大理石の床にシャンデリアの眩い光が反射し、グラスの触れ合う繊細な音が響く。ここは国内屈指の巨大コンツェルン「ヴェルトマーコーポレーション」の本社ビルの最上階。今宵は企業の更なる躍進を祝う華やかな祝賀パーティーが催されていた。

その喧騒の中心にひときわ清らかなオーラを放つ少年がいた。

シアルフィ財閥御曹司セリス・バルドス・シアルフィ―――今日は会長夫人として多忙を極める母ディアドラの名代で、伯父のアルヴィス社長が主催するこの宴に脚を運んでいた。

『セリス様、少しお疲れではございませんか?お飲み物をお持ち致しましょう』

傍らで影のように控えるのは、セリスに絶対の忠誠を誓う執事のホークだ。同じ学園に通う級友でもある彼は、パーティー会場内でも完璧なエスコートを発揮し、主人を支えていた。

『ありがとう、ホーク。僕は大丈夫だよ。これ程、大勢の親族や関係者の方々が列席して下さったんだ。母上の代理としてしっかり役目を果たさないとね』

会場にはヴェルトマー一族の錚々たる顔触れが揃っていた。

アルヴィスの妻であり敏腕弁護士のアイーダ、そしてアルヴィスとアイーダの息子でありヴェルトマーコーポレーションの専務を務めるサイアス。アルヴィスの異母弟で高名な小説家のアゼルと、その妻で気鋭のファッションデザイナーであるティルテュ。

更に傘下企業の重鎮たちも一族を連れて出席している。「フリージ電工」を率いるブルームとその妻ヒルダ、そして「ドズル重工」の経営者レックスとその妻で看護師長のエーディン。まさに政財界の頂点がこの広間に凝縮されていた。

『セリス君!相変わらず、制服姿じゃなくても絵になるわねぇ!』

華やかなドレスを身に纏ったティルテュが朗らかな声を上げてセリスに駆け寄る。その後ろには彼女とアゼルの子供達であり、学園の友人でもある面々が続いていた。

『ティルテュ様、今宵もお美しいですね』

セリスが微笑むと、ティルテュの息子アーサーが大仰に肩を竦めた。

『ハァ…頼むから母さんをあんまり調子に乗らせないで下さい。……それにしても、セリス様のその「聖母スマイル」今日も冴え渡ってますね』

『もう兄様、セリス様に失礼です。セリス様、こんばんは』

妹のティニーが恥ずかしそうに、しかし熱い視線をセリスに送りながら挨拶を交わす。

『こんばんはティニー。無礼講という訳にはいかないけど、今夜はお互いに楽しもう』

そこへドズル重工の令息であるレスターと、その妹のラナも加わった。

『セリス様、明日の生徒会会議の資料ですが、僭越ながら私の方でまとめておきました』

 『ありがとう、レスター。とても心強いよ。ラナもいつも細やかな目配りをしてくれてありがとう。明日もまた宜しくね』

『とんでもないです!セリス様、あまり無理をなさらないで下さいね。私たちは何時でもセリス様をお助けしますから』

ラナはそっとセリスの心身を気遣う。

アーサー、ティニー、レスター、ラナ、そして執事のホーク。学園の輝かしい中心人物たちに囲まれたセリスの周りは、さながら小さな社交界のようになっていた。

―――その輪を少し離れた場所からじっと見つめる、一人の美しい少女がいた。

フリージ電工の令嬢イシュタル。彼女もまたユグドラル学園に通う、才色兼備と称される存在だ。今夜の彼女は自身の銀髪に合わせた美事なイブニングドレスを纏い、息を吞むような美貌を放っていた。

彼女の視線は、真っ直ぐにセリスへと向けられている。

『(セリス様……言葉を交わしたいけれど、あの輪の中へ入っていく隙がないわ……)』

ホークが厳重に警戒し、アーサーたちと楽しげに会話に華を咲かせている。近付きたくても近付けないもどかしさに、イシュタルが小さく溜め息をついたその時、隣にいた兄のイシュトーが穏やかに微笑んだ。

『困った顔をしていても可愛いが、やはり妹のそんな表情は見たくないな。ここは俺に任せてくれ』

イシュトーはそう言うと、輪の中心にいるセリスの元へと歩み寄る。

『やあ、アーサー、レスター。ドズルとフリージの次世代として少しビジネスライクな展望を伺いたいのだが、向こうのテラスで意見を交わさないか?ホーク殿も、警備の導線について確認したい事があるのだが…時間を頂いても構わないだろうか?手間は取らせない』

