これは明日の僕に向けて、今日の僕の考えを散文的に遺書として残すもので
けして、若手俳優主演で映画化する『御涙頂戴』的なものでは無い事を念頭に入れて欲しい
ましてや、農業高校 高等技術学校が最終学歴という人間の意見に
誤字 脱字であったり
考え方の違いによる不快感などを伝えられても困る
と付け加えておく
今日の本題
『僕が掴みどころの無い人間と呼ばれた事について』
癖が強いのに掴みどころが無い八方美人
曲者
なぜか上から目線で人を一言でまとめようとする人達は
僕をこう形容した
古い友人の呼ぶ「キチガイ」と言う方がシックリくる
ならば、僕も上から目線で
「それ、正解。」
とでも言いたい位だ
そもそも
僕が八方美人な振る舞いをするのは
僕の大切な血の繋がりの無い家族達に訪れるかも知れない厄介事を
少しでも減らせる可能性を考えた上の行動であって
そんな人達に尻尾を振っている訳では無いのだ
連ねて言ってしまえば
一面を全てと捉えて
善人や悪人の尺度で測られるのも困る
「そんな人と思わなかった」
などと言われても
人間は多面的なもので
一面は一面であって全てでは無い
かいけつゾロリのアンチテーゼとして
不真面目に真面目を貫く生き方を
否定された様で不快にすら感じる
今の僕は 僕が望んだ僕であって
誰かの望んだ僕とは違うのだ。
と、自我の強めな哲学者の様な言葉で
今日の遺書を締めるとする