(※この記事は、2021年3月16(火)20:06に公開したものです。)

こんにちは、片桐セリカです。


しばしば私はブログ上、「作品の出来栄え(仕上がり)」と「その客観」について話していたりするものですが、実際に「作品」として「どのくらいのレベルに達した仕上がりになっているか」或いは(「あまり上手くない」にしろ)「公に出せるものになっているか」「"自分で"客観出来ること」「プロとしての能力」として「必須だ」と思っています。





(※前にもこのブログで一度名前出したと思うが、ユーチューバーの「ハラミちゃん」とかは、「技巧」は優れているかもしれませんが、「表現者」としては「他者を表すこと」が出来ておらず「二流以下」です。ハッキリと言えば「素人」でしかない。)


→この記事にて「ハラミちゃんの話」初出です。今日(2021/05/21)色々この記事拡充しましたが。





そのことと似た感覚として、「自分がその作品についてどう感じるか?」といったものがあります。




私も例えば絵を描いていて、(個人的には「変な絵」描くのが好きなので、)「これ、面白いなあ(クスリ)。」と「一人で(心の中で)ほくそ笑んでいること」も多かったりするし、或いはもっと「単純なレベル」の話として、「その作品が好きかどうか」みたいな感覚から眺めていることも多いです。



「同人屋」とか「SNSで作品上げている人」の多くは、どちらかと言うと「公に出せば出す程」に、「他人に好かれるか否か」を気にしているのではないか、と思います。



私自身、実は「そういう考え」に確かに囚われていました。(その分「ビクビクしていた」はいつもありました。)

つまり、「他人からの評価」を例えば「世の通念/常識的評価等」と私がズレているからと言って、先回りして「嫌われるのではないか…?」と過度に思い込んでいたのです。




しかし、それは明らかに「自己客観して評価すべき所」を「他人の目」に投影しています。

そうした「投影的評価」でなく、冒頭でも言った様に「自分が眺めていて、面白いか」とか、「自分で"好き"と思えるかどうか」のが本来の「自己客観的評価」で、例えば他にも「私のブログ」は見ての通り「小難しい」「テキスト数も多い」ものでしかありませんが、「タメになることが書かれているよな」という「自己客観からの自負」はあります。


(※周囲から持ち上げられて「自分やその作品が好き」「思い込むこと」が人にはしばしばあります。




(※ある有名な方で、自身の出た「駄作映画」を「好きだ」としていた例を、ツイッターの前アカウントの頃に見かけましたね。)




私自身も特に「SNS前アカウント時」に、特に「アンチからの中傷」を受け、「(ツイートや絵等の)作品自体」はおろか、「片桐セリカという名前」すらも「汚らわしく見えた」という「逆の経験」があります。

(…もちろん後に振り返って眺めてみたら、多くは「それなりの作品」を打っていたものだとしか思えない。)



これは、「他者(集団or権力)からの評価による圧倒」から「自己評価心理」「飲まれてしまっている」という事象が心の中で起こっている、ということでしかありません。

(※「心の強さ」として集団に「負けてしまっている」ということです。)




まあ結局、特には「絵」を描いていて、「自分でそれを気に入るか否か」的なことがいつも気になる訳で、その分「精進せねばなあ…」と何度描いても思わざるを得ない。頑張ります。


→ところで、こういった「ハラミちゃん似の」女性を街中で見かけました。

 それで「ハラミちゃん=今流行りな、一緒くたな格好する族」と分かりました。

 ……「個性」すらない。