開き直って、ただのお祭り騒ぎとして乗っかるのには長すぎた5年間。

招待されなかった同窓会の会場の外で、チベットスナギツネの様な顔でぼーっと立ってた5年間

同窓会は楽しかったですか?


ドラマに寄せすぎのタイアップ曲。

テンポを変えただけのセルフカバー。

どこかで聴いたことのある音がたくさん詰まったアルバムには、希望の中の絶望、絶望の中の希望が一番の魅力だったはずの彼らはいなかった。

『再結成してこれがやりたかったのね』は、結局探せませんでしたよ、吉井さん。

さまざまなものを削ぎ落として、一音一音を深く掘り下げ、純度を高めた吉井和哉だけの音には敵いませんでしたよ、吉井さん。


吉井さんはずっと嘘つきだけど、それは後で言ったことの大きさに萎縮して無かったことにしてしまうから。

マンション、車、モデルじゃないロックスター
ソロで見つけた自分の世界
YOSHII LOVINSONを葬る

THE YELLOW MONKEYを超える

本当は欲しかったもの。
やりたかったこと。
できなかったこと。

正直になった吉井さんの近影は、とても幸せそうに見える。

ただ、全部に正直な吉井和哉が魅力的かどうかは別の話。

『幸せになってはいけない?』
結構衝撃的だった.comでの吉井さんのこの言葉。

いやいいんですよ、全然。

と、あれを見たファンは口を揃えて言ったはず。

でもその後の楽曲は、私には少しも魅力的に響かなかった。

それまでの音楽活動に映し出された吉井さんの幸せとは、日常の幸せを後回しにしてもミューズに愛される事だと思っていた。

自分の音楽を求める為に、THE YELLOW MONKEYを終わらせてしまったのも、子供たちを置いて家を出たのも、ファンにTHE YELLOW MONKEYのイの字も言わせなかった事も、全てその為だと思っていた。

再結成した時は正直裏切られた気持ちでいっぱいだったけど、今になって当時のブログを読み返すとよくわかる。

私生活もファンとの関係もぐちゃぐちゃで、心のひだを引っ掻くような曲も発表できていなかった吉井さんは相当弱っていたはず。

そんな状況をひっくり返す方法がきっと再結成だったのだ。

39108の頃にもみんなに再結成を打診して断られたことがあったって聞いたことがある。

あの頃もボロボロだった吉井さん。

つらい自分に正直になったからこそ、実現した今回の再結成。

ただ、色んな方法で訴求したにもかかわらず、新しく若いファンを獲得するような音は作れなかったと思う。

結局、解散以降離れていた元ファンや、ソロの間もTHE YELLOW MONKEYを待ち続けていたファンが色めきたっただけだった様に見える。


全部を手に入れて、それでも輝き続けられるアーティストなんてきっといない。

世界中が一変してしまったこの困難な状況下で、大きなライブを終わらせた後に何が残るのかな。

吉井和哉の音楽活動は、この後どうなるのかな。

どうか、『国宝でありたい』なんて不遜な事を言わない吉井和哉で有りますように。

幸せな、幸せな吉井和哉で有りますように。