全てが自分、世界も、頭の中も。
その中から好きなものを選ぶだけ。
そう聞いても、理解が深まってきても、どこかで、常識や過去の記憶に縛られて、好きに選ぶことがまだできてないことに気付きました。
「こうなったらいいな」それを思い描くとワクワクするけど、なんかちょっと違うなって思ってた。
そりゃそうだ。「この程度しか望んではいけないだろう」って、まだ自分に制限かけてたんだから。
ここは自分だけの世界。それなら、いくらでも、好きに思い描けばいい。
世界は全てが好きに選べるカタログなのに。
あるんだから、もう!
カッコいい俳優さんも。
ワクワクする仕事も。
可愛い子供たちも。
素敵すぎる家も。
楽しい人間関係も。
認識する全ての中から、「これがいい!」で良かったんだー。
そしたら、今までに感じたことないくらいワクワクしてきて。
そのワクワクが楽しすぎて、現象化が気にならないって、ちょっと分かってきた。
だって、十分楽しいし、だって、あるし。
なんか、不思議な気持ち。
自分の世界にある、それがいいって選ぶだけ。
今現象として見えているものは、それはそれでいい。目の前の現象も頭の中の想像も全部カタログ。私が好きに選ぶために存在してる!
だから、現実はそれとして、関係なく、いいなぁ好きだなぁこれにしようって心の中で今選ぶ。今、選んだものを十分に(心の中で)堪能する。
カタログ(目の前の現実)がどうだろうと、今の私には関係ない。カタログのおかげで欲しいものが分かるっていうのはあるけど。だから、現象として見える感じるもの全部に感謝したい気持ちは出てくる。
楽しくて、あったかい気持ち。
「これであってるの?ちゃんと認識の変更してるか分からないんだし、早く認識の変更できるように、本読んだりネットで調べないと!」ってエゴが言うけど、私は、それはもういいや。そっちを見るのはやーめた。いつまでも、そのエゴに同化しちゃってただけなんだー。カタログの中から、何度も何度もそれを選んじゃってたんだなー。
自分=世界を体感して、安心できてる私がいいから。既に認識変更済みな私がいいから。そっちの私を選びます。
どうなるかなんて分からない。だけど、今はこれを楽しむとしよう。