気になっていたCanvaを使ってアメブロのバナーを作成して、FBのカバー写真とともに変更しました!少してこずったけど、こういうデザインする仕事はとても楽しかったドキドキ

この仕事を終えてふと気づいたんだけれど、私は会社員だった時からこうしてオシャレなデザインのHPやブログを検索したり、美味しくて素敵な雰囲気のカフェを探したり、スクールを探していたなって。

本を読むことも、オシャレすることも、美味しくて素敵なお店を探すことも、スクールで学ぶことも、人と深いコミュニケーションをすることも昔から変わらず好き。

人生でやることに加わったのは、スピリチュアルなお仕事。これを受け入れたことにより、私の生命力は強くなり、人生が好転していきました。

 

けれど、私はスピリチュアルなことに関して過去にトラウマが多く、この仕事を受け入れるまでにはものすごい葛藤と長い期間が必要でした。

私が思ったのは、好きなことや興味があることだけをやるのではなく、最も恐れが出てくる、でも魂が最もやりたいワクワクドキドキすることを人生に招きいれることがとても重要なんだってこと。

 

人間の意識だと、腰が重くなったり気が引けたり、『大変そうだから嫌だな~』と思ったりして、あまり積極的にやりたくない仕事の場合もある。でも、魂的には過去のトラウマを乗り越えて、今回の人生ではやりたいと願っている。

魂が望む仕事をし始めると、生命力が強くなり、人生を創造的に生きるエネルギーが満ち溢れてきます。

 

逆に、魂が望まない仕事をずっとしていると、身体を壊したりお金は稼げても心が満たされなかったりするんじゃないかと思います。

 

魂が望む仕事=天職。

 

これはお金を稼げる仕事とは限らない。私の場合はシャーマニックな才能があるので、浄化することが地球に貢献するお仕事で、自分自身だけでなくあらゆるレベルで浄化を欠かさずおこなっています。

 

セラピーを受けて地球の想念帯の浄化をする。『今、行く必要がありそうだ』というインスピレーションが来た場所に行って場や土地の浄化をし、神社参拝をする。これは現実面でのお金にはなりません。(宇宙貯金としてやってくる)

 

たくさんの浄化ツールを購入したり個人セッションを受けたり、移動や宿泊をするので出て行くお金が多いですが、私の仕事のメインです。

このお仕事以外は自分がストレスなくできることをやっています。好きなこと、得意なこと、苦にならずやれること、習ったわけでもないのに難なくやれること、人から頼まれること、人からよく褒められることも含めて、他者に貢献できるお仕事です。

 

私の場合は、ライフアドバイザーとして活動しています。現在は1年間のパートナーシップ講座を開催中。こちらは他者への貢献としてお金をいただいています。このお金も学びたい講座の受講や必要な浄化ツールの購入に充てるのですぐに私の手元を離れていきます。ですが、循環し続けるのでお金が必要な時には手元にあります。

 

人間として生活を維持するための仕事=適職

 

適職は主婦です。私は見ず知らずの人に貢献することよりも、家族や家族同然に大切に想う友達や仲間に貢献したいと願っています。なので、心身両面でその人たちに必要なサポートができることが私の喜びです。

 

長時間労働すること、やりたくないことをやること、決まった時間に合わせて生活すること、通勤すること、興味関心がない事柄と関わったり、大人数とお付き合いするのが苦手なので、それらをせずに自宅にいながら自由に生活でき、快適な住環境と好きなことをできる時間とスペースが与えられる今の生き方は、長年夢見ていた理想の生活です。

 

天職と適職のバランスが取れてくると、不思議とお金に困らなくなりました。以前は枯渇感や劣等感が強く、必要以上にお金を遣っていたり、体調不良が多かったので健康維持のためにたくさんのお金が必要でした。

 

自分の天職を人生に招き入れると、体調不良が改善されるというのはビックリびっくり

 

