大阪だけではなかった

Photo by iStock

 かつて、大阪府と大阪市を統合し、「東京都」のような「大阪都」を作るという壮大な構想が世の中を賑わせていた時期がある。同構想の実現を看板政策として活動してきた大阪維新の会などの懸命な努力により、2015年と2020年の二度、住民投票の実施までこぎつけたが、議論伯仲、いずれも否決されてしまった。

  【写真】「ここは、地獄か?」川崎の不良社会と社会問題の中で生きる人々 

 そして現在は、名を捨て実を取る方向、つまり府・市の統合ではなく連携に転換したといわれる。そうした経緯は、関西在住の人でなくても、全国ニュースである程度見聞きしたことがあるかもしれない。

  そんな記憶も少しずつ薄れつつある最近、今度は首都圏を中心に、やはり地方自治の在り方をめぐって、別の大きな問題が浮上していることをご存じだろうか。
  興味深いことに、こちらは方向が正反対で、現状変更を模索する勢力は「別れること」を指向し、反対勢力は「別れたくない」と現状維持を主張している。分かりやすいたとえをすれば、まさに離婚したい夫と、離婚を拒む妻、といった対立の様相を呈しているといえるかもしれない。 

 ところがこの話題、「大阪都構想」と比較するとそれほど大きなニュースになっていない。それが筆者には不思議で仕方がないのだ。なにせ、「夫」役は、人口が全国一の横浜市、そして「妻」役は、これまた全国で人口最大の県である神奈川県ときたら、役者に不足があるはずもない。もっとも、大阪と比べ、各自治体の首長たる政治家の発信力に違いはあるかもしれないが……。  本稿では、そんな話題を丁寧に掘り起こしながら、3回にわたって紹介していきたい。

県の中にある「巨大都市」

Photo by iStock

 では、「別れよう」「捨てないで」の泥沼紛争、その内実はいったいどのようなものなのか。 

 わかりやすく一言で言えば、「横浜市が神奈川県から独立しようとする運動」ということになる。正確には、独立を画策しているのは横浜市だけではなく、同じ神奈川県内に所在する川崎市、相模原市も足並みをそろえて行動している。

  この3市は、地方自治法に基づき、内閣が定める政令によって指定された都市、いわゆる政令指定都市(政令市)という点で共通している。昔は「百万人都市」の代名詞で、ご存じのとおり、横浜市を筆頭に、大阪市、名古屋市などの名だたる大都市がこのカテゴリーに名を連ねてきたが、近年はハードルが下がって、相模原市など70万人程度の人口でも認めてもらえるようになった。  政令指定都市の最もわかりやすい特徴は、区域内をいくつかの行政区に分割し、区役所が設置されることである。また、普通の一般市民にはあまりピンとこないかもしれないが、通常なら道府県が行っている様々な行政事務の処理権限が市へ大幅に移譲されているというのも大きな特徴である。

  ただし、政令指定都市といっても、たとえば「神奈川県横浜市」と言われるように、現在はあくまで神奈川県の中に存在しているため、一部の権限は県に残っているし、国とやり取りする際には、県を介して行うことがある。 

 そもそも日本の行政構造は、基本的に政府(国の各省庁)―都道府県―市町村という三層制になっているが、大規模な人口・財政・組織を持ち、十分な事務処理能力を持つ都市には、あくまで一部の例外を認めている、というのが現在の政令市の制度なのである。

  そうした現状を良しとしない横浜市などは、政令市を「特別市(特別自治市)」という新しい制度に転換させることによって、神奈川県に残された権限を市に移管して県から完全に独立し、国とのやり取りにおいても、県を挟まず直接話ができる関係へ再構築することを目指しているのである。

  ちなみに、どの都道府県にも属さない地方自治体というのは現在の日本に存在しないが、海外にはそれに近いものが存在する。たとえばアメリカの首都「ワシントンD.C.(コロンビア特別区)」は、どの州にも属さない地域だ。こちらは地方自治体というより連邦政府直轄地であるわけだが、そういった「特別」な地を日本にも作るのかどうか、ということである。

  こう聞くと、とても大事な問題であるはずなのに、いささか話題性に劣るのはなぜなのだろうか。

  その理由は、先ほども書いたように政治家の発信力の問題ももちろんあるかもしれない。だが、最大の理由は、やはり住民たちにとっては、横浜市が神奈川県から独立しようがしまいが別にどうだっていい、ということだからではないだろうか。

