前回のブログからだいぶ経ってしまいました。
その間も、現実に心が揺さぶられることもありましたが、基本は何も関係ないなと穏やかな気持ちでおりました。
心が揺さぶられた時はやっぱり基本に立ち戻って、自愛だなと思ったりするわけですが、そんな中で最近の私の心境など、久しぶりに書きたくなったので、書いていきます。
潜在意識世界って、色んな有名な方がいらっしゃるかと思いますが、最も参考にしてる達人さんのうちの1人に、108さんがいらっしゃいます。
この方のデバッグという書籍のなかで、「主(神)よ、あなたにとっての最善をお与えください」というメソッドと言いますか、姿勢について書かれているものがあります。詳細は割愛しますが…
今、私の心境は、これです。
小さいエゴの私には何が最善か分からないので、全部お任せ!です。だけど、エゴにとっても最良が与えられるよね、と。
(私の解釈ですので、108さんの意図と違ったらすみません。)
それは、全てについてなんですよね。優先順位なんてなくて、エゴが思うちっぽけなことも、大きなことも、本願も。
本来は、願望=実現、全て充足、全て愛なら、全て最良が与えられるはず、どんな小さいことも、こんな小さいことならいらない、なんて、おかしいわけで。小さいことばっかり叶えてないで、大きいこと叶えてよね!って、思ってた。
これって…
いつも無意識に、自分の中の幸せの量を制限していたんだなと思ったんです。
例えば宝くじが当たったりしたら、「こんないいことが起きるなんて、何か悪いことが起こるかも(これ以上いいことなんて起こらないかも)」とか。
すごい小さいことで、例えばスマホでゲームしてて、ガチャで良いキャラが当たって欲しい!「当たれ当たれ!」と思うのに、「いや、こんなことで運を使ったらもったいない」とか。
子供が病気で辛そうなら、「神様、私が代わりになるので、子供を楽にして下さい」とか。
宝くじ当たっても、他の幸せも手にしていいし、
ガチャ当たって他のものも手にしてもいいし、
子供も私も元気でもいいわけです。
でも、何個も何個もいいことあるわけないとか、何かを得るためには何かを犠牲にしなくちゃいけないとか、無意識にそういう思考になってました。
自分が持てる幸せに、何故か自分で上限を設けていたし、神様にお願いする時も、何かを差し出さないと貰えない、みたいな、そんな思い込みがありました。(潜在意識で、本来の自分は神、と知識であっても、神様についついお願いしちゃう時あるのですが、全知全能の完璧な神が、そんなケチくさいわけないですよね笑)
だけど、この姿勢こそが、「私にはこの程度の幸せしか持てません」という表明だったりするんじゃないか、そういう自己イメージを自分で作って、それを叶えてしまってたんじゃないか、と思ったのです。
なので、今は、私が望むもの、どんな小さいことでも、全部手に入れていい、私が望むもの以上のものも。エゴの私は全てを把握できてないから、何が最善かは分からないから、もう本来の私に全部お任せ、全部最良のもので!と思ってます。
願望=実現、の法則なら、全部よろしく!みたいな。
どんな小さい充足も受け取ろうとする姿勢は、エゴの本願も受け取る姿勢なのではないのかなと。
そんな風に思ってたら、あんまり、潜在意識のことを考えない日々になり(何もすることないし、全ては全自動かなと思うので)ちょっとした良いことも起こりつつ、穏やかに過ごす日々となっておりました。
この姿勢でどうか、何か気づきがあるか、分からないですが、またブログ書きたくなったら書きます。