薔薇薔薇 3年前に行ったブルガリア・ルーマニアの旅のお話しです 薔薇薔薇 



トランシルヴァニアにある街 シギショアラ にあったこの像↓の方ですが…  


どこでなにをまちがえて…

 

VLAD TEPES ヴラド・ツェペシュ とありますね~
どこでなにをまちがえて…  

 

誰かわかりますかはてなマーク 
どこでなにをまちがえて…


15世紀に実在したルーマニアのワラキアの領主 

ヴラド3世(Vlad III ,1431-1476)です!

 

というより… 

通称ドラキュラ公(Vlad Drăculea)、 

別名串刺し公(ヴラド・ツェペシュVlad Ţepeş)といった方がわかりやすいですね~あせる

 

その時代、キリスト教イスラム教のいずれにおいても串刺し刑は珍しいものではなく、

重罪を犯した農民などが処刑されてたようなんですが、

彼は当時敵対していたオスマン朝の兵士や、裏切った自国の貴族なども、

見せしめに串刺しにしたり、あらゆる拷問を考案・実行したそうです。

 

そして、アイルランドの作家ブラム・ストーカーは1897年、

彼をモデルに『吸血鬼ドラキュラ』を書き、本とともに、

ヴラド3世吸血鬼ドラキュラ城として世界的に有名になっていきました。

 

そんな残虐さが強調されてきたヴラド3世ですが、現在では、

諸侯の力が強い小国ワラキアをまとめあげ、オスマン帝国からの侵略に立ち向かった

国の英雄キラキラとして再評価されているようです。


  

 

さて、そんな ドラキュラ公 の生まれた街 シギショアラ ですが、

生家も残っていて、今はレストランナイフとフォークになってるんですよ~にひひ

 

時計塔のすぐ近く。

どこでなにをまちがえて…

 

ハイ、こちらです!
どこでなにをまちがえて…
   

あれ?レストランの看板(?)↓がドラゴンなんですけど~ビックリマーク 

ヴラド3世の父ヴラド2世ドラクルがドラゴン騎士団員で、

家の紋章もドラゴンだったからかなぁはてなマーク

(ちなみに、ドラクルというのは悪魔という意味もあって、悪魔公ともいわれたそうです。)

どこでなにをまちがえて…

入口↑では ドラキュラ城 がお出迎え~ヤッホー

   

でも反対側のお顔には落書きされてたよ~ぷぷ  

どこでなにをまちがえて…

   

レストランの2階にあがると、ドラキュラコーナーみたいなスペースがぁ~おぉ!
どこでなにをまちがえて…
 

どこでなにをまちがえて…

  
どこでなにをまちがえて…

 
どこでなにをまちがえて…

 

生家にしてはちょっとしょぼいな~ボソ・・・  と思ったんですが、ガイドさんによると、

お父さんのヴラド・ドラクルがハンガリー王によってココに4年間幽閉されてた時に、

ドラキュラ公が生まれたんだそうです。

 

 

 

さて、レストランナイフとフォークカサ・ヴラド・ドラクルヴラド・ドラクルの家っていう意味)の

お料理ですが…

 

まずは、このお店名物のドラキュラスープクラッカー

だったハズなんですが…きっとおしゃべりに夢中だったんでしょうね~写真がないあせる

 

と・こ・ろ・が~おぉ!  

昨夜偶然TVをつけたら、シギショアラの旅番組が放送されてたんです!!

うわぁ~懐かしい~音譜 それになんてナイスタイミングチョキ 

そして、ここのレストランも紹介されました! もちろんドラキュラスープも~にひひ

    

コレです~きゃぁ~→ どこでなにをまちがえて…

     

そして…  
どこでなにをまちがえて…  どこでなにをまちがえて…
 

どこでなにをまちがえて…  どこでなにをまちがえて…

どれもとってもおいしゅうございましたニコニコ

 

そうそう、ドラキュラといえば…

ドラキュラの居城のモデルとなったブラン城もいったんですが、

それはまた後日UPしますね~城

 

 

さ、これでシギショアラの観光は終わりクラッカー  

少し離れたところにあった ルーマニア正教会 をバスからちらっと見て…
どこでなにをまちがえて…

 

またブラショフの街へ戻るとしますか~バス
    

  つづく… 足あと