なんのための記念日? | 姑なんてだいきらい

なんのための記念日?

結婚して1年、とても苦労したのはお料理だった。なにせ、クッキーとスパゲティとカレーしか作ったことがなかった。でも、1年がんばったおかげで、自慢のお料理や彼の好きなメニューは覚えた。それを発表会みたいに全部作った。彼は飲まないけど私のためにワインなどを、奮発して、カードも書いた。ささやかなプレゼントも用意した。


1年 知らない土地で身内になったもと他人の中にたった一人で飛び込んで、自分なりに無我夢中でやってきた。最初の結婚記念日には長男も生まれていた。


帰ってきたら喜ぶだろうとおもって、わくわくしながらまった。


ところが、なかなか彼は帰ってこない。夕方には義父母に先に食べてもらって、私は食べずにまった。ラップをかけたお料理がお皿の上で冷たくなって、私もお腹が減るので、軽く少し食べる。そのうち、長男がぐずりだして、寝かしつける。また、戻って、テレビをみたり、ワインをちょっとあけてみたりしていると、落ち着かない私の気分を察するのか、長男が再々、ぐずる。そのたびに寝かしつける。


赤ちゃん、今晩はゆっくり寝てくれますように。


でも、そうこうしているうちに長男と一緒に眠ってしまったのだ。はっと、目を覚ましてみると午前0時を回っていた。長男はすやすや眠っていた。そして、部屋はシーンとしている。


また、気を取り直してお風呂に入っていると、まっていた彼の車の音が聞こえてきた。やっと帰ってきた。彼は食卓に来て、「お うまそうやな」その言葉を聴いたとき、私は、なぜだか、つまらなくなった。こんなことをしている自分が私らしくないような気がした。


すでに2時になろうとしていた。仕事で遅いときもある、でも、パチンコや麻雀のときもある。パチンコのときはだいたい11時、麻雀なら午前様。結婚したからって、あれもこれもやめてくれ・・とは一言も言ったことがなかった。


でも、結婚記念日ぐらいは、全てを断って早く帰ってくれてもいいんじゃないか・・と思ったけど口には出さなかった。出せなかったのかもしれない。「ごめんね・・」とは、彼は言わなかった。そして、私は非難することもできなかったし、声を出して泣くこともしなかった。むしろ、「ごくろうさま」と元気をとりつくろった。


だって、結婚記念日を忘れていたのなら悲しいし、知っていて遅いのならもっと寂しい。


なぜだか、結婚したら、大事なことは話し合えなくなった。恋人のころはあんなに簡単に言えた「ごめんね」は、結婚してからはお互い言えなくなっていた。


1年たってわかったことは、彼は結婚したことによって自分のライフスタイルを変えようとはしないということ。私は住む場所も付き合う人もかわれば、初めての出産もして、全てが変わった。でも、私自身、彼の生活が結婚したことによってつまらなくなったり、パチンコであろうと、麻雀であろうと、楽しみだったことを我慢しなければならなくなるのは残念だった。だけど、私は、テレビは見なくなったし、音楽を聴いてる余裕もなかったし、母乳で子育てをしていては、美容院へ行くのもむつかしかった。


そういう結婚記念日を5回ぐらいは繰り返しただろうか・・。5回たつと、子どもは3人に増え、幼稚園にもはいっていた。主婦としても忙しくなり、現実の生活におわれるようになる。そして、記念日なんてつまらないことのように思えてきた。


子どもがもっと大きくなり、主人も仕事への情熱も穏やかなものになった最近、彼は時々、結婚記念日に花を買ってきてくれるようになった。男は今頃少しずつ、変わりはじめるのだろうか・・。私は、「ありがとう」といって受け取る。そして、どうして、これを20代だったひたむきな私にたいして、してくれなかったのだろうと思う。