アール・ヌーヴォー時代と川上貞奴 | ジュエリーブティックセントラル

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            舞踊家フラーと川上貞奴
        異色の競演がパリ魅了
                                                                先月7月19日の中日新聞に愛知県立芸術大教授井上さつき氏が上のテーマで記事を書いておられました。今年4月24日から8月26日までヤマザキマザック美術館で開催中の企画
            エマイユの煌き
              ~アール・ヌーヴォーの華~
 7月8日に見に行ってきたばかりだったので、ちよっと気になり読ませていただきました。
ヨーロッパの世紀末に爆発的に展開したアール・ヌーヴォーに日本美術が大変強い影響を与えていたという事位の認識のレベルですが、生身の踊り、川上貞奴がその時代のパリの人々に受け入れられたというお話は初耳で興味深かったです。以下に当日の記事の一部をご紹介させていただきます。
 
 
 米国出身のフラーは、長いスカートをもって振りながら踊る「スカートダンス」を発展させた。ボリュームたっぷりのスカートを大きく動かし、そこに渦や蛇行をつくりだし、照明技術と組み合わせ、新しい自分のスタイルと世界をつくり上げた。ヨーロッパのバレエの伝統とは無縁な世界から生まれた彼女のダンスはパリのミュージックホールで大評判となり、アール・ヌーヴォーの前衛芸術家たちに大きな影響を与えた。
 
 彼女の絶頂期は1900年パリ万博のころ。会場内に大胆にも自分の劇場を造ってしまったフラーは、自分と一緒にできる出し物が必要だった。そこで目を付けたのが、ロンドンで公演中の川上一座。雇ったところが、大変な評判を呼び、パリ市民が、『芸者と武士』を見たとか、あるいは見たいとかをあいさつ代わりにするほどだったとも。川上貞奴(1871~1946)に人気は特に高く、当時の名女優になぞらえて、日本の「サラ・ベルナール」とたたえられ、『狭き門』の作家アンドレ・ジッドは6回も劇場に足を運んだ。
 
 では、なぜ貞奴の演技や川上一座の芝居はパリで評判を呼んだのだろうか。「フジヤマゲイシャ」に代表される日本趣味だけなら、万博の別の見世物に出演していた鳥森芸者たちの方がもっと人気を博したはず。しかし実際に観客が選んだのは貞奴の舞台だった。歌舞伎をベースにした川上一座の芝居は、欧米の観客にアピールするように入念に練り上げられ、日本趣味満載だった。
 
 注目すべきは、川上一座が単独で公演していたわけではなかったこと。劇場主でもあるロイ・フラーは自分の前衛舞踊と川上一座の芝居を組み合わせて、毎日のプログラムを構成していた。つまり、当時の観客が熱狂したのは、貞奴が活躍する川上一座の芝居とロイ・フラーの舞踊がセットになった公演だった。
 
 川上一座の舞台が終わるや場内は暗くなり、すぐにフラーのダンスが始まった。日本人には受け入れられなかった川上一座の芝居であるが、パリの観客にとって、フラーの前衛舞踊と好対照をなし、精彩を放っていたに違いない。貞奴の日本舞踊を含む芝居とフラーの前衛舞踊は「大胆かつ驚くべき二部作」
として称賛されたのである。
 
 
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