因縁は100年近く前にさかのぼる

 そもそも、なぜ横浜市などは神奈川県からの独立を画策しているのか。その理由に触れる前に、まずは歴史的な経緯から説明することにしよう。実は、国内の大都市が、都道府県との関係で揉め、独立を指向するようになったのはそれほど最近の話ではなく、両者の間にはもう一世紀近い因縁がある。

  北村亘著『政令指定都市』(中公新書)によると、戦前、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸の六大都市について、1931年頃から、「府県(引用者注:当時は東京都ではなく東京府)と大都市との対立が徐々に先鋭化し(中略)、六大都市は、府県からの完全域外化を目指す特別市制運動を展開して」いったと書かれている。

  戦時体制下においては、これら大都市(途中で東京市は東京府と統合されて東京都となり別扱い)には府県の権限が一部移譲されることになったという。そして戦後、日本国憲法下で地方自治法による制度が固まる中で、府県からの独立を認める「特別市」の仕組みがいったんは盛り込まれた。

  ところが、大都市に逃げられると困る神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県からの猛烈な反発を受け、その府県民全体を対象とした住民投票で承認されないと独立が果たせないという、極めて実現困難な手続きが盛り込まれた。

  その結果、特別市に移行する市が一つも出ないままこの制度は廃止されるに至り、かわりに現在まで続く政令指定都市制度が設けられることになった。大都市側が特別市制度を封印するかわりに、府県から大幅な権限移譲を受けることで両者が妥協した結果とも言われている。

  ただ、その後も、戦前の五大都市の流れを汲む政令市(横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)と地元の府県庁の関係は決して改善されることなく、この問題は長い間くすぶり続けた。時代が平成、令和と変わる過程で、地方自治体を統合して二重行政を解消するという方向に出たのが大阪都構想であり、逆に県から離脱して二重行政を解消するという方向に出たのが横浜市などの動きなのである。

大都市が県から独立したい理由

Photo by iStock

 戦前も戦後も、大都市が府県から独立しようとした理由は根本的には共通している。一言でいうと、効率的な行政が妨げられているからだ。産業や人口が集積し、経済規模が大きな都市が成立すると、大都市ならではの課題や行政需要に対処することが求められるようになる。 

 すると、支出も増えて大変になるから、それに見合った税財源が必要になるし、過疎地まで抱え広域行政を行う府県庁にいちいちお伺いを立てたり、口を挟まれたりすることも、迅速で効率的な行政の阻害要因となるというのだ。

  規模の小さい市町村の場合、府県に頼らなければ組織・人材・財源の面で日々の行政が立ち行かないおそれがあるが、大都市ならそんなことはない。だから、府県から独立して、独自に動けるようにしてほしいと考えるわけだ。

  では、現在の横浜市などが実際にどんな主張をしているのかを紹介しよう。最もわかりやすいのが、県に一部の権限が残っているため、同じ分野の事業を県と市がダブって行うことになり無駄が生じるという、いわゆる「二重行政」の問題である。
 大阪都構想の時にもよく言われた話だが、スポーツ、文化などの箱モノが、県庁所在市には必ず県立と市立の2つずつ存在しているのだ。また、各種補助、イベントなどの振興事業についても、横浜市、川崎市、相模原市域においては、各市役所がそれなりのリソースを投じて地元住民向けに行っているので、県とダブって事業が実施されていることになる。ほかにも、低所得世帯が低家賃で入居できる公営住宅も、県営と市営があるから同じことが言える。

  また、県と市の仕事が完全にダブっているわけではないが、極めて近い2つの事柄を分業しているために、ちょっとズレるだけで担当が県なのか、市なのかが変わってしまい、市民や事業者からすると大変わかりにくく、一方にまとめてくれればありがたいといわれる分野もある。幼稚園は県の担当、保育園は市(政令市の場合、区)の担当となっており、2つに引き裂かれているのは有名な話だ。

  こうした問題を解消するために、県からの独立が不可欠なのだ、というのが横浜市などの主張なのである。  こうした政令市側の主張を聞くと、非常にもっともなように思えてしまうが、政令市から突き付けられた「三下り半」に対し、はたして県はどのような立場で反論しているのだろうか。そして、この問題は今後いったいどのような展開が予想されるのだろうか。

 

大原 みはる(行政評論家)