こんばんは!一ノ瀬 ユイです🌈
日本人は無宗教だ、とよく言われますが、
無意識の奥にまで宗教観や国民性が根付いているもので、
当たり前になって、意外と知らない、説明できない行事は、
原日本の精神や価値観、神道(古神道)から生まれていることを
私は20代半ばまで知りませんでした。
父方は日蓮宗、母方は浄土真宗の檀家で、
特に父方の祖父が信仰心が強かったみたいです。
とはいっても、どちらの家にも神棚と仏壇があります。
我が家にあるのは神棚だけですが、
神棚があるだけでも、素晴らしいことなんじゃないかと思います。
私の父は宗教が嫌い、
というか、自分の他に偉大な力があることが信じられない、認められない、許せない、といいますか、
畏怖の念をどのように扱っていいのか分からない、みたいなところがあり、
私は20代半ばまで神社にお参りをしたことがありませんでした(笑)
といいますのも、
私がサターン・リターンの数年前から、
アイデンティティ・クライスとかスピリチュアル・エマージェンシー、
それとも、巫病的なものを抱えていたのですが、
年々酷くなっていって、行き着いたのは神社さんでした。
霊媒体質なのに、新卒で入社したのはまさかの葬儀会社でした(笑)
力が無い、ということは、それほど悪いことが無い、ということがあります。
葬儀会館で働いていた身として感じたことなんですが、
生きている人・肉体を離れた人に関わらず、
思念やエネルギーを「鎮めること」ができる人が葬儀を取り仕切っている場合、
とても清々しい式が行われていたように思います。
ですが、その反面で、「起承転結」というわけではありませんが、
やはり終盤に近付くにつれ、場のエネルギーが変わっていくのが感じられ、
「形式」や「型」には秩序と流れがあるのだと感じます。
といいますのも、特に、私は神道式の葬儀の時に体調不良になりました💦
真言宗系の式は、安心・安全みたいな感じがありましたが、
まさか神道の「祓いの力」が波紋を立てるように、
葬儀式に参加している人にも影響を与えるのか、という感じで
体調を崩し続けることになったのですが…
その後、ご縁があって、神社さんにお世話になり、
23歳くらいだったでしょうか、
初めて、ちゃんと神社で参拝するようになりました。
っと、昔話をし始めたら長くなるのでここと打ち止め!(笑)
今日は1年の折り返しということで、
夏越しの大祓の日ですね。
私は、一昨日からある神社系のセミナーを受けているんですが、
今日は大祓祝詞を奏上する回でした。
なんでも、06月30日の夕方から祝詞を奏上するのがいいらしく、
今日は10回も奏上する日となりました。
日常的に神棚や神社で祝詞を唱えていらっしゃる方は
あっという間に、楽々とこなしてしまうのかもしれませんが、
私は声が出なかった時期が数年あったので、
1回の奏上だけでも結構堪えました💦
しかしですよ!
祝詞を唱えることを日課にして、声帯を整えるって素晴らしいアイディアじゃん!
というのは前から思ってはいたんですが、
今日唱えてみて、あぁ、やっぱり唱えた方がいい、って体感しました🍀
土星逆行の影響か、
昔のことを思い出すだけでなく、
昔やっていたことを、今ならもっと丁寧にやっていける、
そのために今の状況を活用しよう、そんな気持ちになりました。
今日はあいにく雨で、
最寄りの神社さんでは茅の輪が設置されていなかったので、
(未だくぐったことがありません、笑)
いつもの参拝になりましたが、
オンラインとはいえ、奏上会に参加して、
これから自分の周波数を整えていくための素敵な口実(祝詞を唱える)ができて、
明日からの半年を清々しい気持ちで過ごしていきたいと思います。
半年間お疲れ様でした!
そして、明日からもできる分だけ、丁寧に、そして、淡々と歩んでいきましょう🍀
一ノ瀬 ユイでした🌈