もうちょっと考えないことにした。
何時からかなあ。
面倒なこととか、明らかにマイナス思考になるだろうことを考えないようにし始めたのって。
多分、中学に入ってからだと思うんだけどな。
一年生ではなかった。
二年生の半ばか後半辺りだったのかなあ。
でも、考えない様にするとね、考え方そのものが変化した。
なんかもうどうでも良いことだとか、自分の好奇心や興味があることしか考えないから、楽なことこの上ない。
人生苦楽が付きものだけど、苦は確実に減ったね。
で、そういうことにうじうじしていた自分も、してる人も馬鹿々々しく思えてきたんだよねえ。
そんなこんなで、自分の好奇心や興味のままにパソコンで動画みたり小説書いたり絵を見たり、携帯とか色々やって、それで、声優界の神様に出会って、作品に出会って、作者に出会って、小説読み漁って、考え方が更に変化する。
齧れるものは齧れと言わんばかりに、どんどん吸収する。
抜けて行くものも勿論あるけど、今の自分があるのは、確かにその成果ではないだろうか。
人の心配をするより自分の心配をしろ。
これも、中学生の頃に学んだっていうか、自覚したっていうか、理解したことの一つ。
人のことは人。
その人自身の苦痛なんて解る筈もないし、それ程深い絆がある訳でもないのだから、深く漬け込むな。
狭く深くは良いけれど、広く浅くも悪くないけれど、どちらにしても、人は人、自分は自分だと言うことを忘れるな。
自分の苦しみも悲しみも喜びも、自分の見たもの聞いたもの感じたものを言葉で伝えることができないように自分のものでしかなく、それは他人も同じこと。
だから、深く関わるな。
話す気になったのなら話せば良いさ。
無理に聞く気もないし、話した内容を否定する気も更々ない。
話してくれるなら、聞く。
実際に会ってでも良い。
電話でも良い。
メールでだって別に良い。
話してくれるのなら、聞くさ。
メールだけで長年付き合ってきた友人も、自分の意見を押し付けずに、うじうじしてた私の話を聞いてくれた。
それが励みになった。
私の感情なんて気持ちなんて誰にも理解できないが、それでも私はひとりではないし、ひとりなんかにはなれない。
それが解ったからこそ、解っているからこそ、昔程に苦痛を感じずに済んでいる。暮らせている。
今は生きていることが楽しいよ。
確かに辛いこと、苦しいことはあるけれど、それでも楽しい。
生きていて良かったなって思う。思えた。
幸せなんてどこにもないと思ってたけど、なれる筈なんてないと思ってたけど、今じゃ些細なことを幸せだと思う。感じてる。
でも、その前には様々な苦痛があった訳で、やっぱり人生は苦楽が一緒なんだなあと思う。
苦しみも悲しみも報われる日が来る。
だって、そうしなきゃ、誰も生きていたいだなんて思わないじゃないか。
だから、苦しみや悲しみの日々は無駄なんかじゃない。
それに耐えて生きてさえいれば、自分を見失っても光を見失っても、歩みを止めても地べたに座り込んでも、それでもいつかはまた思い出す日が来る。立ち上がって歩きだす日が来る。
そうして人は強くなるのだから。
弱いままの人なんていないんだよ。きっと。
人と人は何処かで繋がっているのだから、傷付いても傷つけても、それでも何処かで繋がっているのだから。
繋がってしまっているのだから。
無理に話せだなんて言わないし、無理して笑えとも合わせろとも言わないさ。
だから、話せるようになったら話してくれ。
笑えるようになったら笑ってくれ。
合わせるんじゃなくて、自然と重なるまで待つから。
何時までだって待つから。
私を嫌いになるまで、縁を切るまで、ずっと待ってるから。
もう大抵のことじゃ驚かないさ。
ショックを受けようとも受け入れてみせるさ。
もう大抵のことどころじゃないことを経験したからね。
さて、語らった処で終わりにしますわ。
書き終わるのに20分も掛っちまったよ。阿呆だなあ。