『お、良いぜ。行こうレスター』

『ああ。お手柔らかに頼みます』

『了解しました』

イシュトーの巧みな誘導により、アーサー、レスター、ホークが一時的にその場を離れる事になった。ラナとティニーも、ティルテュやエーディンに呼ばれて別の歓談の輪へと移動していく。

ぽっかりと空いたセリスの隣へ、イシュタルは胸の高鳴りを抑えながら静かに歩を進めた。

『こんばんは、セリス様。今宵の主役はアルヴィス様ですが……私にとっては貴方が一番輝いて見えますわ』

『イシュタルさん、こんばんは。そう仰って頂けて光栄です。今日のドレス、とても良くお似合いですね。まるで夜空の星のようだ』

セリスの何処までも甘く優しい声音にイシュタルの頬がほんのりと朱に染まる。

―――二人きりの空間。シャンデリアの光に照らされ、互いの視線が絡み合う。まさに絵画のような、甘美でロマンチックな雰囲気が漂い始めた。

しかし、その至高の瞬間はあまりにも唐突に、そして騒々しく打ち砕かれる。

『おい、ヨハン!お前、またラクチェに俺の悪口吹き込んだな!?』

『フッ……人聞きが悪いな、ヨハルヴァ。私はただ我が心の薔薇であるラクチェに粗野な男の危険性を説いたまで。彼女の凜とした美しさは、私の奏でる愛の詩(ソネット)でこそ昇華されるのだ……』

『黙れポエマー!ラクチェのあの鋭い剣技と気高さは、俺の熱いドズルの血潮でこそ守るべきなんだよ!』

大声を上げながら会場を騒然とさせるのは、レックスの甥でレスターとラナの従兄弟にあたるヨハンとヨハルヴァだった。彼らは日頃から同じ学園の生徒であり、二人にとってマドンナ的存在のラクチェを巡って果てしない論争を繰り返し、本日も空気をわきまえず、ラクチェへの称賛から一転して兄弟喧嘩を繰り広げる。

『笑止!ラクチェが最も輝くのは、汗を流して稽古に励むあの横顔だ!』

『笑わせんな!学食で美味そうに唐揚げを頬張るギャップこそ至高だ!』

『何だと!?貴様、ラクチェの神聖なる食事風景を覗き見したのか!?』

二人はやがてセリスとイシュタルのすぐ横で互いの胸倉を摑み合わさんばかりに喧嘩の勢いを加速させた。あまりの騒がしさに周囲の招待客たちも何事かと視線を向ける。

『あ、あの…二人とも、ここはパーティーの会場だから落ち着いて……』

困惑したセリスが二人をどうにか宥めようとする。

その瞬間、イシュタルの脳内で何かがプツリと切れた。兄イシュトーが気を利かせてお膳立てしてくれたセリスとの甘い二人きりの時間が、ラクチェというこの場にはいない女子生徒を巡る馬鹿げた身内の醜態によって完全に水の泡となったのだから。

怒りで肩を震わせるイシュタルは扇子を強く握り締め、

『……貴方たち、いい加減にしてくれないかしら?ヴェルトマーを、ひいてはドズルとフリージの名を汚す気ですか……!』

彼女の凍り付くような声にヨハンとヨハルヴァは一瞬でピシリと固まるものの、

『ひぇっ!トールハンマーが落ちるぞ!!』

『馬鹿言え!あれはダイムサンダだろ!!』

と絶叫し、二人は揉み合いながらホールの隅へ逃げていった。

すっかり雰囲気が冷めてしまい、疲弊するイシュタルと、嵐のようなドズル兄弟の騒然さに唖然としつつも苦笑するセリス。

その一部始終をテラス席で高級なワイングラスを傾ける一人の烈女―――フリージ電工の社長夫人ヒルダが睥睨していた。

彼女は不機嫌そうにドレスの裾を直すと、冷ややかな、しかし何処か面白がるような視線をイシュタルに向け、遠巻きにポツリと呟いた。

『やれやれ。我が娘ながら不憫だねぇ……ま、アタシの知ったこっちゃないけどさ』

母親の冷淡な独り言など知る由もなく、イシュタルは霧散していく甘い時間の名残を惜しむように、再びアーサーたちと談笑を交わすセリスの後ろ姿を切ない想いで凝視するのであった。