如何なる理由があるにせよ、鬱病なんてものは甘えであり、逃げである。
病気なんてもんはその感じの通り、「気から来る病」であって、恐らくは全ての人が病気にかかるだろう。
そして、鬱な気分になる時だって、誰しもあるのだ。
寧ろ、鬱にならない人が居るのかが疑問。
なったことがないという人に会ってみたい。
それぐらい、鬱なんて当たり前の現象だと、私は思う。
人間で愚かで強欲で救い難いが、日本人は、更に救い難いだろう。
こんなにも発達した国でありながら、それが当然とばかりに、幸せだとは思わず、自分は不幸だ何だと喚き散らし、自殺する奴もいる。
もう愚かしくて笑いも出ない。
そんな国だから、鬱病だ何だと勝手に病気にして、それに甘え縋って、情けない。
鬱病を正当化することで、日本はどんどん駄目になるだろう。
今でさえ、駄目なのに(笑)
良く言えば「気から来る病」
悪く言えば「勘違い、思い込み」
それが精神的な病気。
鬱病でない人間からすれば、殺人者が殺人をあれこれ正当化するのと一緒。
第一に、「ならないと解らない」とか「なったことのない人には解らない」だとか、んなの当たり前だろアホか。
と、言ってやりたい。
病気なんてもんはなってみないとその辛さが解る筈ないし、もう当たり前だとしか……
ついでに言うと、「理解してもらえない」っていうのは、“理解してもらう気はないから”じゃないの?
個人的に精神病の人って、余り人の話を聞かないイメージがある。
そして、鬱なんてもんは皆平等にぶち当たる大きな壁だと思う。
そりゃあ、私にだって気分が滅入って、鬱だ何だと騒いだこともあった。
今や懐かしい思い出だが。
小学校の時の虐めから始まって、中学校での劣等感、そして不登校。
壁は一杯あって、歳を重ねる毎に高くなっていって、そして壁を乗り越えるのを止めてしまう。
そんなのは、本当に当たり前なのだ。誰でも経験するのだ。
でも、それは「甘え」であり「逃げ」である。
尤も、それに気付いてもどうにも出来ないのが一番の問題点なのだがな。
気から来るものは、自分でどうにかするしかない。
鬱病なんて興味ないから、詳しくは知らないが、鬱を理由に会社を休む人間を大人だとは認めたくない。
そりゃあ、色々事情はあるんだろうが、それでも嫌だ。
生理的に、精神病を理由にされるのは嫌っていうか、うん、嫌い。
だって、精神病って「これだ!」っていう基準がないだもん。
だから医者によって、判断は様々なんだよ。
“鬱病”と診断されて、誰かに言われて、本当にそうなのかも知れないと思う人だって居る。
私は思い切りこのタイプだ。
そんな曖昧なもんを正当化されても、困る。
なんか、真面目に働いている人が馬鹿馬鹿しく思える。
私も散々甘え、逃げてきたおかげで、今必死に皆に追い付こうとしているのだが、0――というか、マイナスからのスタートは案外楽しいものだ。
辛いことは沢山あるが、その時は辛いなんて思わない。大変だなんて思わない。
だって考える余裕も暇もないんだから。
知らないことばかりだけど、それは別の視点から見れば、知る楽しさを理解できるチャンスでもある。
私は知らないことを知る楽しみを知っているので、今、物凄く楽しく、充実している。
嫌なことも、辛いこともあるけど、それでも、楽しいことも多いのだから、当然だろう。
人生が楽しいことばかりなのではないと気付いたのは小学生の時で、それを理解できたのは此処2、3年のことかも知れないが、それでも理解することが出来た私は、今までとは違う。
壁に突き当たる度に弱って、逃げて、甘えて、それでも何とか、その壁を乗り越えようと必死になって、本当に必死に毎日生きてる。
私は鬱病になんてなっていない。
ただ、少し、疲れていただけ。
そして、ただ、少し、休みたかっただけ。
小学生の時、家族や友達、周りの人に嫌われない様に、好かれる様に、必死になって自分殺して、“自分”を作って、中学生の時に、それに疲れた。
そして、学校に行かなくなって初めて、“自分”が誰なのか何なのか解らなくなった。
今は、以前よりは“自分”が解ってきた。
性格を率直に伝えることはできないが、それでもその場その場で理解、納得することはでき、壁(障害)を回避するまでに至った。
それは努力なしには不可能なのだから、今は本当に自分を褒め称えたいぐらいだ(笑)
人間一度は地獄を味わうと良いが、それが大人になってからでは困る。
子供の内に済ませてくれ。
責任も糞もない、まだ人としてすら認められていない義務教育中に。
一度味わって、這い上がってこれれば、後はもう何も心配いらない。
その人はもう、乗り越える術を知っているのだから。
鬱になるのは暇だからだ。
そんなことを考える暇さえない程、何かしろ。っていうか自分の役目を果たしてくれ。
以前、姉があーだこーだと文句垂れていたから、苛立って「ならそんなこと考える暇もないぐらい働け」って言ってやったよ。
「嫌だ」って言われたけど、だったら文句言うなって話だ。
暇だから碌なこと考えないってのは、経験済みだから、多分本当のこと。
余計なことを考える暇もないぐらい、勉強や仕事に励むか、もしくは趣味に没頭するか。
人間、好きなことはいくらでも出来るんだから、自分がしなくてはいけないことが済んだら、勝手に好きなことをしていればいい。
そう、ただ、自分がしなければいけないことをすれば、何の問題もないのだ。個人的に←
尤も、それが出来れば鬱病なんてものが流行る訳がないのだがな。
大人が対象になっているのは、子供は社会的な責任が無いからであって、成人した者や仕事に就いている者には責任が課せられているからである。
まあ、個人論というか一般論というか何と言うか、な。