4月の誕生石「水晶」 | ジュエリーブティックセントラル

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               水晶伝説
            諏訪御料人と信玄の運命を変えた水精
 
 時は室町時代後期。天下国家を狙う領土の奪い合いは、血族を敵と味方に分けて激しい争いを繰り広げていました。親と子、兄弟は疑心暗鬼の世の中。「甲斐の虎」こと武田信虎も例外ではありませんでした。嫡子・晴信(後の武田信玄)のの謀反を何よりも恐れていました。これにはそれなりの理由があり、数ヶ月前のこと・・・
 
 信虎は、信仰している寺の仏像に白毫(仏の額にある第三の目)を入れるために水晶の玉を持って寺に向かっていました。途中ふと水晶玉を取り出して見ると、なんと不思議なことに息子・晴信の刃がはっきりと映し出されていました。これを息子の反逆の前触れとみた信春は「家督は二男の信繁に継がせる!」と断言。このことが原因で親子はお互いに憎しみを深めていき、ついに晴信は父信虎を駿河(静岡)に追放。娘婿の諏訪頼重を騙し討ち同然で切腹に追い込みます。あげくその娘(諏訪御料人)を妻に迎えて周囲を驚かせますが、その晴信はまるで罪滅ぼしでもするように、彼女を大切にします。
 
 三年後の天文十五年(1546)、諏訪御料人は武田晴信の四男・四郎(勝頼)を出産しますが、天文二三年(1556)、二五歳の若さで八歳の四朗を残したまま逝去してしまいます。
 
 晴信の落胆ぶりはひどく寡黙な日が続きますが、ある日、京から水晶の研磨職人が訪れます。生前に御料人から頼まれていた水晶の念珠を届けるためでした。「大事なお館さまの出家のお祝いなので、
親玉には信玄という文字を刻んで欲しい」と頼まれたというのです。晴信は死を予知した妻が、自分が死んだら落胆するであろう夫を想像して「落胆しないで仏に仕えて欲しい(人世のためになって欲しい)」と、水晶に託したメッセージを読み取るのでした。永禄二年(1559)、晴信は入道。他にも幾通りかの水晶の念珠を作らせ(一番長いものは1.2メートルもあったといわれる)、名前も「信玄」と改め、同時に家訓九九条を制定。生まれ変わったように民衆のための政策に打ち込みました。
 
 天正元年(1573)、信玄が病のために死亡すると四朗が家督を継ぎ、八カ国にまたがる領土を支配。諏訪と甲斐の架け橋となって両親の夢を果たします。父から受け継いだ水晶の数珠の一つは四朗の異母妹で剃髪した信松尼(松姫)に渡り、そのパワーを発揮します。彼女は絹を織ることを人々に指導。
八王子織物の始祖として、今も信松院に奉られています。
 
 
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