こんにちは、片桐セリカです。
今回はこの記事↓
…の補足となるもので、まあ「結論」から先に述べるとすれば、
①「真の正義を持つ」からこそ、「味方」も現れる。
②「真の正しさを持つ」からこそ、「賛同する人」も現れる。
③「真に必要を与えられる」からこそ、「需要」が形成される。
④「真の理想像を体現する」からこそ「人々に好かれる」。
で例に挙げた作家と新聞記者が「典型例だ」と私は感じる訳で、彼らのツイートや記事内容自体、本人は「批判をしているつもり」なんでしょうが、結局「単なる噛み付き」「アンチな反応」にしかなっていない気がします。
それも彼らが「自分=肩書きがある=その領域に於いて見識がある」とか、「相手=批判されて然るべき立場」とか、そういった「肩書きからの決め付け」由来の勘違いを起こしているからで、この体質は実に「ガチなアンチと変わらない」。
(※ガチアンチも、「深田恭子=女優=スタイルいい」的に「決め付けて眺めるもの」です。→深田は「女優」であるなしに関わらず、「スタイル悪い」です。)
本来は、「専門性を養う」からこそ「意見出来たりする」「それなりの『正しさ』を持てる」というだけで、「肩書きから決め付けて、語ること」は、(私も先日それで「大失敗した」様に、)いつも間違いなく「考え方・見方の偏り」を産みます。(つまり、「まるで正しくない」。)
(※或いは「今、トップの人たちの間で最も主流な/イケてる考え」みたいな「優越感」にも彼らは囚われがちだとも言える。この「東洋経済オンライン」の記事↓
…にある「FIREという概念に囚われる人」も、「セレブ」「デキる人」という「優越な存在」に囚われてるのは明らかで、よくよく考えてみたら「単にお金持ちになって、早期退職してニートになる/腑抜けることを選ぶ」といっただけの話に過ぎないと。(「自分のこと」しか考えてない典型でもある。))
もちろん「真の正しさ」は「賛同者を呼ぶ」とも言えるでしょう。
(※「肩書き」や相応した「多数派の側」に、彼らは「賛同が集まり易い」とすら考えている筈ですが、実際には彼らは「正しくない」。故にどこかで「批判が殺到する」でしょう。)
③「需要」について。…これは根本的に「不必要の押し付け」こそが問題の様に感じられます。
(最初に投稿したものから例を変えますが、)「深田恭子」なり「翔んで埼玉」なりが、典型的な「捏造流行」で、或いはコロナ前まで流行っていた「タピオカドリンク」にしても、「売り手側の都合なだけ」で、別に「買い手側のニーズ」がある訳でもない。
(※「深田恭子」や「翔んで埼玉」は、そもそも「才能もない」し、相応して「商品価値もない」。故の「捏造流行」と。)
これらは確かに「ニーズがある(様に見える)」…が、実質的に「不必要」且つ「搾取的」で、つまりは「バズっている/バズること」=「需要がある」と勘違いしているが故、その同一化から、「人々の本当のニーズ」を「奪い取る様な結果」にしかなっていないと言えます。
或いはそもそも「『不必要』が『必要ヅラしている』」分、相応に「『必要』が供給されなくなる」訳で、この記事等↓
で扱った「早期性教育推しのバカ」とかはまさにその「典型例」で、子供に「不必要な性」を押し付ける分、子供が真に必要とする「ぬくもり(=真のつながり)自体」を「奪い取っているもの」でしかない。
これも彼らが「我々はバズっている=『ニーズの』側」と「自惚れていること」「同一化していること」に由来している訳で、しかしその分明らかに「他人や周囲の真のニーズ」を「理解してない」し、同時に「自分の欲」を周囲に「押し付けること」しかしていないと言えます。
故に「不要の押し付け」と、彼らの君臨による「真のニーズの搾取」が起こると言える訳で、しかし本来としては、「自他のニーズの客観が出来る」からこそ、真に「人々のニーズに応えたもの」を「供給出来る」と言えるし(※単純な話、人って「今ここで、相手がそれを必要としてて、困ってるな」的なところを知って、「その為に動くもの」でもある。)、「奪い取る=害悪」に対してそれが「役に立つものとなる」と考えられる訳です。
(※このブログだって、「小難しい」ですが、「人に役立つ知識」は十分に詰め込んでいる筈です。→故に「真のニーズには応えるものだ」と。)
④「理想像」について。… 例えば「影響力」の中で「害悪を与えているもの」がそれで、例を挙げると「暗殺教室」にしても、基本的に「良作ではある」ものの、「表層上の美=イイ女と見做す」「表層的技巧=才能・天才・万能という考え」等、「今の世の中に影響している害悪」が確実に見られるし、その手の「表層上の才能」「表層上の美」の中にある「ハラミちゃん」やら「ローラ」やらは、私みたいな「真の才能を『殺す』在り方」しかしていない為、本当「害悪な存在」でしかない。
或いは芸能人にたまに見かける、「『ドン引きな話』を平然と出来るヤツ」が、そうした「理想とは対称的な例」と言えるでしょう。
彼らは「タレントという立場」=「既に理想像」と思い込んでいるからこそ、その自惚れの中で「まるで『理想とは逆な』在り方」を平然と「表に出したりする」訳で、しかし「自惚れてる」分、真の意味で「自他の想念の客観をしたことがない」が故、当然ながら「人として『クソな』在り方」しか体現出来ていない。
(※実に「ウチの人」も、この手の「ドン引きな芸能人でしかなかった」です。「女(ビッチ)たちとの性関係の話」とか実に「小汚かった」ものです。)
逆に「人の想いや在り方を、経験的に知る」からこそ、その分だけ当然「人々に好かれてくる」と言えるし、真に人々に「理想を伝えられる」とも言えるでしょう。