「コ・イ・ヌール」
前回のつづき
1739年、ムガール王朝7代目のムハメット・シャー王の時代、王朝の国力も衰え、貴族の分派抗争が続く中、その隙をつくようにペルシャ(現イラン)のナディル王が侵入し、歴史上、最も有名な宝石略奪事件が起こります。ナディル王はムガール帝国の誇る多くの宝石を略奪したのです。しかし、あの大きなダイヤモンドが見当たりません。ハーレムの女から、ムガール王のターバンの中に隠されていることを聞き込んだナディルは、仲直りの印にと王を宴会に招き、友情の証にターバンを交換しようと提案。手に入れたターバンを自分のテントで開いてみると、ダイヤモンドの塊が転げ落ちてきました。ペルシャ王は思わず「コ・イ・ヌール!」(光の山だ!)と叫びました。
この時から、このダイヤモンドは「コ・イ・ヌール」と呼ばれるようになり、イラン王室の所有となりました。その後も、この素晴らしい「光の山」をめぐって多くの企てが繰り返されますが、厳重な警戒態勢のもとにどれも成功させることはできませんでした。
1747年。ナディル王が旅先からペルシャに帰る途中で暗殺されます。彼の略奪した宝石の多くは分散してしまいますが、「コ・イ・ヌール」は王位を継いだ孫のルク王の手に渡ります。
しかし、そのルク王も隣国のカブタリ王アガ・ムハメットに狙われます。アガ王はルクの居城メッカを攻撃。ルク王を捕虜として捕えると、タール油を頭から浴びせるなど残忍な手口で「コ・イ・ヌール」の在り処を白状させようとしますが、ルク王は両目を失明しても白状しませんでした。「コ・イ・ヌール」はルク王が死ぬ前の1751年に彼を助けに来たアフマッド王(ドゥラニ・アフガン王国の建設者)に感謝の印に贈られます。
アフマッド王の死後、その子タイムールを経て、その長男のザマンが三代目の王位継承者となりますが、次男のシュジャ・ウル・ムルクに王位を奪われ、目をくり抜かれて牢獄につながれてしまいます。彼は決して「コ・イ・ヌール」の在り処を白状することなく、独房の壁の中にに隠していましたが、これを看守が見つけシュジャ王の手に落ちることになります。
次回につづく
ちよっと贅沢、ちよっとオシャレな宝飾文化のメッセンジャーをめざして・・・