今日、38歳の誕生日を迎えました。
数日前から、今年の誕生日には「お母さん、産んでくれてありがとう」って言いたいなって思っていました。
私はこの世界に生まれたことを嬉しいとは長年思っていなかったので、この変化にビックリ
幼少期から普通に生活することがしんどくて、周囲の人にも社会にも馴染めず、扱いづらい自分に悩みながら生きてきたので。
「生まれてきてよかった~!!楽しい~」って感じることはたまにしかなく。
私の体感的には、しんどさ9割、楽しさ1割くらいでした。
たぶん、客観的に見たらすごく楽しい経験はもっとたくさんあったのだと思うけど。
しんどい経験のインパクトが大きすぎて、楽しさを感じるレベルがかなり低かったんじゃないのかな?と、振り返ってみて今思います。
まさかこんな誕生日を迎えられる日が来るなんて、夢にも思いませんでした
今日お母さんに意を決して電話をしたものの、すぐには言葉が出て来なくて。
けれど、お母さんの近況を聴きながら相槌をうっているうちに、自然と感謝の気持ちを伝えることができました
誰かにお祝いしてもらえる誕生日もすごく嬉しいけれど、自分が誕生できたことを心の底から喜び、感謝できることがこんなにも幸せだなんて知りませんでした。
こんな体験ができた今年の誕生日。
私にとって、とても特別な日になりました
私は幼少期からお母さんのことが大嫌いでした。
周りの友達のお母さんとは言っていることや行動がかなり違っていて、常識がない。私が期待するような回答がかえって来ず、むしろ的外れなことを言ってくる。理解不能なひどい人だと思っていました。
けれど、長年お母さんとの葛藤と向き合い続けてきて今感じるのは、彼女は私の人生の師匠だったんだということ。
彼女はとても未来志向で、博愛主義で執着の薄い人でした。
子どもの私からすると、周りの友達のお母さんとは全然考え方が違うし、自分の家族にも他人にも同じように接するし、子どもが小さかった時の写真や家族が大事にしていた思い出の品物もあっさりと捨ててしまうお母さんのことが理解できず、腹を立てていました。
毎回毎回、私の予想をはるかに超えた言動をしてくるお母さん。
理解ができずに、私はずっと苦しみ続けました。
もっと普通のお母さんがいい・・・。こんな人嫌だ・・・。って思っていましたが、現実はずっとこのお母さんのままです。
なので、私はどうにかこの理解不能な母を理解し、受け入れるべく努力をし続けました。
これは私にとって長く辛い修行でしたが、ようやく謎が解けたのです。
お母さんがこのお母さんだったからこそ、今の私が存在できているんだってことがわかりました。
人が予想していない常識外れの言動をする。家族であっても他人であっても同じように接する。人や物に執着しない。
昔は執着の塊だったこの私が(笑)
家族とべったり一緒にいることに憧れていたこの私が(笑)
普通の常識ある人になりたかったこの私が(笑)
結局、今はお母さんそっくりになっていました
お母さんは、未来の私の理想だったってオチです。
38年かけて、ようやく気付きました。
Happy Birthday