かなり久しぶりの投稿。
その間も気づきが深まったような感覚、やっぱり分からないって感覚、波がありました。
今もこれだって感じではないけど、
またちょっと気づきというか、自分の中で腑に落ちたことがあるので、ここに記録します。
最近、何かイヤな気分になりそうな時、何か行動しようとする時、「私は今このイヤなことを考え続けるか、他のことを考えるのがいいかどっちの方が楽だろう?」ってなるべく逐一自問するようにしていて。イヤな気分になりかけの時は、割と「これを考えてもイヤな気分にしかならないからやめる。他の方にしよう」ってなるし、被害者意識になってる時とかは、「他のことなんて考えられない!やめれない!」ってなるので(無理やりやめる方がしんどい時は無理しない)そんな自分も許して見つめる。そのうち、「このまま考え続けるのはもうイヤだ。やめて他のことを考える」ってなる。
そんなことを続けているうちに思ったのは。
まずは、今までいかに嫌な妄想(過去の後悔、未来の不安)に取り憑かれていたのか。「あっ、また」って思うようになった。ほんとに、しょっちゅう。そして、本当はそんなこと考えるのを望んで無いのに、全自動で起こって、その思考にいかに没頭してしまってたのかってこと。
そして、もう一つ思ったのは。
「どっちの方がいいか」って自問して答えが返ってくるのは、自分の中にちゃんと答えがあるから。
何が心地いいか、本当は全部分かってる。
記憶に引っ張られてイヤな思考が出てきた時は、そこにしがみついてしまうけど、それがなければいつでも心地よくいられるはず。思考はどうしても出てきちゃうけど、それは記憶からの条件反射で、そっちを掴むんじゃなくて、反応せず、好きな思考を選ぶ。いや、それも、限定された自分が選んだ「良いと思われる」思考。1番いいのは、無思考なのかなって。だって、本来の自分(別の領域)は、最善が何か分かってるんだから、余計な思考をしないのがいいんじゃいか、その方が自分には最善なんじゃないか。
願望でもよく言われますよね。「自分がこうなりたい!」って思ってもいいけど、別の領域にお任せした方が、自分が想像するより、もっともっといいものが与えられると。
結局は同じことなんだなと。だって、内面が現実に反映されるんですもんね。
無思考がいいってこういうことなのかなと。
色んな人が言ってた通り。
1番腑に落ちたのは、「今どっちの思考がいい?」って自問して、答えが出てくる、つまり自分の中に答えはある、自分の最善が既にあるってこと。自分の中にあるって安心感を少しでも体感を感じられるようになったのが良かったなって。
既にあるってこういうことなのかな、って。違うのかな。でも、自分の中にあるからこそ、それが現実に反映されるわけだから、巷で言われてる既にあると一緒なのかな…と。まあ、違ってもいい。だって、自分の感覚が何より大事ですもんね。