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直木賞作家でもある桜庭一樹原作のライトノベル『GOSICK─ゴシック─』がアニメ化され、早くも2クール目に突入中である。
推理小説の要素をふんだんに盛り込んだ長編小説とあって、30分枠のテレビシリーズという異種の言語化には、製作サイドも甚だ苦慮しているに違いない。そもそも完結もしていない文芸作品をどこまで掘り下げるべきなのか、流行り廃りが激しいアニメ業界の漂流者達が又も(この手の作り方特有の)浮き沈みを繰り返しているのが瞼に浮かぶようだ。
その苦労の甲斐あってか、小説とアニメとの表現上の齟齬はそれぞれのメディアの厳然たる壁からやむなしとして、ショートカットした矛盾含みのストーリーを無難に再構成し、高密度かつ安定感のある作画で視聴者を魅入らせるテクニックは、次第に目を見張るものへと収束しつつある。特に作画スタッフの労力の50%以上を注ぎ込んでいるのではないかと推測される“フリルを纏った暴君”の描き込みに刮目されたい。
決して同レーベルの他のアニメ化作品のような派手さはないかも知れないが、原作の1ファンの立場から数ある’11年前期アニメにおいて丁寧な仕事振りの逸品として、ここに推奨しておきたい。

それに付けても至極残念なのはアニメ独自の自立性を尊重するあまり、この作者特有のコメディシーンを悉く変容させている演出陣らの誤解釈である。
例えば、極度の人見知りであるヴィクトリカが始めてクラスメイトの前に引っ立てられるシーンがあり、アニメ版では《セシル先生に説得されてヴィクトリカが、嫌々それに応じる》という味も素っ気もないシチュエーションになっているが、実際の原作版では《むずがって暴れるヴィクトリカに良いものを一発貰ったセシル先生が、とうとう切れてヴィクトリカを教室にペッと放り込む》という愉快なシチュエーションになっている。言わずもがな、どちらが視聴者・読者の欲求に沿うものであるかは火を見るより明らかであろう。
どうにもこうにも需要する者と供給する者の深くて暗い溝は、何世紀隔てようと埋めようがないらしい……。