こんにちは、片桐セリカです。
色々あって結局思い付いたのが、「同人漫画的な形態でもいいから、『売る漫画』を描くこと」を始めた方がいいのでは??……ということで、割とこれまでの考え方を私も覆した結論を出したものだ……と我ながら思いました。
これまで「同人系=『素人のプロ』的な調子こき」と思い込んで、私は嫌悪していたもので、実際に高校時代に、漫画を読むのも描くのも大好きだったが故に、「同じ作品好きな人とつながりたい」的な感じで同人界を覗いてみたはいいものの……結局今の私で言う「界隈」的で、「下らなくて好かない」と感じて、これまで嫌悪してきた訳です。
私もこれまで再々、たとえ「同じように見える行為」でも「想いや在り方が違う」のならば、「行為自体の意味も変わってくる」と言ってきたもので、まさにその応用的な決断が上記のことだった訳です。
逆に「同人レベルの素人作家」が如何に「プロの土俵」でやっても「素人でしかない」のも、上述の話と一緒で、彼らは「想念や在り方が素人」でしかないが故に、どこで描いたとしても「素人としてしか在ることが出来ない」ということで、実際にそうした漫画家は今の世の中多過ぎると言えますし、他の業界でも、このブログでも再々例に挙げてきた「素人料理人な」リュウジやら、「素人なピアノ弾きな」ハラミちゃんやらは、その好例としか言い様がありません。
(※後、ローラや深田恭子とかもその類でしかないです!)
私もリュウジやらハラミやらの様なヤツらを見ていて、それで「SNS=単なる『素人な』ばいたい」としかより思えなくなってしまったと、己で認めているものですが、しかし「それを扱う人の想いの持ちよう・在り方」から、如何に殆どと言っていい程「素人な扱いしか出来ないメディア」であろうが、上手く「本来のメディアとして扱うこと」は可能になってくるものだと、今の私は考えています。
結局私も、SNS(※殊にツイッター。)で、「こうした行動は、こう見えるんだよ」的な「似非客観的視点」に散々苦しめられてきた分、その辺見えなくなっていたのは明白で、しかし今なら答えが出せるものなのですが、こうした「物分かりのいい風な人」或いは「イイ子ちゃん系」が言いがちな「こうした行動は、こう見えるんだよ」…みたいな物の見方というものは、「表層的行為=その行為の本質」みたいなすり替え論でしかない訳で、実際に彼らこそ、「表層的な素行はいい」ものの、例えば裏では「最悪なこと」を散々やっていたり、そうでなくても「性悪さ」が伝わってきたり、或いは「表層的行為」から他人を判断する余り、「責めるべきでない人」を責めて傷付け、そして「本質的悪的な人の表層」に騙されてしまうと言えるのです。
※私が再々指摘してる有名人系に「騙されてる人」も、今の世の中次第に多くなってきてると思います。これは「SNSの蔓延」に起因していると私は考えています。
話を戻して、「SNS自体」も、やり方によっては十分「正規のメディアの様に使える」と思ったし、「同人的なやり方」も、言うなれば「自身で出版社を持つ」みたいなやり方で出来るのでは??…と今は考えていて、一歩でも前に進む為にも、「頑なになって考えてたこと(信念)」を放棄せねばならないな……とも思っています。
→意味なく今日(2022.9.29)ウォーキングしながら採集してきた野良グッピーたちを。