
いてもいい場所を与えてもらってきた自分は本当に恵まれているんだと思う。


最近思うのは
やりたいことと、向いていることは違う

着たい服と似合う服は違う

・・・

やりたいことをやるのも、一番なんだけど、
でも、べつにそんなにやりたいってわけでなくても、なんとなく続けることができたこと、って
実は向いていることで、
そこにいるとき、気持ちが楽だったりとかする

向いてないことをやろうとするとき、ものすっごく苦労することが、
向いていることをやっているときは、なにも考えずにできていたりして、
あ、そうか、
適材適所、ってあるんだな、って思った


もちろん、努力次第でなんとかなることもあるし、
やりたいと思うことに挑戦できるうちは、どのみち限られた人生だから、挑戦したらいいじゃん、って思うけれど


人間には向き不向きがあり
向かないことをやるのはそれなりに辛いよ、ってこと。


向いていることをやることが、「逃げ」ではないよ、ってこと。



ともかく
広い広い海を
自由に泳ぐ魚みたいに
わたしは自由でいたい。


どうせ、自分ができることしかできないんだ

だけど、頑張ればどこにいたって、ある程度まではいける。よっぽど向いてなきゃ無理だけど。その場合はやめたほうがよいと思うけど。


無関係に思える出来事が、
実は後で一つに繋がったりする

いつか、ほんとうに、幸せだ、生きててよかった、って
思える時が、来るのでしょうか。




何にせよ
私は、私を生きることをやめられない。残念だけどね。


とりあえず。

暑中お見舞い申し上げます。
ん、もう残暑お見舞いになりつつあるようだ。