若い頃から体調不良が多かったので、相当な健康オタクになっていましたが、結局はトラウマを癒し、天職をする決意をしたらどんどんと健康体になっていきました。(健康になるまでも何十年とかかりましたが)

今、自分が理想だと思っていた生活をしてみて感じるのは、理想の生活って全然特別なことじゃないということ。昔から、5歳くらいからずーっとしてきたことの延長線上にあったなって。

 

スピリチュアルなお仕事は祖母の代から母を通して受け継がれてきているのですが、私はまったくこの仕事に興味関心がなかったので拒否し続けてきました。それでもなぜか人生を通して何度もスピリチュアルな学びや人に出会い、結局は30歳前後から自分の意思でやっていくことを決心します。

 

私はお絵かきしたり工作するのが大好きで、5歳くらいからずっと何かしらの形でやっていました。今は、アートセラピーやCanvaでデザインするという形に変わって続けています。日記を書くのも好きで中学生くらいから続けていて、今はブログを書くことに繋がっています。

なのに、私はいつの間か「お金を得られること」、「現実的に社会で役立ち、人に貢献できること」、「人よりも優れてできて、目に見えた成果を出して称賛されること」、「スキルや経験値が高いこと」をすることが仕事なんだ。そういう仕事をしなきゃって勘違いしてきたんだと思います。

“周りと比べて上手”とか関係ない。ずーっとずーっと、それを飽きずに探求してやり続けられるかどうかが大事。いくら好きで興味があっても飽きずに続くものと、続かないものがある。

 

単なる“好き”は、手にするとすぐに熱が冷める。でも、ずーっと探求し続けられるものは、好きを越えて愛や情熱に変わっていく。恋愛で終わるか、結婚してもずーっと愛し続けられるかに似てるかもしれないキョロキョロ

人生で本当にやりたいことは、どんなに上手く行かなくても、失敗続きでも、お金にならなくても、全然向いてないように感じられる出来事に遭遇しても、ずーっとやり続けてしまうものだと思うんです。

 

私は自己探求が大好きで。だから今もスピリチュアルな探求をし続けているのだと思います。大好きなことなんだけど、これを続けていく過程にはもれなく恐れや不安、ドキドキ感がついて来ました。

 

お金は稼げないし、やりたくないことは一切できなくなるし(だからお金が稼げないんだけど)、今の私に必要のない人間関係は急になくなっていくし(仲良くしていた人とも、突然別れがやってくる)、『私、これで大丈夫なのか?生きていかれるのかな?』って何度も思いながら、泣いたり打ちひしがれたり、まな板の鯉になりながら、様々なトラウマを乗り越えてきました。

 

そして気づいたのが・・・私はお金を遣うのは好きだけど、稼ぐことには昔からまったく興味がなかったということ笑い泣き

 

好きなことをして、自由きままに生活できるお金があるならそれで十分。旦那さんが私に必要なお金は与えてくれるから、結局何の心配もいらなかった・・・。

 

『こんな生き方でいいのかな?もっときちんとした形で社会貢献したり、仕事としてやったほうがいいんじゃ?』と、数日前も悩んでいたんですが、結局生活は豊かで満たされてるし、心身ともに健康で、困ったことは何もない状態なので、『これでいいんだろうな』って着地しました。

 

私の中に、「きちんとした仕事をしてお金を稼がないといけない」「社会や他者に貢献しないといけない」って、刷り込みや思い込みが強くあるんだなーって改めて感じたのです。

 

私にしかできない形で仕事はしているし、お金を稼いでいるし、地球にも、社会にも、そして人にも貢献しているのに。『わかりやすい形で表現できない、こういう仕事は違うんじゃないか?』っていう不安がやってくるんだなぁって。

 

時代背景や親から長年言われてきたこと、社会的な概念によって、『私はここに当てはまってない!こんな生き方じゃダメだ!』ってついつい思ってしまうことって、多くの人にあるんじゃないかな?って感じる出来事でした。