「あたしおかあさんだから」っていう歌がTwitterで話題になっていました。
「おかあさんだから我慢してること」がたくさんたくさん羅列されていて、
(ネイルしないとか、ヒール履かないとか、朝5時に起きるとか、苦手な料理頑張るとか)
そして最後に無理矢理自分に言い聞かせるかのように「でもおかあさんになれてよかった」ってまとめられている歌です。
(という印象を私は受けました・・)
歌詞を見て、歌を聴いて・・・
私はなんだか悲しい気持ちになってしまいました。
「おかあさんは自分を犠牲にしてあたりまえ」
「愛する我が子のためならなんでもしてあげられるはず」
「どんなに大変でも、笑顔でいなくちゃいけない」
「どんなに大変でも、私幸せ!って思っていなくちゃいけない」
って言われているかのような・・・。
(作詞家の方もそのような意図で作られたわけではないとは思うんですけど、限られた言葉の中で、たぶん意図されていたのとは違う伝わり方をしちゃったのかなぁ)
私がこの歌を聞いて不安に思ったのは、
「おかあさん」ってそんな「自己犠牲が当然!」みたいなイメージなの??
ってこと。
世間の人々が思う「いいお母さん像」を表わしたらこうなるのかな・・・
(そしてその「お母さん像」は実在する誰かではなくて、偶像みたいなものなんだろうな)
「お母さん」にも個性があって、それぞれひとりひとりの人間なのにな・・・
私も「お母さん」ってひとくくりにされて、「我慢とか自己犠牲は当たり前だろ母親なんだから」ってそんな風に世の中から思われてるのかなぁ。
って。
なんだか悲しくなりました。
子育てって母親ひとりでするものじゃないのに。
父親もおじいちゃんもおばあちゃんも、ご近所さんも、友達も、
みんな巻き込んでできたら幸せなのに。
「子育てを母親に押し付けてみんなどこか他人事」っていうのがたぶんこの国の現状なんだろうなぁ・・・。
だから待機児童も減らないし、子供が泣くこと=迷惑、っていう認識もなくならないんだよ・・・。
(お?なんだか話が飛躍したぞ)
話を元に戻すと、
私は、“母の自己犠牲”ありきで子育てしちゃうの、すごく危険だと思う。
「おかあさんだから○○しなきゃ」「おかあさんだから○○しちゃだめだ」って、なんでも我慢しすぎると、きっと子供に「私はあなたのためにアレもコレも我慢したのに!!」っていう押し付けをしてしまう。
「お母さんはお母さん」「子供は子供」「それぞれ別の人間」っていうところがこんがらがってしまう。自他の境界が引けなくなってしまう。
「私はすべてを犠牲にしたのに」って。それってすごく危険。
だから私は息子とは関係なく、自分のことは自分で幸せにしようと思う。
改めて、そう思う。
*
Twitterで「#あたしおかあさんだから」に対抗して「#あたしおかあさんだけど」っていうハッシュタグができていました。
「おかあさんだけど」みなさん生き生きと、自分らしく生活してるんだなって、
とても元気をもらえました。
私、
「おかあさんだから」息子を愛する気持ちは世界中の誰にも負けない。
でも、
「おかあさんだけど」不機嫌な日だってあるし、
「おかあさんだけど」ネイルもしてる。
「おかあさんだけど」旅行も行くし、
「おかあさんだけど」料理さぼる。
「おかあさんだけど」ドラマにハマってるし、
「おかあさんだけど」自分らしく生きていようと思う。
自分らしく生きられてるからこそ、息子との時間が幸せに思えてるんだよ。
おかあさんに無理させないこと、大事なんだよ。
「母は強し」なんて言葉に甘えないでほしい。
「母親には敵わない」とか言って逃げないでほしい。
おかあさんだってひとりの人間なんだよ。
誰かのかけがえのない娘で、誰かのかけがえのない女の子なんだよ。
そしてその「おかあさん」それぞれにも個性があるんだよ。
って分かってくれる人が、この国にもっと増えますように。
*
ちなみにここ最近の私ですが、
「おかあさんだけど」あべのハルカスの夜景の見えるホテルに泊まったり





